M「大人になっても甘えていたらまずいでしょう?」
さ「社会的苦境になっても知ったこっちゃないのが前提。そうなっても幸せということ。社会的メリットは無し。」
そりゃそうだわな。
さ「甘えん坊は形でなく役割。野垂れ死にになっても幸せだと示すのが役割」
さ「なぜかそれ(そんなの普通は嫌だけど、幸せだということ)を知っている。『宇宙である私が何を・体を気にするのか?』って感じ」
さ「愛という言葉はデタラメな感性をもたらそうとした感じ。動物は甘えん坊って感じで、愛という感じではない。これ(動物)を自分より下と見るか、同等と見るか。」
愛ー甘えん坊の対比、は過去のメモにあったよね。
さ「この甘えん坊があなた方の本性」
さ「優しさや助けという感性は甘えられてないことから来ている。困っている他者を社会的に助ける必要があるが、本来は必要ない。すでに楽園にいる人に助けは要らない」
殺伐とした世の中だから、他人のニーズに気づいてそれを満たしてやるという助けをする、優しい人が必要だって感性ね。
さ「甘えだけでいいということを世界が求めている」
さ「愛という前提を覆す。」
さ「(このチャネリングの公開について)反論を受けるのに向いてない。むしろ馬鹿だなとかダメだなと思われるのがいい、それが勝利の証」
このブログのさやかな話も、そういう方向に行きそうかな。
さ「無力である程強い。仙人曰く、秘訣は赤子になること」
老子55章、含徳の厚きは赤子に比す。
聖書、マタイによる福音書18:3、幼子のようにならなければ・・・。
さ「マイセイと甘えの声を聞くことを求めている」
マイセイとは、my聖(私の聖なる話)及び毎生(毎瞬の生)という意味のさやか造語。
さ「いい大人が甘えようってのは革命的な話。」
さ「本性は、布団で寝てればいい」
さ「まず感性として持つこと、行動としてでなく。それでも変わる。そのうち、訳も分からず超能力が使えるようになる。」
さ「訳も分からず生きていることが許されているならば、形を変えるのは簡単」
さ「赤ちゃんなら、全てを委ねるなら、超能力使えるようになる。実験・体験としてやってみる」
さ「混じりっけのなさ、疑いのなさから始まる物語はそうなるしかない」
さ「・・・超能力はツカミ。でも本当にそうなる」
読者の皆様、これでツカミはOKでしょうか?
さ「社会人に戻っても意味ない。ならば、こう生きるのが本当に意味ある」
これは負組の方向け。
さ「(甘えっていうのは具体的にどうするかは)人それぞれ」
さ「人々が動物や赤ちゃんに触れていたいと思うのは甘えん坊になりたいから。かわいいと言ってる時にそうなってる」
さ「やさしさの世界観は甘えを失った形」
世間は優しい人が増えてくれることを望んでるでしょ。
さ「社会的にどうなっても、天国の感性は奪われない」