これはやや前に読んだ本ではあるが、今同じく浅野和三郎が書いた「心霊講座」を読んでいて、その前座として記事にしといてもいいな、と思ったので書く
前提を二つ
まず「スピリチュアル、スピリチュアリズム、心霊主義」について
このブログでは「スピリチュアル」という言葉をオカルト的なもの全般を指す、広い意味のものとして使っている
神社の神様もスピだし、寺の仏様もスピだし、宇宙人もスピだし、妖怪や妖精もスピだし、超能力もスピだし・・・
私の言語感覚的には、世間一般で「スピリチュアル」と言ったらこの程度の意味だろう、と思う
しかし、狭義の「スピリチュアル」ってのがあって、そちらに言葉の歴史的正当性がある、というのを認めるに私は吝かではない
https://ja.wikipedia.org/wiki/心霊主義
WIKIは参考としてあげておくが、分かりづらいかな
私の理解としては、ニューエイジ前、つまり19世紀〜20世紀初頭ぐらいの交霊会の不思議現象及びチャネリング・自動書記により思想内容、を狭義の「スピリチュアル、スピリチュアリズム、心霊主義」であると考えている
次に浅野和三郎について
https://ja.wikipedia.org/wiki/浅野和三郎
私の感覚だと、明治時代とかの当時のインテリってのは、非常に真面目で、「何が何でも西洋に追いつけ、でないと日本は落伍する」って意識を持って、外国の社会制度や学問というのをしっかり勉強し、それを勝手な解釈とかしないで、きちんと外国で論じられているままのものを日本に持ち帰って来る、ということをやった、という印象がある
その役割を、心霊学においてやったのが浅野和三郎、だと私は思っている
ということは、どういうことか?
狭義のスピリチュアリズム全体について知りたければ、こいつの本を読むと良さそうだ、ということである
というのを踏まえた上で、「神霊主義」という本について
この本は、浅野和三郎が降霊会の不思議現象を概観しつつ、当時の霊界通信(チャネリング)の内容をまとめたもの、と評価していいだろう
一応、最後に彼自身の意見・考えが書いてあるけどね
ちなみに、「心霊講座」って本も、狭義のスピリチュアリズム全体を概観するような本である
但し、「神霊主義」は割とコンパクトにまとまっているのに対して、「心霊講座」は分厚いし字も小さめ
ということで、「心霊講座」の方が詳細に論じられている
この本についても、後に記事を書くつもりである
この本の立場、彼の立場(、及び、彼の立ち上げた協会を受け継いでいる人達もそうかもしれない)は、以下のようなものだ
・交霊会で起こる不思議現象というのは十分に調査され、それが本物であることは実証されている
・しかし、不思議現象それ自体には大した価値がない、それは(高級)霊が本当にいて人間に通信をしてくれる、ということを示す、という点での間接的に価値があるのだ
・今や、不思議現象が実証され、高級霊の通信があるということが納得されたのであるから、高級霊の通信の内容に着目すべきである
・高級霊の通信内容に従って、人生を生きていこう
まあ、こんな感じだろうかねえ
この頃の霊界通信・チャネリングは道徳的に高尚な思想内容が多くて、「他人の事なんぞ気にしないで、ワクワクすることをやってりゃいいんだヨ」みたいな内容は皆無である
いやー、しかし、「神霊主義」を読んだ感想であるが、浅野和三郎は・・・まあ、非常に楽観的だよ
・交霊会で起こる不思議現象というのは十分に調査され、それが本物であることは実証されている
これがさあ、もう、超楽観的だから・・・
我々は今2019年を生きているわけだが、「当時の交霊会で起きた不思議現象はどこに行っちゃったの?もはやスプーン曲げとか、ESPカードとかすら聞かないけど」って感じしかしないよね
でも、浅野和三郎はこんな感じのことも書いている、「とは言っても、本を読んだだけでは納得しないのも無理はない。私の下に現象を起こせる霊媒がいるので、見せてあげましょう。私の所にいらっしゃい」、なんてね
だから、彼の当時の環境では、交霊会の不思議現象及び霊界通信によって恒久的に人類の霊的問題は解決した、って本気で信じても無理はなかったんだろうねえ
後の時代の人だから当たり前ではあるが、笠原敏雄(の「抵抗」の考え方)の方が遙か先を行っている