アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

あなたを愛する源ソースからの提案とお約束、愛する人を守るためにできる事

「受信モードになれたらコミットすること」あなたを愛する源ソースからの提案とお約束 - 私的空間

質問者:「瞑想中、身体を動かしたくなるのですが?」

エイブラハム:十分にアライメントできていて、身体を動かしたいというインパルス(衝動)の受け手となったからだ、よろしい。受信モードになっているということだよ。

いいことである

でも瞑想から何かを得ようとしたらダメだ。「僕は世界を救うぞ!」なんてね。聴衆笑

ただ心を静めて、インパルスの「受け手」となるだけでいい。

息をしたり、あくびやいびき、運転するなど、どんな時もインパルスの受け手となっているんだよ。何も知らないだろうけど、君たちは受信者(receiver レシーバー)だ。

質問者「実はこれを聞きたかったんです。瞑想中、手が動いて何かを書きたくなります。」

エイブラハム:まあ殊勝なこと!受け手となるのに、特別な意味を見出したいのかね。

もちろん、それもありきだ。ソースが君に、世界を変えるような本を書かせることなんて朝飯前だから。

でもそんなことより、もっと他のことを受信したいとは思わないのかい?わざわざ本なんて書く必要もないんだよ。

アライメントして良い気分でいること、ハッピーになること以外、大切なことなど何もない。

個人的には質問者の気持ちも分かるな

この延長線上で宇宙語とか出せるようになったけど、「なんか後一歩でチャネリングとかできるんじゃね?」みたいな気とかちょっとしてくる

スピに興味ある人は、自分でチャネリングや自動書記とかやることに憧れがある人が多いのではないか?、なんて私は思ってるが

心を静めて、インパルスを受けとれるような受信モード(許容モード)になると、「今、喜びにあふれる」ようになる。

「後で~」や「実現化したら~」でないよ。

ウィッシュフルシンキングの糞予想を追っかけている奴は胸に刻め

「今、楽しい」、これが大事と言ってるんだ。

しっかり区別しなさい。

〇「今楽しい」 ⇒ ✖「 後で楽しくなる」

〇「今どう感じるか」⇒ ✖「今どう感じるかはこんな影響をもたらす、あれを創出する」

「心静かに瞑想した、良い気分になった、さあこれで何かできる気がする」はダメだ。

なぜなら下心がある行動は、「今を語る」ことに戻らせてしまって、流れを阻むからだ。

なるほど

(源ソースの言葉)

了解!君の願いに狙いを定めたよ。

君はそのまま人生を探究し続けることもできるし、望みを修正してもいい。

願望が展開していくのを、どうやったら君が最も楽しめるかを提案したり、インパルスとして与え続けるね。

でもそれは最速で実現する方法としてではないよ。

悩みを取り除くことで、自分の存在を正当化する方法でもない。

望みが繰り広げられてゆくのを、君が一番楽しめそうな方法で提案し続けるつもりだ。

なるほど

エイブラハム:今のを言い換えるとこんな感じだ。

素敵なアイスクリーム店が開店したとする。たくさんの種類があって、どれも美味しそうで選ぶのに迷うほど。

君は好きなフレーバーをやっと選んだ。

そのアイスクリームを、早食いコンテストみたくガブっと一気に平らげるのと、ゆっくり舐めて最後まで美味しく味わうのと、どっちがいいかい?

君の「内なる存在」は、選んだアイスクリームをゆっくりと味わってほしいと願っているんだよ。

なるほど

う~んちょっと違ったかな、では別の言い方で・・・。

例えばコントラストで5年越しに自分好みの望みをやっと確立したとする。それをいきなり、ボンっと実現化させたいかい?

違うはずだ。それはコントラストでじっくり選び抜いた願望だったのではないかい?

サプライズも盛り込まれつつ、各段階で喜んだり、ゆっくり展開していく楽しさを、感じ続けたくはないかい?

なるほど

この動画の教えによると、瞑想を正しく30日ほど行えば、自ずと「受信モード」となれるとのこと。これはなかなかの耳寄り情報だと思う。

確かに

 

エイブラハムの教え「愛する人を守るためにできる事 どんな状況でも平穏無事でいるには」 - 私的空間

子育ての話だね

質問者:「聞きたかったことがあります。学校へ通う子供たちのことなんですが、ウイルスに感染しないための手洗いなどを、どのように言い聞かせるべきか迷っています。」

「私自身は周りが言うほど、過敏にならなくていいという方です。その考えを子供たちにも教えたいと思う反面、余計なことは言わず、感染の恐怖を伝える方がいいのかなとも思うのです。・・・。煽るようなことを言う人たちのことは気になるんですが。」

おお、最近のセッションっぽいね

エイブラハム:

誰に対して何を言うかは関係はない。大事なのは子供たちに話す時に、あなたがどんな気持ちでいるかどうかだ。

もし「煽るような伝え方はしたくないんだけど」と感じつつ彼らに話すなら、それは煽っているのと同じになる。(波動的に)

子供には言葉の裏の波動がモロに伝わるみたいね

質問者:「本当は子供たち、というより母親の自分の方が、怖れを感じていたのかもしれません。」

子育ての質問はこういうオチが多いかな

例をあげよう。自分の子供たちが悪性ウイルスや細菌に感染するかもしれないとか、特定の状況のことを考えて続けていたとする。

あなたがそんな恐れを抱き続けていたら、阻止するどころか、彼らをエボラに感染させる状況まで持っていくことになるだろう。(エイブラハムがあまりにもストレートに断言したため 聴衆啞然・笑)

望んでいないような、危険な目に遭わせることになるかもしれないんだ。あなたを怖がらせるような状況へとね。

もし、母親のあなたが彼らのことで何かに抵抗したり、騒ぎ立て続けていると、彼らに望まぬ状況を引き寄せることになるんだよ。

親として、またメンターとして、あなたには選択肢がある

* 子供たちに自分の中のガイダンスに従うように教えるのか、それとも現実的なルールや法則を教えるか?

* 子供たちに不安や臆病さを植え付けるか、それとも自信と安心感を与えるか?

あなたがアライメントしていたら、子供たちにも同じように教えることになるだろう。

だから自分の状態(アライメントしているか、いないか)を見極めてから、彼らと話すようにしなさい。

子供たちを気分良くなるよう励ましたいなら、気落ちさせるようなことは減らしてあげたいだろう?簡単なことから始めなさい、難しく考えないで。