人を後ろに振り向かせる
人を招く。思念を凝らすと、相手に来なければいけない用事ができる
人を帰らせる。箒に手ぬぐい、下駄に灸
足止めの術、真言の法、逃走者の足を刺すべく観念し2本の針で3日畳を刺す、逃走者に2本針が刺さり動けなくなったという
不動の金縛り
棒寄せの術
真言宗の術らしい。相手の両手にそれぞれ棒を立てて、勝手に棒が寄せられていくという術。催眠みたいに両手が寄せられていくってだけ。著者が被術される時には、「動かない」と強く思念したので失敗した。それで術者が訝って一生懸命九字を切ったりし始めた所で、著者はそれは精神力の強弱によるのだと諭したという
特に面白い現象は、甲の精神が乙の精神に影響しながら、乙はそれを知らないことだ
丑の刻参り。牛の刻には、相手は寝ていて精神の働きを休止してるから
人の重量を増加させる
人を軽く挙げる。四人が両手の食指1本ずつで挙げる
幻術。刀を飲む、牛を飲む、馬を飲む。
催眠で幻覚を見せるのと同じ原理
これも、多分催眠誘導とか無しに、相手をトランスに入れてるんだよね
すごくない?
ハエ、蚊、ネズミ、雀、小鳥、魚、金魚、を思念で動かす
冤罪で入監した男で、監房に蚊が湧いても刺されない、とかいう話は田中守平か?
鳥を撃たせないようにする
誰かが鳥を撃とうと標準を向けると、飛び去ったりとか
仏教の僧侶がこういう術を使えるというエピソードが少々ある
現代の僧侶ではそういうのできる人いるのかな?
木丸を動かす
当時のパチンコみたいなので最高景品をとったとか
生竹を焼いて爆ぜない
竹の内部の空気が膨張して爆ぜる、爆竹って本来はこういう意味なのね
竹の節を数えると音がしない、という民間信仰・おまじない
鉄棒、火箸を曲げる。火箸に文字を書いて曲げる、懐で鬼の字を書くが最後の点を打つ際に書かないでおいて、打たんとする瞬間に火箸に指を当て曲げる。これらは方便。著者がやろうとしたが堅くて、「これは極めて細い糸だ」と観念してやっとできたという。曲がると信じることが難しく、曲げるのが難しいのではない
湯を冷ます術。密教信者がやる。熱湯に箸で「氷」という字を何度も書き、「さらさらと 沸く湯なれども 潮凝れば 根底の水も 氷となる」と唱えると、手を入れても火傷しない。
これは湯を冷ましてるんじゃなくて、自己催眠で火傷反応をコントロールしてるだけだろ
刀の刃を止める術。紙を切ると良く切れる。その後、「切れない」と思念すると、紙を切るに切れなくて、刃に紙は付着しつつ他の所から破れる。自分で持っても、他人に持たせても。
振動術。家屋を動かす。門人は、二度とやらない、意識を失うほど一心を凝らさねばできない、という。その他の二人は、熟練してるが、それでさえ、翌日一日くらいは休まねばならぬほど疲れる、という。
大技だなあ
卵に濡れ紙を巻きつけて火に入れても、破裂しない
竹と同じ
華厳宗で花を咲かせること
つぼみを取ってきて、思念の力で咲かせる
燈火を明暗にする
ある禅師は説教の材料に一枚の写真を持っている。自分の半身を撮ったものだが、右肩の所に一人の女の像が半身分明に写っている。その女は死んで間もない妻。妄執というものはかくのごとくであるから、早く悟道せよ、と説教する
心霊写真を説法の材料に使うとは、面白い
第一は精神、第二は物質である
副島種臣が清に居る時に、覚醒時に、死んだ令嬢が現れた。祭文
副島種臣は普通に日本史に載ってる有名な人だね
先祖が祀ってくれと夢に出る
肺結核全治。どうせ助からないならば、なるべくしたいままにする方がよい。いままで排斥したことも試しにやらせてみるがよい。灸もさせてみる、方術、加持祈祷もさせてみる。一方では、医者と薬に交わらぬようにし、死を恐れず、もはや生きたい命が惜しいという念もなく、どうせ死ぬと分かった以上は死んでも良いと安心した。すると全快した
足の腫れ。もはや治らないと自分で考えついたのだから、一切薬をやめてしまい、死んでも良いと考えた。どうせ生まれたものは死ぬ、死んだとて構わぬと思って無念無想になって知らん顔をして心を落ち着けておった。まもなく全快した。
こういうのはよくあることな気がする
「手放し」とか「サレンダー」ってのが、スピリチュアルの最終奥義かねえ?
