アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)新・日本神人伝、その四

出口王仁三郎

明治以降の鎮魂帰神法は、薩摩藩出身の神道霊学家・本田親徳が独力で復興したとされている

第一の弟子が長沢雄楯、第二の弟子が副島種臣で、喜三郎や友情歓真は長沢のもとで学んだ

ここらへんは色々大本で幹部が脱退する際のイザコザの原因になったらしい

王仁三郎は、長沢に会う前に、幽界で本田から教わっていたとかなんとか

喜三郎に「西北へ行け」というメッセージが下る

一方で、出口ナオの所では「私の身上を分けて(審神)くれる者は東から出てくる」というメッセージを受け取っていた

しかし、初対面は不調のままで終わった

当時は国家公認の教団に所属していないと宗教活動が出来なかった

ナオは金光教に所属していたが、そこでは自分にかかった神を世に出してくれない

艮の金神(出口ナオ)川手文治郎にかかった金神は、同じ金神でも託宣の内容が全く異なる

その後、ナオの考え違いを諌める筆先が、相次いで現れた

周囲から反対されるも、ナオは喜三郎を招く

この時から、喜三郎に対する反対は続く

教団の内部は麻のように乱れ、権謀術数や嫉妬の渦巻く修羅の巷という状態が、明治年間を通じて続いた

明治三十四年、幹部によって軟禁、さらに暗殺未遂事件まで起こった

結構凄まじいことになってるな

明治三十五年、王仁三郎が抜ける

教団を経営していく才覚はナオ、追い出した役員にもなかったから、明治四十一年、王仁三郎を呼び戻した

けれども、それで一部幹部らの反発や抵抗が鎮まったわけではなかった

身ぐるみ剥がされて再度一室に軟禁されたり、「霊界物語」の前身である著述五百余巻を焼き捨てられるなど

その間の経緯は「霊界物語」三十八・三十九巻に詳しい

開祖のナオが古参幹部を抑えきれなかったというのではない

ナオ自身も、王仁三郎の霊的ポジションについての理解が行き届いておらず、改心を迫ったり、ときには不信感まで示していた

王仁三郎のが目指す仁愛による世界の立替え立直し(神素盞嗚大神は、厳格な天照大神方式を指向するナオとは著しくことなっており、一つの教団に船頭が二人いるような状態が長らく続いた

大本では「火水の戦い」と呼んでいる

二人がチャネリングしながら言い合いをしてたらしい

大本では、艮金神=ナオが地上霊界の大革命の主役と理解されていたが、王仁三郎は、お筆先の経綸は壮大な仕組みの極一部であり、もっと大きな仕組みは王仁三郎にのみ開示されているという立場を取った(そりゃ揉めるわ)

それを語ったのが「霊界物語

ナオが王仁三郎の神格について自身の神から秘密を打ち明けられたのは、帰幽二年前の大正五年

「先生は、みろくの大神さまじゃと神さまがおっしゃる」

「みろくさまが根本の天のご先祖さまであるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ」

出口ナオが「今までどえらい思い違いをしていた」と認めるまでの大本史は、素盞嗚=王仁三郎が前面に立って活動するまでの「霊界物語」に対応する

また、それを日本レベルに敷衍すれば、大本を迫害してきた歴史に対応し、世界レベルに敷衍すれば、日本が欧米列強にごり押しされた形で「体主霊従」の国を目指して盲進し原爆を投下されるに至る歴史に対応

霊界物語」には、後の日本や世界の動向に関する予言が散りばめられており・・・

この本ではそのような予言については扱っていない

それ系についての本はいっぱい出てるから、そういう他の本を読んでくれ、と書いてある

しかし、それが今の世についてどれくらい有効なのかって話なんだよねえ

あんまりパッとした話は聞かない気がするが

・鎮魂帰神ブーム

浅野和三郎に、鎮魂帰神をやってみせたところ、浅野が一気に傾斜し、猛烈な勢いで大本霊学を広めていった結果のブーム

大本が売り物にしていた鎮魂帰神の実修という言い方は正しくない

先頭に立ってその旗を振り、大本の宣伝に努めていたのは、浅野和三郎

「大本は殆ど浅野の大本であるかの如くになっていた」

・立替え立直しが目前に迫っている猛烈な宣伝活動に打って出たのは、浅野和三郎を大本に迎え入れて以後

運動の中心には、大正十一年立替説を主唱した浅野和三郎や友情歓真ら

当時、世間には、大本を事実上引っ張っているのは浅野和三郎だという見方が広く行われていた

王仁三郎は「地上が泥海になる」とか「世界の人民が三分になる」といった終末観をじつは否定していた

「決してこれを文字そのままに解すべきものではない。すべて内義的、神界的、心霊的に解すべきもの」

ほんとうの意味は「個々の魂の立替え立直し」であると教え、個々の魂の立替え立直しという意味での最後の審判は、もうとっくに始まっていると説いた

んん〜?

「すべて内義的、神界的、心霊的に解すべき」ならば、予言書としての価値は全く無いよね?

一方では予言だと言い、また一方では「すべて内義的、神界的、心霊的に解すべき」とか言うのは、ズルいなあ

友情が大本批判の急先鋒となり、大正十年の第一次大本弾圧後には浅野和三郎が離脱して、艮金神は低級な邪神だという主義に宗旨替えした

 

この本読んでみて、大本の内部の流れなどが分かって良かったよ