アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)日本人の身・心・霊4その一

桑原俊郎『精神霊動第壱編催眠術』(開発社、明治36年9月4版) - 神保町系オタオタ日記

井村宏次先生が『迷宮』3号、昭和55年7月の「近代日本異端医療の系譜ーー維新以後の霊術家の饗宴」で桑原の死について、「敢えて想像すれば、観念力で病気が治るものならば、観念力で病気を造ることもできる。桑原はそれを実験し、そして死を喜んで迎えたのであろう」と書いた一節はよく記憶に残っている。

神格化し過ぎだろ

観念力で病気を作る(病気の普通人の少なからずがこれ)・治すという例はたくさんあるが、死を克服した例というのはまず無いんだよなあ

病気を作ってそのまま死んだら、ただの馬鹿だろ

 

桑原天然の奥義書 : 埼玉県東松山市高坂駅前・気功つばめ整体院

彼は「思念」を使いこなし治療概念を確立しましたが、結核の婦人に対して口移しで痰を吸い取るという行為が祟ってか、彼は後に結核となり若くして亡くなりました。

結核かあ

そんくらい治せよ・・・って気がするけどねえ、他人の結核ならいくらでも治したろうに

結核の婦人に対して口移しで痰を吸い取る」ってのは相手がすっごい美人で下心あってやった、ということ?

色んな宗教で、道徳的潔白じゃないと奇跡的な力が失われる、みたいな考え方があったりするが・・・

桑原俊郎は、明治三十九年(1906)三月九日に三十三歳の若さで他界してますから、それ以後の書籍は弟子によるものです。

三十三歳かあ、早いな(彼は治し方がイエス・キリストみたいなのだが、これもちょっとイエス・キリストっぽいか?イエス・キリストも三十三歳で死んだという)

すごいヒーラーが、なぜか自分自身は上手く治せなくて早死する、ってのはよくあるパターンな気もする

 

◯精神霊動

超面白い

療術の本というよりも、超能力の本

実験事実を示し、そこから理論、宗教論を立ち上げる(理論編宗教論は実験事実篇に比べると、イマイチつまらないが)

時代の先の先の先を行ってるような印象

明治43年に出たのにも関わらず、かなりニューエイジを先取りしてるような内容

天才かな

宗教上の奇跡というものはウソを書いたものである、あんなことでも書かなければキリストなり釈迦なりの価値を高めようがないから、信者を釣りこむ策として書いたものだ。まことにあさましい、すまぬ考えであった。それらの奇跡は皆できたに違いない。自分でも多少の奇跡ができたのだから、大聖人なら何でも出来たに違いない

著者は、元々は一般人的な唯物論者だったが、催眠術実験から超能力現象を見つけ、考え方を改めたという

被術者の信仰が強ければ睡眠させる(深いトランスに入れる)必要はない

深いトランスに入れて病気治すのは当たり前

そんなことせずに、痛む所に手を当てて2、3秒思念するだけでいい、という

無催眠で、リウマチ患者の手の曲がれるのを伸ばし、跛で杖にすがってきたのを帰りには杖を使わず帰る

治る治らぬは睡眠するしないに関わらず、心機一転にある

門人が散歩の通りがかりに、幼児の手足の動かせないのや、リウマチで苦しんでいるものを即座に治したというエピソードがある

ちょっとイエス・キリストみたいな領域に入ってる

門人でもこの領域だったというのだから、すごい

その門人は資産家で、なんのお礼も取らず、名前も告げずに立ち去ったので、後で、弘法大師だとか何とか噂がたったとか

追記:

桑原俊郎は「病気が治るかどうかは、患者が術者をどれだけ信じてるかだけの問題である。本人の心機一転が起こるかどうかである。治らなくても術者のせいでは全く無い。治っても術者の功績ではない。」という立場なんだが、考えてみれば、これもおかしいよねえ

たまたま道端であった兄ちゃんに「病気治してあげるよ」っていきなり言われて、深くそれを信じる奴なんているか?

いるわけない

術者側が何かの力を使っている、としか評しようがないんだよねえ

施術しても効果がないのは、術者のせいではなく、被術者のせい。術者を信じてないから。「縁なき衆生は度し難し」、キリスト教の)「信仰薄き者よ」

13才になる下女がいた。(桑原自身が)病気で床についていて、徒然なるままに、気晴らしがないかと、フト浮かんだのが、散歩してる時に買った「魔術と催眠術」という本。当時2、3ページ読んで、こんなことができるかと思って放置してたのをもう一度読んでみようと思った。今度は念を入れて読んだ。この通りやってみようと、半信半疑で下女に施したら、30分くらいで眠った。それから毎晩実験して、30分で眠るのが、10分、5分、3分、2分、1分となり、ついに「さあ眠るのだよ」というと即座に睡眠に陥るまで進んだ。初めは眠らせるだけで面白かったが、即座に眠らせられるようになってからは色んな実験をした

下女を眠らせて(トランス状態で、マインドの中で)同僚のもとに使いにやった。初めは「うちをしらない。いやじゃ」とか言って行かなかったが、道を知らないなら方方で聞けと言ったら、行くようになった。「同僚が学校から帰ってから何をしたか聞いてこい」と言うと、聞いてくる。学校から帰って、湯に入り、ご飯食べて、本読んで、その本は黄色の表紙の数学の本だった、九時半に寝たなど。翌日、(同僚に)聞いてみるとよく当たる。この方法で、一晩に6、7人の同僚の所作を聞くのを常にした

