S「なんかバシャールが物理的な実体をシンボルと呼んでいる時があるんだけど、そのことを解説できる?」
例えば、Bはお金は豊かさのシンボルとか言う。
そうだけど、お金は物理的な実体なんだよね、これがあるかないかで生活に明確な差がでるわけ。
鳩は平和のシンボルだが、鳩を中東地域にバラ撒いたって紛争がなくなるわけ無いっていうのと違うわけだ。
この場合、一万円札はただの紙っぺらであって、それを一万円のシンボルとしているだけ、みたいな話とは異なるとおもうんだよねえ。
鳩のシンボル性とは話が異なる。
他には、B「全ての物理的現実は、あなたが存在であるというアイデアのためのシンボルである」とか。
これは、物理的なもの自体がシンボルであるって言ってるよね。
普通、シンボルというと絵とかマークとか記号とかでしょ。
それを表すために紙とかインクとかの物理的存在が要るのはそうだが、だからといって絵とかマークとか記号とかが物理的実体という風には考えないと思うんだな。
あとは、B「病気というシンボルを通して学ぶものを・・・」って言ったり。
おまえ、病気になったら現実的に苦しいわけで、象徴的に記号的に苦しいってのとはわけが違うぞってね。
但し、もちろんバシャールも普通の意味でシンボルって言葉を使う時もあるよ、八角形のどうのこうのでアルクトゥルスのシンボルだとかさ。
さ「安静であれば、質問はない」
安静=甘えん坊、何もしないでいる、それでいて満ち足りている。
ゆえに、特に聞きたいこともない。
時空がない最初が最も幸せな状態で、そうであるのにわざわざ時空を作り、しかもなぜか他人と共有する一つの時空というものを作り、そこで四苦八苦しているのが人間である、という観点をおさえれば、「安静」とか「甘えん坊」のニュアンスがとれるだろう。
さ「質問する時は、安静ではないものを求めていることを念頭に置きなさい。答えに安静はないという前提で、おもしろい話だねって感じで聞くこと」
さ「集中していれば、形になっていないものも形になる」
さ「世界がそうさせたかった=これがこうなりたかった」
さ「カップさえも解釈。」
さ「固定的なものがあって、それを解釈する、というのではない。モノ自体が異なる解釈」
常識的な意味の解釈とは異なることを言ってるよね。
陶器でできてて、丸みを帯びた、ちょっと深みのある器で、指を通すのに丁度いい半円が横にくっついてて・・・という材質とか形とかを見た後、「これはコーヒーカップだろう」って判断する、解釈するのが普通だ。
ここでは、コーヒーカップという解釈が先にあって、その解釈にふさわしい物理的な実体が後に現れるような感じだ。
カップ、テーブル、椅子・・・ってのはそれぞれカップという解釈から、テーブルという解釈から、椅子という解釈からできているということなんだろうね、ちょっと理解しがたいが。
さ「(カップだろうが、テーブルだろうが、椅子だろうが)これらの解釈は同じ。何にでもなれる。」
これらが解釈であるということが同じという意味、だと思う。
だから、解釈次第で何にでもなれるよと。
さ「捉え方が変わる=モノも変わる。その仕組みはわからないけど。」
さ「だから、幼児に生きている。でも、できないというのも知ってる話。」
何が幼児なのか分からんが。
捉え方変えてモノ変えるってのができないのも知ってる話・・・、まあ普通できないからな。
さ「固体から固体へ瞬間瞬間に変わってるだけ。この見方をすることで大きく違う、できなくても。」
連続的な固体ではないということだね。
例えば、スプーンがあったら、一瞬前と同じスプーンを解釈によって作るということを、瞬間瞬間、膨大な量の瞬間やり続けていて、それで固体のスプーンと普通考えてる現象ができている、というんだな。
こんな話バシャールで聞いたことがあるような気がするが。
で、この話中々面白かったでしょう?
特に、アセンションとか超能力が好きだって人にはさ。
でも、さ「答えに安静はないという前提で、おもしろい話だねって感じで聞くこと」ってのに注意。