アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)日本人の身・心・霊2−2

◯仙家秘訣無病長生法

古文調で読みにくい

川合清丸 - Wikipedia

著者の川合清丸は元々神道の人で、中年になって儒教仏教とかも勉強して、神儒仏の3つを土台に国教を作ろうとしたとした、みたいな感じ

しかるに、この本の内容は仙道で、道教に分類されるようなものであり、神儒仏とあんま関係ないんだよね

だから、著者は別にバリバリの道教の人で、それを専門にやっていたというわけでもなく、どちらかというと片手間にやってた感じ

神儒仏が本筋であり、この本はおまけみたいな位置づけ

著者の目標はあくまで国を良くすることであり、「山の中に隠棲するとかはやってられない。ただ、健康長寿の方法は役に立つので、それだけ教えてくれればいいよ」って感じだという

川合清丸は河野久から教えを受け(これは本当だろう)、河野久は山中照道から教えを受けたらしい(ここらへん嘘くさい)

山中照道は、足利義光の時代から明治9年7月7日までこの世にいた仙人だそうだ

500才くらい生きたということになるけども

で、川合清丸が自分で試してみて、効果があったものをこの本にまとめた、という

山岡鉄舟が「上野の天海長老は170才で死んだ。遺書に無々道人にあって不老不死の術を伝えた」と言ったとか、河野久は尸解仙になるでもなく修行中に普通に死んだとか(駄目じゃん)、書いてある

川合清丸は70くらいまで生きたけども、まあ常識の範囲

 

「from:@nihonkogaku 無病長生法」の人気の記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。

こちらでいくらか読めるね

神仙の存在について(5) -河野至道大人の尸解-|日本古学アカデミー

 にわかに大騒ぎとなって医師を迎えて診断を受けましたけれど、既に臨終となっていて、もはや治療を施す余地もないとのことなので、前に至道が主人に向かい、「急に行かねばならないことになった」と申したのは、貝塚へではなく、この世を去って幽境に往かねばならないようになったと申す意味であったのだろうと、ここに初めて知ったと申すことであります。
 これは至道が世を去った日より二十日目に当たる日、私が図らずも大阪に行き、北区中の某方において、不思議にもその至道の寓居の主人に出会って、親しく聞いた確実な話であります。そういう訳で、この至道の最後の模様が普通の人の死に方と違っていますので、定めて尸解したのであろうと思いました。

ふーん

「無病長生法」には、尸解仙になるでもなく死んだ、とあるんだが

 

さて、無病長生法自体は短い内容である

その内容は悪くないし、他にも著者の養生論が書いてあって、その内容も悪くない

しかし、私の興味引かれたのは、付録的な部分である

本当に仙人が居るのかどうかを論じている部分(こんな不思議なことが実際にあったのだから、仙人が居ても不思議ではない、という論法):

明治21年阿波国で鬼を捕えたこと

【佛僊眞道 成仙への原理(76)】鬼の実在の話し(鬼滅には無い実話) | 自然福智 獲得への道

保存した鬼の死体を著者本人が見た、という

あと、明治22年鹿児島県備後国光明寺の本堂再建の時に、一つの瓷を掘り出して、その中に羅刹の死骸が入ってたとか

明治29年8月新聞記者が幻術を見た事実

催眠術じゃないとか言ってるけど、催眠術の現象である

明治22年守田宝丹の手から糸引名号現出の事実

守田宝丹という有名な慈善家かつ念仏行者がいた。美濃国善照寺で糸引名号を見た時は信じなかったが、隣で浅草の煮豆屋の娘の人差し指から紅色の糸が出て、それを自分でつまみとった。また別の信者が紅白数十の糸をくれた。それで自分でも気合入れて祈念したら、糸が出てきた。

娘のは、本末あり、節あるようなもの。果てには、金銀瑠璃珊瑚琥珀瑪瑙水晶を混成したようなもはや糸じゃないような代物を本人が出したとか

名号の糸 - Wikipedia

名号の糸(みょうごうのいと)は、仏の前で熱心に名号をとなえていると、その指先などから現れるという糸。糸引き、糸引き名号ともいう。

熱心な信者が仏前で両手をあわせて一心不乱に南無阿弥陀仏などの名号を唱えていると、その指頭、指背、あるいは掌面から、長さ2,3分(1分(ぶ)は1/10寸)ないし7,8分の、紫色、淡紅色、または淡白色の美しい糸が出るという。これが出るのは、仏の加護を得た証拠であるという。

ノリとしては、サイババのビブーティーみたいなもんだろう

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/16293/shomotsu0000400010.pdf

