・動物の群にせよ、人間の群にせよ、それらは本能的に指導者の権力に服従する
指導者も最初は多くの場合、ある思想に心酔した被指導者であって、やがてその思想の使徒になったのである
指導者は多くの場合思想家でなくて実行者であり、あまり明晰な頭脳を備えていないし、それを備えることはできないだろう
なぜなら、明晰な頭脳は概して人を懐疑と非行動へ導くから
指導者は特に狂気とすれすれの所にいる興奮した人や、半狂人の中から輩出する
強烈な信仰が、大きな暗示力を彼らの言葉に与える
しかし、多くは私利私欲のみを追求し、下劣な本能に媚びて人を説得する抜け目ない修辞家どもである
指導者達に権力は非常に圧制的である
のみならず、権力が世間一般に押し付けられるようになるには、この圧制によらねばならない
群衆の精神を常に支配しているのは、自由への要求ではなくて、屈従への要求である
・指導者たちは、主として、次の3つの手段に頼る、断言と反復と感染である
推理や論証を免れた無条件的な断言こそ、思想を染みこませる確実な手段となる
断言は、証拠や論証を伴わない、簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ
政治家とか、広告で宣伝する産業家は、断言の価値を心得ている
しかし、断言は絶えず、しかもできるだけ同じ言葉で繰り返されなければ、実際の影響力を持てない
断言された事柄は、反復によって、人々の頭の中に固定して、遂にはあたかも論証済みの真理のように、承認されるにいたる
断言と反復に対抗できるほど強力なものは、これまた断言と反復あるのみである
だから、凡そ世の中において議論というのは意味をなさない
結局、プロパガンダ戦にしかならない
ある断言が十分に反復されて全体の意見が一致した時には、いわゆる意見の趨勢なるものが形作られて、強力な感染作用が、その間に働く
この現象は、群を為すときの動物にさえ認められる
感染は、個人が一つの場所に同時に存在することを必要としない
社会現象において、模倣というものも、実は感染の単なる結果に過ぎない
「流行の影響・・・意見、思想、文学的表現にせよ、服装にせよ・・・群衆を導くのは、模範によるのであって、議論によるのではない」
「少数の個人が行動を起こすと、無意識な多数者が模倣する。しかしながら、それらの個人は、一般に認められている思想からはなはだしく遠ざかってはならない。あまりにも時勢に抜きん出ている人々は、一般に当代に対して何の影響も及ぼさない」
感染は、単にある種の意見のみならず、ある種の感じ方をも、人々に強制できるほど強力である
感染は庶民層に作用した後、ついで社会の上層にも及ぶ
庶民のあいだに流布するようになった意見はすべて、結局社会の上層にも強制される
高級な思想に屈服した指導者たちが、変形させて党派を作ると、その党派がその思想を変形させて、ますます変形させたそれを群集に広める・・・それが民集の真理になると、国民の上層に作用する
・思想、人間、すべて世界で威をふるったものは、主として、威厳という言葉で表される不可抗的な力によって、人々に押し付けられたものである
威厳は心に働きかける魅力なのであり、批判能力を麻痺させ、驚嘆と尊敬の念をもって、われわれの心を満たすのである
恐らく、催眠術にかかった者が受ける暗示と同じ種類のものであろう
威厳こそは、およそ支配権の最も有力な原動力である
後天的威厳とは家名とか資産とか評判とか、人格的威厳とは何か個人的なもの
威厳の特徴は、事物をありのままに見るのを妨げて、判断を麻痺させる点にある
意見の成否は、真実や誤謬とは無関係であって、もっぱらその威厳如何にかかっている
十分な威厳とそれを維持するに必要な手腕とを備えているならば、人々を虐待し、幾多の人命を奪い、侵略に継ぐ侵略を引き起こそうとも、全ては許されているのだ
威厳は常に失敗と共に消え去る
前日には群衆が歓喜して迎えた英雄も、運命に叩きつけられるならば、翌日には同じ群衆によって辱められる
論議の的にされる威厳は、もはや威厳とは言えない
・ラテン系の群衆は中央集権制を好み、帝王派
イギリス系、アメリカ系の群衆は国家を無視して、自己の創意にのみ頼る
フランス系の群衆は平等に執着するが、イギリス系の群衆は自由を重んずる
こういう種族の相違が、国家の数とほぼ同数の群衆の種類を生む
種族の精神が強ければ強いほど、群衆の劣等な性質は弱くなる
「個人の精神が強いほど、群衆の劣等な性質は弱くなる」とは言わないのが、この本において特徴的だと思う
群衆の状態とは野蛮状態を意味する
・虐殺者の群は、愛国的な義務をはたしつつあるものと硬く信じており、裁判官と死刑執行人との二重の職務を行っており、自分たちが犯罪者であるなどとは夢にも思わなかった
彼らはまず法定のようなものを作る
すると、ただちに、群衆に特有の、極めて単純な公正さが現れる
被告の数が莫大であるから、貴族僧侶官吏など、その職業だけでも有罪の証拠であると考えられるあらゆる人間を、十把一絡げに虐殺することにする
それ以外は、風采や評判によって裁くことにする
こうすれば、群衆の幼稚な良心は満足するから、合法的に虐殺にとりかかって、凶暴な本能を思う存分に発揮することができよう
しかし、一面、虐殺者達は非常に几帳面であり、群衆の内に存在する徳性を発揮する
犠牲者たちが携帯していた金銭や宝石類を、委員の卓上に持ってきたのである