臆病。大勢の前で話をするのが怖い。この臆病を治してみたいと考えながら寝た。「いかなる人の前で話をしても決して臆するようなことはない」という夢を見た。以来治った。自ら催眠術を施し、暗示を与えたのである
地蔵様に「イボを取ってもらいたい」と願って、まもなく取れた。八幡様に願って云々
イボは催眠によく反応するそうだ
毛虫が嫌いで、見るだけでかぶれる
精神病院に火の玉が降ってくるとしきりに言う病人がいる。家の中にいればいいが、外に出ると、火の玉に当たった(と思い込んだ)所が火傷して水腫れになり膿を持つ
どなたでも経験あるだろう。ちょっと風邪を引いた時に、朝目を開くと、大変頭痛がして熱がしてだるくて少しも起きて出られないように思われる。ところが、何か来客があって自分が会わねばならぬ急用が起こって、起きてみると、別に頭の上がらぬ病気ではない、熱もさほどあるとは思わない、勤まらないほどだるくもない、急用だけ済ませて、これなら一つ出勤しようと言って勤めに出る。
足の病を治してもらいに来た人、足はまだ十分に治ってないが、首が治った。私が治したのではなく、本人の心機一転のため。キリスト「汝の信仰が汝の病を治す」。
汝の信仰が汝を癒したのだ。マルコによる福音書10章52節
60前後の老婆、腰が曲がって、胸と膝がくっついているような状態。無知蒙昧。知識のない者はかえって信じることについては知識ある者より強い。精神集中は学問ある者より強い。知識ないものは心機一転も早い。私のいる寺まで3、4里あるが、その途中半道来たほどで曲がっている腰が九分通り立ってしまった。「大変な先生が静岡からやってきて病気を治してくださるということを信じて、朝早く弁当を持って家を出ました。途中で、ご覧のとおりに立ってしまいました。先生のお陰、実にありがとうございます」、「嬉しくてたまらぬ」、「もう別に癒やしていただかないでもよいくらいでありますが、少し左に傾いておりますので、まっすぐにしていただきたい」。私の癒やし方は不思議のことではない。右手を夫人の右の腰に当てて、「今すぐに癒やしてやるから、まっすぐに伸ばせ」と言うや否やまっすぐになった。これらは私が癒やしたのではなく、患者の精神上の大変化に過ぎない。
40前後の壮健な男、肩と両手が痛んで手が上がらない。門人が七分治した所で、今日は私が眠らせないで治すから見よと、痛い所へ手を当てて「さあ伸びるから伸ばしなさい」「上がるから上げてご覧なさい」「肩の痛みも去った」という具合。即座に全快してしまった
ここらへん、イエス・キリストの域に入ってるように思われる
全ては信仰の話なんだから、神父牧師はもちろん、凡そキリスト教徒はこんくらい出来なきゃダメだね
ああ、信仰の薄い者たちよ
名刀で非常に力をこめて腕を切り落とそうとしても跳ね返る。名刀を握って力を込めても、手に筋はつくが切れない
真っ赤に焼けた火箸を握って火傷しない
火傷は、するもしないも催眠でよくコントロールできるらしい。シャーマンがよくやるらしい((本)シャーマニズム、M・エリアーデ - アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~)
火生三昧の法。薪を四方に積んで火を付ける。坊主が火の中にいる、法衣も焼けなければ火傷もしない
ダニエル書三章みたいだな
腐敗の気味がある魚を食うと酔うと信じる者。食べるやいなや、真っ赤な顔になって酔ってしまった
初め1、2回モルヒネを打っておいて、後に水を注射しても同じ効果
「健康な身体に健康な心が宿る」ではなく「健康な心に健康な身体が宿る」と言わなければならぬ
台湾の生番では腸チフスなどにかかると、熱が出ると、川の中に飛び込み、水の中で立っている。水の力で熱を散じて全快する
桑原俊郎は、元々病弱だったことが書いてある
larger selfの発想はすでに心霊主義のマイヤースが言ってたんだね(原文はマイヤー氏となってるが、マイヤースのことだろう)
大我と小我の関係
宇宙を一と見なさなければならぬ
精神の発動は皆自己に帰る。因果律はこれを言う、輪廻の法もこれ。事物の始まりは終わりと同じ、発する者と受け取る者は同じ
宗教論は、仏教キリスト教儒教道教等をごっちゃにして、それらの本質は同じものだと説く
ニューエイジの既存宗教の扱い方みたいだな