さ
Mさんがもうひとつ質問があるというんです、優しさについてなんです
Mさんに私達がいつも、優しさが何か良くないものであるかのような言い方をずっとしてきたんです
この人は何か、とても優しい世界を望んでいて、自分もそうありたい、人にもそうして欲しい、ということをよく思っていたんです
それについて私達はいつも「そんなものは邪魔くさくないですか」とか「そんなものをなんであなた方がやる必要があるんですか」、「何かあまり良くないことが起きそうですよ」という不吉な感触がするようなことをMさんに対して言っていたんです
それに対してMさんは常々引っかかっていたんです
「なんでさやかは優しさというものを否定したがるのか」ということをずっと思っていたんだけど、なぜか面と向かって聞く気にはなれなかった
ただ、ここ最近暇すぎて「そろそろこれも聞いてみようかな」って感じなんですね
さて、私達がどうして優しさについてあたかもあまりよろしくないような言い方をしてきたのか、あなただったら分かるかも知れません
優しさというのは一般的にはよろしいとされていますよね
けれども、あなたの感性からすると、同情はよろしくないという感性を持っているあなたならば、この形がよろしくないと言いたげな私達のことが分かるのではないか
それについて解説をしてもらえませんか、どうでしょう?
S
同情というのは、同情する対象の他者が弱いものだという風に見ることであり・・・
ニューエイジ的に言うと、思念は現実化するから、つまりその人を弱める思考の力の使い方である
まあ、そういう感じじゃない
さ
ありがとうございます
本当によろしい回答でした、私もそのように感じていたんですよ・・・とは言わないんです
S
あっそう
さ
私達の感触は少々異なっているんですかね
私達の言いたいことを言いますね、これは簡単に言うと、「私はあなたではない、以上」だからなんです
これだけの理由だったんですね
優しさというものをMさんが感じたい・感じさせられたいという時に、それは「あなたは私ではない」という観念を強めていますよ、というただそれだけの理由のために私達は否定的なことを言っていたんです
あなた方の関係性が全てそういうことを表しているという象徴的な形が優しさ、同情、思いやりというようなものなんですね
これをいいこととしていることがまさしく問題だ、と言ったのはそういう意味なんです
悪いこととして「私はあなたではない」と言っているならばそのことに気が付きやすかったんだけれども、それがいいこととして続いている内は延々にそれがまやかしのものだということに気が付かせない仕組みが続く、ということに気が付かせたくて、Mさんに「それは考えたほうがいいですよ」「それは本当のことではないですよ」と言っていたんですね
それだけの話なんだけども、これは、あなた方の理想とする社会をどうすべきかという問題と同じような形を持っているんです
まさにあなた方の求めている社会は、一般論で、そういう社会ではないですか
思いやりのある社会、助け合う社会、ということなんです
これを改めない限り、あなた方のその分断された社会は永久に続くんです
結論から言うと、理想の社会でも何でも無い、ということなんです
これに気が付かない内は、あなた方は明後日の方向を目指し続けることになるんです
私は悪いとは言ってないんです、けれどもあなた方が求めているような社会には成り得ない仕組みは続きますよという意味で言ってるんですね
但し、「でもね、短期的にというかその場しのぎ的にというか、目の前に困っている人が居たらそれは助けたっていいでしょ?」、もちろんそうです、そうしてあげてください
但し、それを長引かせるような感性、「あなたは私ではない」という世界観は必ず「馬鹿野郎」の世界になるんですね
反転する可能性があるんですよ
いつもそれが表・裏ということなんです
ですから、「こいつは糞野郎だ」と「ああ、この子可哀想だね」というのは一緒の話なんですね
これを一緒と見られるか、ということを私は強調したいということでした
「私が私を知っている」という世界にしたいのであれば、その思いやり・優しさ・助け合いというような、あなた方が「こういう社会はいいだろう」というようなことは必ず考える必要があるし、そうしなければならないテーマでしたね
愛、どうですか?
S
ん?
さ
同じようなことだと思いませんか?
S
そうだね
さ
私が言っているのは、そのような意味も入っていたんです
だから、愛というよりも、全面的にその中にどっぷり・べったりいる、一つという感触の強い言い回しをしたくて、甘えん坊ということなんですね
M
甘えん坊と言ったって、それだって対象があるだろ
私が誰かに甘える、ということだろ
さ
まあ、そう言ってしまえばそう言ってしまわれるのだけれど、感触としてですよ、甘えん坊というのはおまえさんの甘えが誰かに対してではなく、自分の中で完結しているような、簡単に言うと勝手感があるんです
これが、甘えらしさというか、甘えたる所以なんです
お前たちをどうこうしようじゃなくて、甘えているというこの感触があなた方の今までの愛という言葉とは異なっている、ということを言いたかったんですね