アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

クリスチャンセンター講演会

クリスチャンセンター講演会|中村 篤史/ナカムラクリニック

キリスト教徒のみなさんにメッセージを伝えるつもりでスライドを作ってきました。
というのは、僕はこのコロナ禍の3年間、キリスト教を信仰するみなさんにはガッカリしっぱなしだったからです。いえ、正確にいうと、キリスト教だけではありません。仏教にもガッカリしましたし、ほとんどすべての宗教にガッカリしました。

ローマ法王という宗教的権威が、コロナワクチンという感染症対策を推奨している。こういうニュースを見て「あのローマ法王さえ打ってるし勧めてる。大変な緊急事態だ。私も打たなきゃ」なんて思うようでは純粋すぎます。「宗教界のトップを動員してまでワクチンキャンペーンを大々的に展開している。あー、くわばらくわばら。恐ろしい。私は絶対に打たないよ」と警戒するのが正しいニュースの読み方です。

カトリックはかなり大ボスに近い所にいる、ってのは陰謀論的に常識であるけども

仏教もひどかった。

宗教家がワクチン勧め始めたら終わりです。
僕はチベット仏教というのは本物だと思っていた。たとえ日本の仏教が腐敗しようとも、チベットには本物の仏教が息づいていると。でもコロナ禍のこういう報道を通じて、チベット仏教も結局同じなのだと、ダライラマも単なる俗物なのだと知りました。

ダライラマはCIAが絡んでるとか、陰謀論的には真っ黒な奴である

イスラム教は、世界のメジャー宗教のなかで唯一、コロナ禍で大健闘したと思っています。
もちろん、デタラメを強要されたのはキリスト教や仏教と同じです。たとえば、金曜礼拝が禁止されたり、メッカへの巡礼が禁止されたりしました。

これはイスラム教徒にとって、屈辱的とも言える事態です。
彼らにこういうデタラメを強要する背景には、当然「ワクチン接種を推進したい」という当局の思惑があります。「金曜礼拝をしたいならワクチンを打て」「ワクチン接種した者についてはメッカへの巡礼を許可する」そういう”エサ”をちらつかせてイスラム教徒を接種に追い込もうとした。
しかし、当局のこの試みは失敗した。イスラム教を信奉する各国のコロナワクチンの接種数の経過を見てみるといい。いまだに接種を続ける狂気の日本と比較すれば、イスラム各国の冷静沈着ぶりが際立つだろう。

イスラム教には「ハラル」と「ハラム」という重要な概念がある。

イスラム教徒にとって豚肉は忌避すべきものというのは有名だろう。しかし、豚肉を食わなければいい、というものではない。「豚から抽出した酵素」さえも彼らにとっては禁忌なんだ。

さて、イスラム教徒は今回のコロナワクチンをどう見たか?

ミドリザルのDNAが入ったものを、ハラルとしてよいかどうか?また、中絶児の細胞が含まれているとすればどうか?

そういう議論が行われたおかげで、彼らはコロナワクチンの何たるかを深く理解することになった。その結果、彼らは打たなかった。イスラムの教えが彼らを救った格好だ。

へえ、立派だねえ

さて、他の宗教はコロナワクチンをどう受け止めたのか?

大本。「治験が継続されるなか、緊急事態のための特例として承認されたもので、短期の副反応はある程度わかっているが、長期の影響への不安がぬぐえない」「正しい食事と適度な運動、十分な睡眠、土、松、梅干しや梅肉エキスの力で免疫力を高めつつ、神に真剣に祈ることが大切」
これは非の打ちどころのない完璧な回答です。医学的に「完璧」かどうかはともかく、宗教家の答えとしてはこれ以上の回答はないと思う。祈ることの効用を説いている。宗教家としてこれは絶対に外してはいけない要点のはずです。さらに、個人的には、松や梅の薬効に言及したところも好印象です。

大本は元々「石屋(フリーメーソン)がどうのこうの」とか言ってたりして、多少の陰謀論的な要素を含んでいる教義を持っている

だから、最初から「気づいてる人」だったのかもね

幸福の科学。「大川総裁の法力が込められた法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃退する力がある」「コロナワクチンに期待できない今、信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかりだ」
これもすばらしい回答。宗教家はこうでなくてはいけない。

へえ

なお、大川隆法氏は今年3月に亡くなっている。特に持病はなかった60代男性がこの時期に突然死したとなれば、当然「あれ」の影響を疑うところだけれども、、、

息子の宏洋氏が自身のYouTubeチャンネルで「隆法打ってるよ」と曝露していました(笑)
真偽不明ですが、事実なら残念です。

勘違いして欲しくないけど、僕は大本にも幸福の科学にも一切興味はない(そもそも宗教自体に興味がない)。ただ、これら両宗教のトップは、感染症に対して信仰心を持つことや祈ることの重要性を説いている。僕はここに共感します。これこそが宗教の本来の形です。逆に言うと、祈ることの効用を説かない宗教は宗教の名に値しない。ましてや「ワクチンを打て」などと言っている宗教は完全に終わっています。
コロナのおかげで、いろんなことが見えた3年間でした。

うーん、病気に対しての信仰心や祈りのことなんて本当はどうでもよくて、単に「ワクチン見抜けないお前らは終わってる」と言いたいだけでは?

病気に対してマインドの力だけで戦おうってのも、やっぱり危なっかしいだろう

(例えば、初期のクリスチャン・サイエンスがそんな感じだったらしいが、揉めたみたいなのでねえ)

「マインドの力も使うし、物質的手段も使う」ってのが、無難と思うなあ

そして、そうすると結局、ポイントはワクチン見抜けるか否かになってしまう