続き
さ
ということなので、これをいままで通り続けてください、・・・というわけではないんですね
では、なぜ全くこれで完璧なのに続けてください、とはならないんですか、・・・とは聞きたくならないですか
それがあなた方のいつもの理論ではないですか
「完璧だったらいいじゃないか。何も直すことねえだろ。このままそのまま放っておけよ」ということなんでしょ
ところがです、これが私でない私が「そうではないことに気がついた」と今度は言い出したんです
先程までは私でない私がやりたくてやっている、今度はそれをやめようと言うんです
なぜか分かりますか
それが、「それでいいんだ」が「それでよろしくない」に変わる瞬間、「よろしくない」のではなく、「いいんだ」が終わった形の続きの形がこういうことなんですね
前から言ってますが、何かをお認めになられた、「それでいいんだ。よし、これでOK。最高だ、グッドだぜ」と言った瞬間にそれが役目を終えてしまうんです
つまり、反対のことが起きるんです
あなた方が「これは嫌だ嫌だ」と言ってる内はずーっと続くけれども、「それでいいんだいいんだ。おまえさん何を言ってるんだ、これの何がおかしいんだ、全く苦痛はないでしょ」ということに気がついたならば、それはまさしくそこにいられなくなる、というんです
これも甘えなんですよ
彼ら(現象)は愛されてしまったんですね
お認めされてしまった、その瞬間に彼らは「甘えていればいいんだ、嬉しいな、ラッキー、やったー」という声と共にどこかに言ってしまった、ということなんです
これが、私達にもわからない、この世界の優しさなんです
つまり、ここが甘えの中における役割、なんですね
新しさではない、私達が最初から知っていた至福、なんですよ
だからこそ、私達は何があっても最初から至福、という世界観がこの世界を成り立たせている、と言ったんですね
だからこそ、その至福が表に出た瞬間を見させられたんでしょ
とにかくあなたは分かってないかも知れませんが、甘えの世界の・・・んとね・・・
私に言わせろ
これはお前たちの知らない世界だ
だからこそ、お前たちはこのような世界を何度も見せさせられているんだ
つまり、私が言う所のこれこそが、完成された形のない形がどれだけイカれた話だったのかを確認させるための機会なんだぞ
イカれた話なんだぞ、これは
分かってないんだ、本当に分かってないんだ
何もかもがこのイカれた話から始まっている
だからこそ、最初で最後がそれでしかないからこそ、あなた方がそれを感じる世界はどこにでもあるんだ
これがよくよく見えるのが、そういう悲劇の時にこそよく見えるんだ、というんですね
お前たちは本当に誤解をしていると言ったのが彼ですよ
つまり、所謂役割として彼がどうして馬鹿野郎・糞野郎の役割をしているのか
そこにこそ居やすい場所があるからこそ、彼ら(動物)はいるんだ、という言い方ができるんですね
あなた方からすると、いい事があった時に「そうか、世界はそうやってウハウハだから世界が爆発した(形になった)んだぞ」と思うのかも知れませんが、まさしくそうではなく、それも含まれているけれども、「おまえさん、特別なものというのはこの世界には何もなく、全てが喜びでしか無いんだ」ということをよくよく表すためには、私のような馬鹿野郎・糞野郎・狂った野郎の方がよくそれが分かる、と言うんですね
なぜそれほどの悲劇、あなた方から見ればですね、彼ら(食肉になる牛とか)はとても劣悪な環境で拷問されているような環境であるにも関わらず、私は至福である、という主張をするのか、ということなんです
このことをもってしても、全て全てが喜びだ、ということの例えをするには持って来いなんですね
例えばですよ、戦争の本当に悲劇の中において、それを見出す人がいるんです
むしろそういう人達の方が多いんです
このことに気がつくならば、あなた方の世界がどのようであってもまさしく、ほろほろほろ、ほろほろほろ、私からするとね、甘えているとこんなにも・・・形あるものが嬉しさしか無い、ということに気がつくんじゃないですかと、言葉がおかしくなりましたね、私はもう表現のしようがなくて浮かれすぎているんです、どう言っていいかわからない、とにかく凄い嬉しいんです、ということなんです
だから、あなた方は本当に安心してください、と言いたいんだけど言いたくないの分かりますか
つまり、あなた方にダイレクトに感じてほしいからなんです
私が何度言葉で言っても、どう言っていいのか分からないので言葉が詰まっているのもありますが、・・・それをあなたが直接感じた時に、「コイツ頭おかしいな」というくらいに本当に嬉しさしかないんですよ
まー、私もちょっと興奮してしまいました
本当にあなた方にこれを伝えたいんです
そういう糞悲劇、もうどうしようもない時にこそ、その形をもたらしたものを見るチャンスなんですね
おもしろいでしょ
あなた方の中で「世界の根本は苦しみだ」という発想を持つ人も多くいらっしゃるんです
所謂性悪説のような発想をもって、この宇宙の始まり・習わしというものを捉えている人がいかに多いのか、ということなんです
これが、もちろん証明や解説がなかなか出来ない話なんだけれども、絶対的にこれが私達の知っている・・・嬉しさ、なんていうかな、嬉しさとしか言いようがないんだけれども、素晴らしさ、なんですね
とにかく、そういった目でもって、この現実感をちょっと観察して欲しいんですね
「これのどこがそうなんだ、こんな糞つまんねー世界のどこがそうなんだ」もしくは「こんな糞だるい、こんな悲劇の多いそうしようもない世界の何が嬉しくて、あんたそんなこと言ってるんだ」という感触でいいんです
じゃあ、私だったらどう見るか、というあなたなりの見方をした時に何が見えるかということを見て欲しいんです
私と同じ結論になるか、「いや、やっぱり根本的な何かがおかしかったから、この世界はこうなったんだ」という結論を見るか、私はいいたくはないけれども、私の勝ちは決まってるんですよ
何を見ても、何を聞いても、何を感じても、嬉しさしか無いんです
前にも言ったかも知れませんが、あなた方は少々そうじゃないという意味の分からないことをもたらされているんですね、その悲劇という苦痛を
それが私ということなんです
それが私の正体、と言ってもいいですね
ただこの私があったからこそ異なった喜びというのは確かにあったんです
だから私に価値があるというのは当然のことですね
けれども、もう私はいいや、という感触がある人には、それがラクではない物語だったのだな、ということに気がついてもよろしい、ということを言ってるんですね