催眠術を研究してると、どっかで超能力現象にぶつかるのはよくあるパターン

忘れたけど、他にもそういうパターンを読んだことがある

ただ、超能力出るかどうかは被術者の素質によるらしいので、一発でこういう被術者に当たったのは、運が良かったのかな

酒屋から実験を申し出られ、「自分の酒屋で樽が何本売れたか聞いてもらいたい」と言う。下女に聞くと、「支配人が東京に行ったので分からぬ」、「支配人がいなくても、外のもので分かるからもう一度行って来い」、しばらくして言うには、「わかりました、聞きました」、「何本売れたか」、「紙と筆を頂戴、書きますから」、与えると、目を閉じて眠ったまま「26本売りました」と書く。翌日確かめたら合っていた

三人同時に眠らせた。自分が「三人ともよく寝てるから、散歩にでも行こうかな」と思ったら、寝ている人が「ああいい気持ちだ、散歩にでも行こうか」と言った

複数人に同時に催眠かけられるってのとテレパシー現象

宇宙は一心のみ。一心は一の動力。物質は動力の表象。動力が本源で、物質は後に来る。器質的病気も治ると確信すれば治る。信力強いものは治り、薄いものは全快しない。器質的疾患が治るのだから、機能性疾患が治るのは当たり前

ワンネス及び「物質は意識から生じる」、の発想

ただ、本全体を読むと、「意識が先で、物質は後」をきちんとしてない、あやふやな所もあるんだが

宇宙の大精神と我が心を一致させれば、他人の心でも他所の出来事でも映ずる

大我小我論

メスメルの動物磁気説は物質的見解

メスメルは超能力を発見しなかったから、物質的見解に留まった、ということかな

現在の心理学は個人の心と肉体の関係を説いているばかり

今でもそうだけどね

テレパシーのような超能力現象を無視しないとすると、どうしても個人のマインドは他人のマインドとつながっているという発想をしなければ説明できない、という話

数回施術した後ならば、遠方にいるのを電話で眠らせることもできるし、「いついつに眠れ」と言っておいてその時刻に眠らせられる

「物質万能主義者が多いが、精神研究者が増えてきて、いずれ主流になるだろう」という見方が示されている(浅野和三郎も似たような見方してた)

これは当時としてはしょうがないんだけど、楽観的過ぎるんだなあ

どうしても超能力研究とかは、一歩進んで一歩下がるを繰り返すのみで、全然主流にならない

笠原敏雄なら、これを「幸福否定」で説明するのだろうが、私なら「マトリックスからの攻撃」とでも言おうかなあ

「精神が物質に先んずる」という発想が主流になるのを、マトリックスが許さないのである

これが、多分、時代風潮最新の説だろう

熟練すれば形式を用いないで眠らせることができる。馬車に乗り合わせた人を、何の形式も用いないで言葉一つかけないで知らず知らずの内に眠らせた。理髪店で待っている先客を眠らせた、顔一つ見合うでもなく。

「催眠術やってると超能力を発見する」と私が言うのは、基本的には被術者・霊媒が能力を出す話なんだが、こうなると術者も超能力やってない?

ミルトン・エリクソンだって、古典的な催眠誘導はしないが、あれやこれやしゃべってやってるわけだよ(しかも、トランスには入れない)

言葉一つかけないで、ってなるとねえ・・・もうそれ催眠術じゃないだろ

ウルフ・メシングがやはり、催眠誘導とかしないで、相手をトランスに入れたりした

そういう超能力に近い

私は危険だと思って、(形式を用いないで眠らせることを)決して他言するなと門人を戒めた。もしこれが悪人の手に渡ったら大変である。

もちろん現在では悪人の手に渡っている

CIAとかの超能力研究

深く信じた時は、催眠術で暗示を与えられたと同一の状態であって、睡眠を施さず説法のみで病気は治癒する

19世紀物質的差別的小理屈的学問のために、これらの真理は迷信なりと社会に信じられなかった

数多き世の病人を一人の術者が一人の被術者に治療していては足りないから、無催眠治療で無くてはならぬ。真理を説き聞かせて、病人が心の変化を起こし病が治る

 

何時であるか知らない時に(催眠術かけた下女に)「今何時か」と問うと、「何時何分じゃ」と言う。時計を見ると合う

睡眠中、右手に力を込め、触れずに、前から押すような真似をすると、被術者は後ろに倒れかかる。右に押すような真似をすると、右に倒れかかる。前に引けば、綱をつけている人形を引くがごとし。

太霊道では、似たようなことやって、霊子のパワーってことになってるけど、催眠の一種と見るべきかな

ある時、「時計は今何時」と聞くと、何時何分と言う。時計を見ると違う。それは違うと言うと、「いえ、私は今交番の時計を見てきましたが、うちのより20分進んでおります。うちのとは違う、交番の時計を見て言いました」と言ったこともある

あまりたくさんやると、被術者は精神を使うので疲れると見えて、覚醒後頭痛がすると言ったこともある。使いにやると、随分運動するように感じるものと見えて、覚醒後に空腹で耐えられないと言ったこともあった

使いにやるにあまりにも遠いと、行くことが嫌じゃと言う。「雲に乗せてやる、雲に乗れば早いから一分間に行って見てこい」と言うと、喜び勇んで行く、実に愉快であると言う。汽車や雲に乗せてやると言わないと、歩行して行くように感じるようで、よほど草臥れる様子である。

脳病を治療したら、喫煙癖もなくなったと感謝された。喫煙癖があることさえ自分は知らなかった、暗示を与えなかった。これは相手が喫煙癖も治ると信じていたから