アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)家族評価 ボーエンによる家族探求の旅・その三

分化の程度が低く、慢性不安の平均レベルが高い人ほど、関係過程に適応することやそれに応じた自己強制をすることにより多くの圧力をかける

圧力は人の情動的反応性から発生し、協力関係を改善するための妥協が必要であるとする熟慮した認識から生まれるものではない

集団の不安は、特定の関係により多く表出され、また特定の人により吸収される

この不安の「区分化」は、集団全般の不安レベルを軽減することによってその集団を安定させる

システムの柔軟性を増大できる活動は、広範囲でしかも長期的な状況評価に基盤をおいている

相手を変えようとするより自己変革に焦点をあてること、その場の不安を軽減する行動をとらない能力

安易に相手を助けない能力とでも言おうか

・初期の段階では大半の関係は、一体性に固着する程度に関わらず、かなりリラックスして均衡が保たれている

しかし、このような理想的状況はいつまでも続かない

関係の悪化が始まる時、程度や規模は、分化レベルに強く影響を受ける

・不安を拘束したり吸収するための適応や順応、相手が欲するように考え・感じ・行動し・「集団の羅針盤」に従う圧力

これは個であることにエネルギーを注がず、相手に応じることに多くのエネルギーを注ぐことを意味する

個としての部分が小さくなると、集団の圧力に屈服することがより多くなり、また自分の考え方を相手に押し付けようと試みる

・情動的親密さによって得られた心地よさは、情動的距離によって得られた心地よさとは対照である

情動的な距離によって得られた心地よさとは、面倒な関係から距離をおくと不安が軽くなるみたいなこと

慢性不安が増大すると、情動的な距離はますます関係の顕著な特徴となる

・情動的な取引、相手の願望に自己を合わせるために個体性あるいは自己を少し放棄する

この調和の「代償」といて関係均衡は一体性により移行する

「代償」だとするのは、関係は「情動的蓄え」ないしは柔軟性を幾分失うからである

ストレスの増加は、関係における不安の増加や妥協を求める圧力の増加を意味する

ストレスを軽減するために他者との接触を制限すると、その関係は「情動の繭」となるだろう

これは、一方が死ねば残された人の機能が急速に低下する状況である

主にカップルの話

・調和の取れた「情動の繭」とは正反対の過程に相手の順応を求める圧力に意志強固に妥協せず抵抗する形態がある

結果、不調和を招く

分化レベルが低い人ほど、より独断的になり、不調和が顕著となる

人が自己流に物事を望む相手を非難することは部分的に正しいが、支配しようとする各人の圧力はまた、支配しようとする相手の圧力に対する反応でもある

不安は、相互作用の中である程度行動化されたなら、個は自分の内部にその不安を吸収しない

葛藤が大きくなると、その関係は症状を持つ

・妥協する人は、相手を喜ばせ、相手に責任を感じ、相手に比べて不適格であると感じようとしているかもしれない

周囲の不調和を和らげるためにかなり自動的に自分自身の機能を調節する

適応度の低い人はしばしば、相手が調和を維持するためにいかに順応しているかに気づいていない

慣れてしまっているため、この過程についてほとんど考えたことがない

より適応する人が自分の価値や意見に自身がないのと対称的に、適応の低い人は自分の見解が正しいと過剰に思い込む傾向にある

より適応する人は関係で自己を「失い」、適応の低い人は関係で自己を「獲得する」

現実には両者とも、システムの一部となることで自己を「失う」

圧力に多く屈服する人は、関係の調和を促すが、自己の中に不安を「吸収する」

二者間に不和が無いようにみえても、不安は実際には消滅しているわけでない

分化レベルの低さに応じて、不安は必ず一定量ある、というわけだ

二者間に目に見える不和や葛藤があれば、それは二者間の不安を示している

二者間が調和していても、不安がどっちかに吸収されて目に見えないだけである

人は、吸収された不安に対処するだろう

表面上上手くやりながら、内的に距離を取ったり従順でない、従順だが慢性疲労で眠い状態

関係から「自己を獲得した」相手も自動的な内的処理をするだろう

エネルギッシュになり、今以上の責任を果たすようになるかも、「自己を喪失した」人の機能に対する責任

適応の低い人の過剰機能は、適応生の高い人の過少機能と互恵関係にある

こういうのを「エネルギーを吸われている」とか言いそうだ

しかし、それは甘えた言い方であって、「自らエネルギーを差し出し吸わせている」と評すべきかも

・分化レベルが低い人ほど、不安を軽減するために適応しようとする圧力が高まり、システムの中で自己を諦めることに応じた内的な調整がより顕著になる

そして、この調整によって臨床上の症状が出現する可能性は高くなる

・十分に分化した関係は、外的な出来事で重大なストレスを受けた時のみ、臨床的症状を引き起こす

十分に分化した関係に比べると、中程度に分化した関係はわずかなストレスと不安で症状を示す

分化が乏しい関係では慢性症状、ストレスが加わると慢性症状は激しさを増す

分化が非常に乏しい家族では、家族数人に慢性症状がよく見られる

分化という概念は非常に便利だろう?

分かりやすい

・過食・食欲不振・過剰達成・過少達成・過度のアルコール・麻薬の常用・情事のような関係は不安に対処する試み

慢性精神病と抑鬱は過剰に自己を諦めた症状として考えられる

身体的病気を患っている人は、しばしば不安を吸収している

目的なく万引きする人はしばしば「過度に」自己を諦めてきた不安な人

不安がある一定レベルに達すると、人は万引きするが、通常それをする理由を説明できない

後で詳しく出てくるが、不安は身体的症状・精神的症状・行為的症状になる

素人目には全く関係ない事柄に見えるが、家族システムズ論によれば本質的に一緒であり、「不安」の表現である

・症状が個人の機能を安定させると同様に、症状を示す人は家族を安定させる

症状が重症の場合、個人と家族は安定するよりも不安定になる可能性が高い

・ある意味では、家族間に存在する関係上の基本的な問題に直面するよりも、慢性症状をもって生きるほうが容易である

誰も家族の誰かが病気になることを望んだりはしない

積極的に望んではいないが、消極的に容認している、という感じ