さ
「私がいる」と「私の役割は何か」は同じ声として聞いて欲しいんです
あなたがいないということは、あなたの役割がない
あなたに役割がなくてもとても安心していられるという感性を持った時に、何も望まなくなる
あなた方が思い描いてるような世界は訪れないんです
甘えのない世界は死の世界なんですよ
あなたが満足するのはあなたの名前のない世界、企みのない世界があなたを幸せにする
何か質問してください
S
自我ってのは企みなの?
さ
ノーノーノー、それは違います
企みという字は何かを「止」める
あなたが流れを無理に止めて作りあげたのがこの世界なんです
あなた方の幸せな形ある世の中は企みからしか生まれてない
どんなことをしても形ある世の中で満足は出来ない
形を作ったことがそもそも不可思議、不自然
何もない所から幻を見せているんですよ
その幻を良くしてどうするんですか
「話には聞いているけれどもリアルに感じてるんだから、幻ではない、ってことにしましょう」ってことにしてるんじゃないですか
この感性がある限り、幻をよくする企み、企てしかない
幻自体に何の意味もないんです
そこが分かったならば、この幻はどうにでもなるんです
そして、どうでもよい幻なんですね
どうにでもなるからどうでもよい、ではなく、どうでもいいからどうにでもなる、なんです
なんとか言ってください、・・・そんなことは綺麗事だと言って欲しいんですね
S
だから、どうでもよいって言っても、どうでもよいって基本的に思えないよね、人間
さ
いい質問ですね、それを待ってたんです、そこが核心なんですよ
だから非二元なんかに行っても、こんなの嘘だろってなるんでしょ
ところが、ここからがおもしろいんですよ
甘えという感性がそこを簡単に乗り越えることが出来るんです
甘えという感性を超リアルに感じるんです、そうすると痛みがなくなると言ったらどうします?
S
すごいんじゃない
さ
体の痛みはあったけれども、気持ち的な痛みはなかった、という話と思いますか
ノー
酔っ払ってる時、喧嘩の時に痛くない
全て幻なんです
だから、何何の時は全然痛みを感じない、後からハッと気がついた時に、「自分はこんな状態になってる、ああ痛い、痛くなきゃいけない、痛いぞ」なんですよ、実際
でも、あなた達は「そんなことはね、ごく稀な特殊な状況でないとできない。だから基本的にそんなことは、自分で起こすことは出来ないし。本当におかしな状況でないとならない」と言います
これがあなた方の騙される所です
本当に痛みなんてないんですよ
もしあなたが徹底的にやったあげく、それでも痛いならば、私に言ってください
それをやっていないで、「そんなことはないですね」とあなたに言う権利はないんです
私が言ったのは、あなたに甘えがないから、苦しみがあるんだ、痛みがあるんだ、という理屈でしょ
「甘えを知った」とあなたが言ったにも関わらず、痛いというなら謝ります
けれども、今は謝ることは出来ないんですね
これをやったけれども痛かった、というならば、私は反省しますし、「おかしいな、そんなはずはないんだけどな」とあなたに言うんです
けれどもあなたはまだやってないので、それを質問する権利はあなたにはないんですね
「やってけれどもできなかった、どうしてくれる」ということだったら私は本当にどうしましょうと追い込まれちゃうんですね
けれど、まだそこまでなっていないので私はとても楽ちんなんです
というか、確信を持ってるんです、勝ちは確実なんです、私の
あなたが是非これをやって、やった後に「おい、違うじゃないか」と言うのを待ってるんです
誰もこの声を発した人は居なかったんです
あなたがその初めての人になるかも知れないんですよ
是非やってみてください