アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

わざとすべてを醜くします、コロナ騒動を振り返る

ソーシャル エンジニアは、ユーザーの士気をくじくために、わざとすべてを醜くします|あかいひぐま|note

悪魔教徒にとっては、美は醜であり、醜は美である

企業メディアを調査すると、すべてが時間とともに徐々に(シャレにならないほど)醜くなっていることに気づくだろう。

そして、より虚無的になっている。そして、より絶望的になっている。

建築でも、音楽でも、そして人間そのものでも、美的な美しさはもはや美徳ではなく、まったく逆である。

肥満はフェミニストの勝利として販売されている。可能な限り非人間的に見えることが、主な美的目標である。ネオンヘアはもはや左派の美の基準を覆すものではなく、基準である。仲間の嫌悪のメカニズムに働きかけることは、ホワイト・パトリアーキー™やその他に対する勝利となる。顔の入れ墨はニューノーマルです。

あらゆるものを醜くすることは、伝統的なものを意図的に流用し、それを卑猥で粗雑な、スカトロなディスプレイへと変質させることと密接に関係しているのだ。

同様に、ドラッグクイーンも、デザイン上、美しくありません。彼らは女性の美しさを意図的に漫画のように模倣しているのです。

ドラッグクイーン:女装で行うパフォーマンスの一種

衝撃的なほど醜いということは、革命的な反抗の行為である。その目的は、ホワイト・パトリアーキー™の顔に唾を吐きかけること、そしてその先にある人間性という概念そのものに唾を吐きかけることです。

このミレニアル世代の女性は、TikTokで自分の代名詞はbug/dirt/itであると宣言しています。彼女は自ら進んで自分の人間性を消し、これをエンパワーメントと勘違いしているのです。

これは助けを求める叫びだ。しかし、たとえ彼女がセラピストのところに行ったとしても、彼/彼女はおそらく、真のイデオロギー的連帯のために、あるいは訴訟やキャリア自殺を避けるために、彼女の馬鹿げた代名詞を肯定してしまうでしょう。彼女が参加しているオンライン・コミュニティもまた、自分たちの美徳を示すために、彼女の人間離れした代名詞を肯定するだろう。

このように、LGBTQ+++™カルト、そしてより広範な左翼は、軍隊の軍曹のように、時間をかけてメンバーのアイデンティティを破壊していくのです。個人の人間性は、集団の一員となるために犠牲となるのです。

美の破壊と神聖なもの(この場合、性的結合)の嘲笑が、MSMがポルノを「芸術」として積極的に擁護する理由である。

ここで、インターネットのMSNBC、The Young Turksは、ポルノを文学、詩、彫像になぞらえ、その制作を創造行為として奨励する。

しかし、ポルノはアートではない。むしろ、人間の最も卑しい本能を、複製可能で消費可能な最も粗雑なグラフィックフォーマットで描いたものであり、間違いなく反芸術なのだ。

一般的に言われているアートの定義は、「想像力と技術で作られた美しいもの、重要な考えや感情を表現しているもの」です。ポルノには、超越的なものや本質的に意味のあるものはありません。想像力も技術も必要ない。最も永続的な感情的報酬は、確かに、自分を堕落させたことへの恥です。

真の美は、人生をより生きやすいものにします。真の美は人生をより生きやすくし、苦しみを耐え抜くことを可能にする。美の鑑賞は、日々の生活の平凡さを超えた超越である。美を追求することは、人生に目的を与えてくれます。

このどれもが、企業や、皮肉にも自らを「反ファシスト」と名乗るその無意識の足軽たちの利益にはならないのです。

ジョーダン・ピーターソンは、アンチファがなぜこれほどまでに忌まわしい行動をとるのかという質問に対して、彼らは「存在するという罪に対する神への復讐」を実行していると主張し、かなりの軽蔑と嘲笑を受けている。

これは悪魔教を自白している

 さて、そうは言っても、悪魔教の価値転倒に対して戦うのは、私には賢いように思われない

「美があってこそ醜があり、醜があってこそ美がある」という相互依存性は二元性の本質なのだから

放っておいて、中立性に立つのが賢いだろう

 

コロナ騒動を振り返る|中村 篤史/ナカムラクリニック|note

どうやら今年、いよいよコロナが終わる。世界的にはすでに2022年後半ぐらいからほぼ終わっていたけれども、恐らく日本でも2023年にはコロナが終わる。でもそれは、「コロナが収束したから」というよりも、「予定だったから」終わる、単にそれだけのことだろう。
実際、ビルゲイツは2020年時点ですでに、「少なくとも2022年まで」と言ったていたし、あるいは、「2023年には終わる」と言っていた。

2022年後半か2023年か、細かいところは状況次第だろうけど、大筋でそのあたりでコロナを終わらせることは事前の計画だった。

まあ、コロナは終わるのかもしれないが、似たようなパンデミック騒ぎを再び起こすことも連中の計画にはあるようである

さて、2020年に始まったコロナがもうすぐ終わるとして、この3年間、誰がどのようなことを言ってきたか、ということをきちんと検証する必要がある。

このさざ波を、大惨事だと煽りまくった奴は一体誰だったのか、誰が恐怖を煽り、stay homeなどと自粛を勧め、マスクを推奨し、ワクチンを礼賛したのか。
コロナが終わるにあたって、総括をしていく必要がある。一体誰が正しいことを言っていて、誰が間違ったことを言っていたのか。
僕は曲りなりにこの3年、コロナ関係の情報を追いかけ続けてきたけれども、この総括は僕一人の力では当然できない。この3年間、一般のマスメディアおよびネット空間に、膨大な量の情報が飛び交った。あまりにも膨大なので、何をポイントに総括するかで、百人百様の語り口があるだろうし、そもそも完全な総括は不可能だろう。

しかし、大昔のことではない。2020年。たかだか3年前のことである。関係者の多くは生きている。たとえば上記のグラフについて、各人の見解を求めるといい。「グラフを見ると、ワクチン接種をしたことで初めて”本当のコロナ禍”が始まりました。これについてどう思いますか?」
こういう総括は、後世へのけじめなんです。

総括をすべき、というのはまさしくその通り

だが、現実には、なあなあで進んでいくだろう

これがいつものパターン

また、コロナが終わったからと言って、またコロナ以前の社会に戻るのかといえば(この人はそうなると思ってるっぽいが)、それも無いだろう

けじめをつけてる暇もない、悲惨な後世を私は予想している