言葉遣いや表記が昔風であるが、まあ普通に読めるレベルだろう
結構分厚い本で、文字も小さい
というわけで、色々と詳細に語られている本である
当時の色んな霊媒がこんな現象を起こした、あんな現象を起こした、ということがそこそこ詳しく、かつ、まとめてあって通覧できるような形で書いてある
狭義のスピリチュアリズムの思想内容に全然興味がないとしても、これらの心霊実験紹介を読み進めていくだけで、普通に「へー、こんなことがあったんだ」って感じで面白いと思うよ
・・・で、適度に省略しつつ、内容が分かるような記事を書こうかな、と思っていたら・・・、スゴイのを発見
心霊講座の目次:http://www.books.x0.com/course/contents/cont00.shtml
こちらのサイトで全部読めちゃうっぽいね
これはありがたいわ
私の読んだこと無い本もあるみたいなので、読ませていただくとしよう
以下、内容をピックアップしつつコメントする
http://www.books.x0.com/course/page/page0308.shtml
兎にも角にも私は現代人が新らしき科学の入口――そして恐らくは新らしき時代の入口に立ちつつあることを確信するのであります。何人に取りても最早もはや此等これらの心霊現象を拒絶若もしくは否定することは不可能になりました。最早もはや一片の巧妙な詐術であるとして之これを排斥し得なくなりました。
・・・若しも之を受け容れることになれば生命と死とに対するわれわれの態度を根本的に一変し、われわれの科学とわれわれの哲学とを全般的に変更することを意味します。
・・・何が何でも結局真理が最後の勝利を占めます。真理を押退おしのける方法は何所にもなく、又真理を恐れる理由は何処どこにもありません。
こういう態度が甘いってんだよな
2012年前のニューエイジ連中並に甘いよ
真理が最後に勝利を占める、という考えは、真理は半永久的に負ける、と言ってるのに等しいように私には思われる
これをきちんと考えると、笠原俊雄の「抵抗」の発想に至るという感じかな
http://www.books.x0.com/course/page/page0405.shtml
即ち吾々の思念が丁度光線のような具合に乾板のフィルムの上に作用する結果形像が現われるのだというのですが、それは多くの場合に当てはまりません。若しもそうならばどの乾板にも万遍なく感光する筈ですが、そうでないところを見れば、この説は、
で、だんだん心霊写真に関する沢山の実例を調査して考察を重ぬることになりますと、何うしても人間以外の死者の霊魂を仮定せねばならぬことになるのであります。
この論などは、笠原俊雄の言う所の超心理学界における、超ESP仮説VS死後生存説、と考えてよかろう
浅野は断然、死後生存説である
これはどうしてかな、ということでフト思いついた
浅野はもろに狭義の、宗教としてのスピリチュアリズムである
これはつまり、本当に霊というものがあり、霊界があり、そこには階層があり、そこの上にいる霊があり、そいつらの教えが真実だ、という宗教である
とすれば、死後生存説を採用しないと、宗教成立させるための論理が成り立たない
そういうことかな?
http://www.books.x0.com/course/page/page0505.shtml
・・・カアゾン卿は自分が今でも立派に生きていることを、政界の知友等に伝えてくれなどと言い、
現代のスピリチュアルにおいて、やたらに、妙に「守護霊」というものを強調する人がいる
私はそれがどうもよく分からなかったのだが、詰まる話、「守護霊」というものの元ネタというのはこの交霊会時代のスピリチュアルってことでいいのかな?
我々が生きている物質界とは別に霊界があって、その霊達からは物質界の成り行きが人間よりもよく見える
それで、その霊達は物質界の人類の成り行きを心配して、あーだこーだと助言をくれる
こういうものを大事にしないといけない、という信仰が出てきそうである
霊界の連中が生きている人間を導いてくれる、って発想だな
西洋のスピリチュアルで守護天使ってのが出てくるけど、あれはちょっとこれとは違うのかなあ?
天使って言っちゃうと、聖◯◯エルってやつだからね
一応ここでは人間が死んだ所の霊、霊魂って限定がつきそうな感じ