自分を好きになれない人へのエイブラハムの言葉にジーンとくる「自己肯定感の低さを乗り越えるには」 - 私的空間
エイブラハムのようなスピリチュアルガイドがいるエスターを、羨ましく思ったことがある。けれど実際はそうでもなくて、落ち込んだりした時は、話を聞いてくれないらしい。
「辛いの。エイブラハム、こっちに来てなぐさめてよ。」
「お断りする、エスター。君の方がこっちに来なさい。」
こうして、波動の低い人に合わせないのは重要だね
波動の低い人が波動の高い人に合わせないと駄目だ
質問「人前では緊張してしまって、思っている事がうまく言えません。克服するにはどうすればいいですか。」
エイブラハム:
「他の人との共通の話題を見つけようとして、彼らにアプローチするから緊張するんだよ。君が高い波動を持つようになれば、つまり宇宙に委ねるようになれば緊張することなどなくなる。なぜなら違う波動の人と会うことがなくなるからだ。」
なるほど、としか言いようがない
「同じ波動(波長)を持つ人と出逢えば、例えばサッカー好きの人、ミュージシャンとかどんな人たちでも、彼らにとって重要なことについて、君は何も知らなくていい。」
「例え表面上は共通の話題がなくても、波動が合う人なら次から次へと新しいアイデアが湧いてきて、満足のいく会話になる。」
「ソースとアライメント(同調)した人どうしがする最高の会話とは、お互いにインスパイアしあう協同作業のようなものだ。」
「例えば一つのアイデアが浮かんだらそれに付け加えるように、さらなるアイデアがどんどん生み出されるような会話だよ。」
「それこそが会話の本来あるべき姿で、(ハイフライングなら)、事前に彼らが興味ありそうなことをググったり、何を喋ろうかなんてもう考えたくなくなる。」
「自分の波動を高く保てるようになれば、宇宙は君に合う最良のパートナーを引き寄せてくる。彼らは新しい発見やアイデアを持つ君の可能性を、引き出すような人たちだ。」
「話が盛り上がる内に、どれがどっちの考えだったかも分からなくほどにね。それが最高の共同創造というものだよ。」
「だから言いたいことがうまく言えない悩みの特効薬は、ハイフライング・ディスクに乗ること。(良い感情を持ち、高波動でいる)」
「ソースにアライメントしてない人たちが、仮に君のことを嫌いだったとしても、彼らは君のことが嫌いなのではなくて、全員が嫌いなだけだ。そんな人たちは物事を批判的に捉えがちで、その種の思考パターンが染み付いている。多くの親やそのへんにいる教師たち、そして今の君も当てはまるね。」
「あらゆる感じ方の中で最悪なのは、自己否定の理由を自分の行いや他人の言葉から見つけだすこと。それは本当の自分から遠ざかることを意味する。」
なるほどねえ
エイブラハムの教えの実践のために大切な「ソースにアライメントする」とは ?「創造の3つの段階」 - 私的空間
Alignment with ~ は、直訳すると「同調する、一直線上に並ぶ」など。エイブラハムの翻訳本では「調和する」「同調する」と訳されることが多いようだ。「歩調を合わせる」というのもあった。
ところがエイブラハムの教えのコアの部分である、このAlignment「アライメント」を、「調和する」に置き換えられてしまうと、学びが浅かった頃の自分の頭には、スッと頭入ってこなかった。
この「アライメント」はエイブラハムの教えの真髄で、実践すべき最重要課題なのにもかかわらず・・・。
「まず安定性と調和を確保する術を思い出してほしい。まず調和、それから会話だ。まず調和、それからつき合う。まず調和、それからすべてが始まる。」
「まず安定性とアライメントを確保する術を思い出してほしい。まずアライメント、それから会話だ。 まずアライメント、それからつき合う。 まずアライメント、それからすべてが始まる。」
上のように置き換えると、この時点ではアライメントが意味不明でも、
「エイブラハムは何をするにも「アライメント」が大事だって強調してるな。アライメントとは一体どういうことだろう」?
という風に、立ち止まって考えるようにならないだろうか。日本語訳が微妙なキーワードは、むしろ原文のカタカナ表記の方がインパクトがあって、頭に入りやすい気がする。
そうかも
直訳すると「同調する、一直線上に並ぶ」などとなるAlignment with~.
英語のAlignment「アライメント」は、調べてみるとビジネスシーンでも使われるらしい。
例えば役割が異なる者どうしを「統合する」、「一致団結させる」など、両者の意思を統一をして協力状態にするとして解釈すると、アライメントの理解がより進む。
これをエイブラハムの教えの基礎である「二元性」に当てはめると、「物質界の自分」と「非物質界の自分」(内なる存在)の両者が、足並み揃えて協働する様がイメージしやすい。
この理解でいい、と思う
そして、それは具体的には波動を上げるということであり、波動を上げるということは、22段階に従って感情状態を上げるということである
エイブラハムの教え【ステップ5】から学ぶ「創造と拡大成長のプロセス」 - 私的空間
エイブラハムは「悟りとは何か」について、あまり取り合わない。「あなたは大いなるものに、今日が覚醒の日だとかとでも言ってほしいのかい?」という風に、その種の質問を軽くあしらうこともある。
なぜならエイブラハムの教えるEnlightment「悟り」とは、アライメントの、Practiced state 「実践状態」にあるからだ。
そこへ到達することが目的なのではなく、ソースにアライメントしている状態にこそ価値があるという意味らしい。
例えばエイブラハムはステップ4レベルに達しても、大学の学位のように「一生有効」ではないと教えている。修練を怠れば、たちまち後戻りしてしまうのだと。
想像するに、最上位のステップ5がそれと思うけれど、そこまでいけば「悟りを開くこと」に何の意味があるのか、ということなのだろう。
エイブラハムは欲望肯定だからね
欲望があり、欲求不満があり、波動の調節を通して、欲望が叶えられ、その状態でまた新たな欲望が生まれる・・・、そういうアップダウンを良いものと見ている
それを通して物質界がより豊かになっていくことを肯定している
欲求不満のない境地などは物質界にお呼びでない
言い方悪いけど、「悟りたい奴は死ね」と言っても、エイブラハム的に間違いではない、と思う
エイブラハム的には、死後の世界は完全ハッピーな世界なので
修練、修練と書いたものの、アライメントの修練は、歯を食いしばりながらやるような苦行ではない。
ただ単に思考をコントロールすることで、自分自身が楽になりつつ、絶対的自由という幸福へ至るもの。
誰にでも扉が開かれていて、頑張らなくていい人生の奥義がここにある。
行動においては頑張らなくていいが、波動調節においてはちょっと頑張らないと駄目かも