「糸引名号の功徳を説き併せて肉体出現の奇物を示す書」なる宝丹が作成した一文

守田宝丹/守田治兵衛は有名な薬屋のようだ

今でも続いてるんだね、守田治兵衛商店|立効丸、宝丹の販売

明治22年東京に125才の老狸現出

明治21年の大晦日夜から翌年元日の夜にかけて、東京芝区三田台町二丁目十八番地宮地赳武方で、人が寝静まると鍋釜鉄瓶すり鉢丼がちゃんちゃんガラガラと乱舞した、と新聞に載った。宮地赳武は、13才の娘お静、10才男子の三人暮らし。前年秋、飯櫃の飯がいつも減っている。子供が密かに食べているのだろうと思い、飯櫃の上に石を置くが減っている。二人で共謀してるなと思い、飯櫃を天井高くに吊るしておいてもまた減っている。ここで子供の仕業でなく、魔物の仕業と気づく。魔物のいたずらは進んで、毎夜銭を盗まれるようになる。袋付きの腹巻きに銭を入れ、入れてる方を下にして寝て、起きると減っている。

13才のお静は大人しく機心ない子で、魔物はこの子には正体を見せ、友達のようになった(つーか、125才の老狸が実在したというよりかは、この13才の娘が無意識に超能力を発現させた、ということだと思うんだけど。人体発火現象は思春期の娘が多いみたいな感じで)。そこで、125才の牝狸と判明した。

ある日父が帰ると、お静の髪がキレイに結ってある、「お竹(老狸の名)が結ってくれた」という。下駄の緒の切れたのを直してあるのを問うと、「お竹が直してくれた」という、「他のはなぜ直さないか?」と問うと「おれは手入れ屋じゃない」と返ってくる。父がお静を呵責すると、火箸や鉄瓶の蓋が飛んできて、父の頭に当たる。

ある日、昨日働いて得た全額が盗まれ、お静を責めると、「お竹が全額使った」という、父は「大金を今朝の内に使えるわけがない、使い残しだけでも出せ」と厳命すると、「炒り豆とスルメを買って残りはない」という、それでいて座敷の方方でチャランチャランと銭の音をさせる。

ある日、父はお竹を罵って「金持ちの所に行かずに貧乏の所に来る。自分も不自由で、他人に迷惑をかける。馬鹿の骨頂だ。なぜ金持ちの所へ行かない?」と問うと、「因縁のない所には行かない」という。「何の因縁があるのか」と問うと、「亡くなった妻につて、道徳に欠けた所がある」という(家族のゴタゴタが娘のストレスになって、本人は気が弱いのでこういう超能力発現の仕方になったのだろうか?)。

一計を案じて、お静に「疲れたので肩背をあん摩せよ」と言う、お静が小さい拳でしとやかに打っている所に「お竹にも打たせよ」と言う、それでお竹も来て両手で背を打つ。そこで手首を捕まえるとお静の手であった。

ある人は父に言って、「畜生でもこれほどの業通を得たものは凡夫に殺されまい。殺意をやめ、慈悲心で悦服させよ。それで言うことを聞くようになれば、浅草高遠で見世物をすべし。一攫千金間違い無し」。

羽羽子板手鞠の音はするが、物品の姿影もない。

ある日、そばを食べに行き、「お竹も食べるか」と言うと「食べる」と言う。「そばを皆様の後ろに回してくだされ」と言うのでそうすると、そばがなくなっていて、三椀食べた。

「お竹に盗んだ銭を何に使う?」と聞けば「炒り豆スルメ昆布を買う」という。そこで父自らその店々に行って聞くと、いづれも「お静が買いに来た」という。お竹がお静の姿になって行ったのである(これは違うだろうねえ)

焼き芋をお静に買いに行かせたら、お竹が「芋屋の家内がわき見してる内に一切れ盗んだ」という。芋屋に様子を聞くと、「お静がしばしば買いに来るので、今日は一切れ負けた」という。

本郷湯島霊雲寺の住職に加持を請う。この時にお竹は去ると言ったが、のびのびになったので「証書を書け」と言ったら「筆紙を机の下に入れよ」と言う。「行という字はどうだったか」と聞いて、教えると、明日ヨソニ行クと書いた。翌日、お静の手で昆布一束を出し、ご厄介かたじけなし向後ご機嫌良かれと挨拶して、どっかへ行った。その後消息なし。

125才の老狸あるというのは、狸の仙人ではないか(だから、人間の仙人だっているだろう、という意)

副島種臣、清で亡女に会う

 

無病長寿の灸法

泉村の百姓に138才〜243才の長寿者がいるという(本当かよ!?)

