アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)群衆心理 ギュスターヴ・ル・ボン、その一

これもカシオペアン・チームの推薦書

多分、この記事の絡みなんだろう(死の恐怖:人はヒーローを必要とする: カシオペアンとSOTTのご紹介

 

有名な古典である

1895年に出た本、しかし現代においてもその輝きを失ってはいない

というか、全然、今現在でもこの本の言う通り、大衆ってのは何も進歩してない、と個人的には思った

ところで、思ったよりも小著だった

 

・幾多の文明は、これまで少数の貴族的な知識人によって、創造され、指導されてきたのであって、決して群衆の与り知るところではなかった

群衆は単に破壊力しか持っていない

・世界の支配者、帝国の建設者、彼らは無意識な心理洞察家であって、群衆の精神を本能的に、しばしば適格に知っていたのである

・純理論上の正当さでは、群衆を操ることは出来ないだろう

群衆の心中に起こさせる印象のみが、彼らを魅惑することができる

・人間は決して純粋理性の命令に従って行動するものではない

・一定の状況において、人間の集団は、それを構成する各個人の性質とは非常に異なる新たな性質を備える

意識的な個性が消え失せて、あらゆる個人の感情や観念が、同一の方向に向けられる

・個人の生活様式、職業、性格、知力の類似や相違を問わず、個人が群衆になり変わったという事実だけで、個人に一種の集団精神が与えられる

その個人の感じ方・考え方・行動の仕方が孤立している時とは全く異なってくる

・無意識的性質が支配的になる

これによって、なぜ群衆に高度の知力を要する行為が遂行できないかの理由が説明される

専門を異にする優秀な人物達の会議で採決される一般的利益に関する決議が愚か者の会合で採択される決議よりも、きわだって優れているというわけではない

群衆は、いわば、智慧ではなく凡庸さを積み重ねるのだ

・群衆中の個人は、大勢の中にいるという事実だけで、一種不可抗的な力を感ずる

群衆に名目がなく、従って責任のない時には、個人を抑制する責任観念が完全に消滅してしまう、容易に本能に負けてしまう

精神的感染、催眠術に類する現象と関連させねばならない

被暗示性、暗示を受けやすい

・意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが群集中の個人の主要な特性である

群集中の個人は、もはや彼自身ではなく、一個の自動人形となる

グルジェフやムラヴィエフの思想が思い起こされる

彼らによれば、自動人形ってのがデフォルトの状態なんだけどね

まあ、基本的に人間は社会の中で生まれ、社会の中で教育されるのだから、個人は常に社会中の個人ということになるわけで

・群衆は知能の点では単独の人間よりも常に劣る

感情に刺激されて引き起こされる行為から見れば、群衆は事情次第で、単独の個人よりも勝ることも劣ることもある

群衆に対する暗示の仕方如何にかかっている

確かに群集はしばしば犯罪的である、しかし、またしばしば英雄的でもある

・衝動的で、興奮しやすく、推理する力のないこと、判断力および批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなど、群衆のいくつかの特性は、野蛮人や小児のような進化程度の低い人間にもまた同様に観察されることである

・群衆は容易に死刑執行人となるが、それにも劣らず容易に殉難者ともなる

・群衆は思考力を持たないのと同様に、持続的な意志をも持ち得ない

・群衆の興奮しやすく、衝動的で同様しやすい性質には、種族の根本的性質が常に関係している

例えば、ラテン系の群衆とアングロ・サクソン系の群衆との相違は著しい

個人的にも、日本人の群衆と他国の群衆ってのは結構相違がありそうだな、と思われる

・群衆はたえず無意識の境地をさまよい、あらゆる暗示に従い、理性のない人々に特有な激しい感情に活気づけられ、批判精神を欠いているから、何のことはない、物事を極度に信じやすい性質を示すのである

世にも荒唐無稽な伝説や説話が、どんなに容易に生み出され普及されるかを理解するには、このことをよく記憶せねばならない

スピリチュアルやQanonとか共通してる事が多々あるような

群衆は心象によって物事を考える

心象が一旦喚起されると、少しも論理的関係のない、他の一連の心象が喚起されてくる

群衆は、主観と客観とを区別する能力を持たないから、その心象を現実のものとして受け入れるのである

感染の結果、この変形は集団のあらゆる個人にとって、同じ性質、同じ意味のものとなる

・多数の証人の一致した意見ということが、最も有力な証拠の部類にいれられている

しかし、群衆の心理について我々の知っているところからすれば、この点に関してどんなに誤っているかがわかる

最も疑わしい事件とは、最大多数の人々によって観察された事件を言うのである

上に述べたことから、はっきりと言えることだが、歴史書は純然たる想像の所産と見なさなければならない

これはちょっと言い過ぎかな

・群衆の現す感情は、極めて単純でしかも極めて誇張的である

この点についても、原始人に似ている

微妙なニュアンスを解し得ず、大まかに見て、推移の過程を知らない

疑いも口に出されると、たちまち明白な事実に化してしまう

反感や不服の念は、たちまち激しい憎悪となる

感情は、責任観念を欠いているために、さらに極端となる

群衆の中に入れば、おのれの無能力の感じを脱し、取って代わるのが、絶大な暴力の観念

・群衆は、巧みに暗示を与えられると、英雄的精神、献身的精神をも発揮することができる 

しかも、単独の個人よりも、はるかにこれを発揮することができさえする

・群衆は、ただ過激な感情にのみ動かされるのであるから、その心を捉えようとする弁士は、強い断定的な言葉を大いに用いねばならない

誇張し断言し反復すること、そして推論によって何かを証明しようと決して試みないこと

「コロナは恐るるに足りず」ということを、きちんとデータや論拠を挙げて、ツイッター等で熱心に説いている人がいる

まあ、上手く行かないだろうってのが明らかなんだよねえ

一方で、やはりTVってのは群衆の扱い方をよく分かってるよ