アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)家族評価 ボーエンによる家族探求の旅・その二

情動的意義とは、人は他の人が考え・感じ・語り・行動することに、情動的・感情的及び主観的レベルで影響を受ける、また他の人が考え・感じ・語り・行動するであろうと想像したものから影響を受けることを意味する

個体性は自ら考え・感じ・語り・行動することに動機づけられていることにも、また他の人が同じように考え・感じ・語り・行動することについて無関心でいることにも表れている

「粗野な個人主義」と服従は表裏である、「粗野な個人主義」はいいなりになるのと同じくらい相手に反応して機能する

人の個体性の発達程度は、主に学習に影響を受ける

後天的なものによるということ

より未発達な生命体の関係は情動反応に直接支配されるが、人間では感情・主観性・客観性のレベルで作用する過程もまた重要である

人間は事態を客観的に観察し、単なる反応よりも賢い振る舞いができるだろう

但し、その人がある程度以上の分化レベルを持っていればだが・・・

 

分化レベルの低い人ほど、関係に縛られるエネルギーの割合が大きい

分化レベルの高い人ほど、自己の機能に費やされるエネルギーの割合が大きい

分化が低ければ、個体性は十分発達せず一体性の欲求はより強い

分化の非常に低い人の場合、個体性は実際にはない

その人の情動反応は容易に引き起こされ、自立した一人の人として振る舞う心理的発達はほとんど見られない

この人の一体性への欲求は、再優先され、愛されること、受け入れられること、人生の導きを受けることへの強い願望としてある

分化の非常に低い人の場合、自律機能の能力が全く無い

このような人は情動上重要な関係に積極的に関与しない限り、人生を効果的に調整したり、情動的幸福感を達成することが非常に困難となる

この人の機能は関係に巻き込まれると、相手との間に発生したものによって全面的に支配される

前述の場合よりも分化レベルがほんの少し高い人、関係が発生すると、彼はほとんど完全にその関係の中に融合されてしまうだろう

その関係はアイデンティティと強い自己価値を提供するので、彼を「完全にする」ことができる

十分に分化の高い人は関係に関与しなくとも、人生を効果的に営み、情動的幸福感を獲得することができる

・分化の目盛り0〜100

分化の低い人0〜10、平均的な人40、十分に分化が高い60以上

・自律性とは自らの指示に利己的に従うことではない

それは自己決定能力を意味している

自己決定は集団の最善の利益をもたらす選択を可能にするだろう

・十分に分化の高い人は、他者からの一体性の合図に敏感に応ずる

しかし、その合図に応じて行動するかしないかはしっかりと自己決定されたものである

分化尺度の最も低い極に位置する人は、その時点での関係過程に100%自動的に応ずる

知能指数の高い人がより自立機能の能力を持つことを意味するのではない

分裂病の人が高いIQを持っていることがある

分裂病は分化レベルが極端に低いものの代表である

 

すべての関係は均衡状態にあるが、その柔軟性は分化が低くなるにつれて低下する

分化が高くなれば、状況の変化に応じて順応できる

分化が低くなるにつれ、人の機能や幸福感は関係に依存する度合いが高くなり影響を受けるということから柔軟性のこのような低下が結果として生じる

関係において情動機能の相互依存が増すほど、人は互いに脅かされる感情に過敏になる、情動的幸福感に対する脅威

人の幻想の内容は、関係均衡の傾きによって強く影響を受ける

精神内界と対人関係過程が連動システムとなっている

・不安は「不安を感じる」という言葉で伝達されるもの以上に遥かに深い過程である

不安の大部分は意識されていない

関係の情動的相互依存が強くなるほど、人は容易に脅かされ、不安をより多く体験し、ますます多くのエネルギーが不安を軽減するための行為に費やされる

不安の引き金になるものを避けるための行為を強いるほど、関係の中での柔軟性が低下する

潜在的あるいは顕在的な葛藤は、自分の要求を「より強く正当化する」人に生じる

これは、非常に高い分化レベルの二者間では起こらない

十分に分化の高い人の個体性は、その人が自ら責任を負い、自分の不満から相手を責めることのないレベルまで発達する

・人が情動反応を否定したりその反応を相手のせいにしたり、自分の内部の情動反応性を軽減するために他の人々を回避することは、情動的に支配された過程であり、これが関係の柔軟性を損なわせる

・分化が低い場合、一体性の欲求や情動的反応性がより強く容易に引き起こされることになり、主観性に基づいた態度がさらに影響力をもつようになる、したがって不安が発生する可能性が高まる

非常に低い分化レベルの人は、関係に纏わる不快感を回避するためにあらゆる関係から遠ざかるかもしれない、路上生活者

情動的環境に対する彼らの鋭敏な感性からの「隔離」は、精神疾患アルコール依存症・薬物依存症によって達成できる

少し分化程度の高い人は「関係遊牧民」となる、距離の取れる激しさの少ない関係ネットワークを上手く維持できるかもしれない

中程度に分化した二人は、分化の高い人たちと同じように自分たちの関係を居心地の良いものと考えているが、関係の柔軟性はあまりない

中程度に分化している人は穏やかな均衡の中で関係を持つ一方で、その均衡を脅かすような言葉とか行為に過敏になり、より分化した関係と比べ高い平均レベルの慢性不安を長期に引き起こす

・関係の未分化が大きくなるほど、人と人との境界がだんだん曖昧になる

境界が曖昧になるにつれ、不安はますます強い感染媒体となる

境界線が曖昧になるにつれ、互いの情動的幸福を高める方法で考え・感じ・行動することへの圧力が増大する

境界が曖昧になっていった果てに統合失調症がある

・分化が低い人ほど、相手が幸福感を与えてくれることをあてにする

この期待はどちらの人の与える能力をも容易く上回ってしまう

関係の多くの面に飽きて、不満を持ち始めると同時に、関係に縛られていると感じ始める

・分化レベルの低い人ほど、互いに相手に巻き込まれるようになり、しかも互いに相手から逃れようとする衝動を慢性的に持つようになる

一体性に向かう力は不安を軽減し、幸福を供給してくれる愛着へと人々を駆り立てるが、関係の圧力や不確実性は不安を引き起こし幸福を低下させる

・家族システムズ論で言う不安を拘束するということは、動物に見られる縄張り、支配階層、身体的な距離を保持する不安軽減の機能と同種である

家族システムとは人間的なものではなくて、動物的なものである、とも評価できよう

ゆえに、家族システムに囚われている人は、人間ではなく動物、一種のサルと見なすべきなのかもしれない

 

補:

ここで言われているのは不安は個人ではなく関係(家族、家系)に帰属するということである

哲学において「不安」と言えば、キルケゴールの「不安の概念」だ

これは、完全に不安を個人に帰属するものとして扱っている

さて、キルケゴール自身、極めて不安の強い人であったであろうと思われるのだが、彼の家族はどんなだったであろうか?

知られているところによると、キルケゴールは父親が女中に手を出して孕ませて出来た子供で、しかもキルケゴール自身は22歳?になるまでをそれを知らされなかった

というわけで、誰がどう見ても立派な機能不全家庭であり、そこには大いに不安な雰囲気が渦巻いていただろう

しかし、キルケゴールは自分の不安がそこら辺に根があるということに、いまいち気づけなかったように思われる

ここらへんが、不安を取り扱う際の哲学の限界かもしれない