連載企画「高木家文書」の裏話第8回-お灸をすえる- 【第2弾】名古屋大学の使命!重要文化財の絵図を守り継ぐ(名古屋大学附属図書館 特定基金WG 2022/07/07 投稿) - クラウドファンディング READYFOR

三河国宝飯郡泉村の万平さんは長生きで、江戸時代には有名人でした。徳川吉宗の孫竹千代(のちの家治)が生まれて百日のお祝いに、自分の白髪を献上したそうです。江戸幕府の公式史書である『有徳院殿御実紀』元文2(1737)年10月7日の記録¹にもありまして、そのときすでに184歳!幕府公認の長寿人です。のち、第11代将軍家斉に謁見を賜った寛政8(1796)年には、194歳(ここら辺、計算があいません)になっていましたが、次のようなご下問がありました。

「そちは何故かように長命であるか?長寿の秘訣でもあるのか?」

万平「これといった養生法はございません。ただ、先祖より脚のツボの「三里」に灸をすえるのを常としておりました。毎月八日間、定められた法にのっとって灸をすえますと、無病長命との教え。お陰様で家内残らず無病息災にてまかりありましてございます」

こんなに効くかは疑問だが、足三里の灸は有名である

あと、膏肓の灸もいいと書いてある

 

気質練磨法

前に中国占術を勉強したことがあって、面白かった

仏教の四大及び五大と中国思想の結合の考え方、あんま見たことないもの

仏教:空を体とし、四大を用とする(体用は中国哲学の概念)

中国思想:太極を体とし、八卦を用とする

風:乾巽、火:離震、土:坤艮、水:坎兌、とする

中々なるほど

で、清質(風)、剛質(火)、濁質(土)、柔質(水)の4タイプの人間があるという

清質:道理をわきまえ、事の是非利害を察して、物欲少ない。隠者僧侶

剛質:進退鋭く、取捨速く、言葉尊大で、果敢。英雄豪傑。

濁質:近視眼、小事怜悧で大体に通じない。名利のために公義を犯し、情欲のため倫理を破る。侠客暴徒。

柔質:怠惰、志操一定せず、薄弱で精神確立せず。あえて悪をなさないが、進んで善もなさず。迷って決断の勇気がない。匹夫小人。

清剛は賢人君子、濁柔は愚人。清柔は順良の民、剛濁は奸雄の徒。

しかし、物事はどうしても一長一短であって

清質:濁を憎むあまり潔癖となって、人と和合共同せず。水清くして魚棲まず。

剛質:世の毀誉、時の用捨を気にしないが、ゆえに孤立しがちで随行者がいない

濁質:多数の子分を率いて勢力もつが、名利色欲の奴隷になり、人信を失う

柔質:人に逆らわず衆の愛嬌を受けるが、薄弱で、節義を破り操行を傷つける

そこで、清質人は濁気を持つようにし、おおらかに接するように心がけるべし。剛質人は柔気を持つようにし、傲慢を退け、人ともに行くようにすべし。濁質は清気を持つようにし、人の曲がれるを治し、他人を不憫に思うようにすべし。柔質は剛気を持つようにし、卑屈をやめ、艱難に耐え時節を待つべし。・・・みたいな感じ

 

◯内観的研究 邪気、新病理説

なんか個人的にはピンと来なかったかなあ

紅療法にやや詳しい

内観法とは、難行苦行して身神を衰弱疲労させ、神経を過敏にさせ、意識中枢・中枢神経を敏捷にさせ、直覚的経験をとげるもの

これを著者がやって、その結果、人体の中に霊気と邪気というのがあり、それらが色々動いて各種の症状が起こる、というのが分かった、という話である

漢方

そもそも漢方の考え方の中には正気邪気って発想が在り、すると当然著者の説と相性が良い

耳鼻咽喉科

耳鼻咽喉は邪気の排出口として重要

「鼻は邪気の出口として色んな病気に関係するが、特に脳と関係がある」というのは漢方とかでもある考え方だなあ

膿性鼻汁を「脳漏」と呼んだりする

あと、意識昏迷状態にくしゃみを誘発する粉薬を鼻穴に吹き入れるとか

針灸、あんま、マッサージ、鬱血療法、電気療法

鬱血療法は吸玉のこと

著者は「血に関係なく、邪気を出してるんだ」と言ってるが、まあ普通に瘀血だと思う

ひどい症状の時には、カップの中で血がスライム状に固まったりするのでねえ

水療法、温泉

水療法は患部を覆い熱した蒸気をあてるものらしい

温泉は邪気を排出するのだが、邪気が一時的に分離上昇して、上部に鬱結をおこし、卒倒死することがあるので、注意という

紅療法

紅の濃液を小指大の棒で、左右どちらか一方の後頭頂門から首肩胸背(多くは一方のみ)に塗る

これが興味深いな

参考:山下紅療法

著者は棒あん摩、紅液は滑りを良くするためのもの、と考えている

これですごい色んな病気を治せたようで、体験例を集めた章がある

運動

深呼吸

岡田式など

冷水浴

この民間精神療法シリーズで、冷水浴を強調してるのは初めて見たかも

神経が寒く感じればそれでよく、全身を本当に冷やしてはいけないという

 

紅療法は山下常行が祖である

脊髄労、脳病、胃病、中風、神経痛、リウマチ、脚気・・・