コリン・ウィルスンの「精神寄生体」:フィクションか現実か?、その一 - スピリチュアル中級者以上・スピリチュアル難民向け/非二元系チャネリング「さやかアンドリュー」非公式ブログ
コリン・ウィルスンの「精神寄生体」:フィクションか現実か?、そのニ - スピリチュアル中級者以上・スピリチュアル難民向け/非二元系チャネリング「さやかアンドリュー」非公式ブログ
でとりあげたように、コリン・ウィルソンは分かっている人らしいので、読んでみた
しかし、分かっている人かどうかも分からない
スピ界隈でよく言われるのは、光の勢力も闇の勢力も、フィクションを世の中に送り出す作家等に、インスピレーションをテレパシーで送っている、ってやつ
そうした何らかのインスピレーションをコリン・ウィルソンが受信したのかもしれない
で、「第四密度自己奉仕宇宙人の攻撃」ってのを理解するのに関しては、今まで私が読んできたものの中で一番具体的で分かりやすい、と思った
例えば、ラー文書、カシオペアン、ザ・ウェイブ、カスタネダ、ロバート・モンロー等と比べてね
ただ、フィクション作品なので、本当のことをフィクションの形で書いてあるとしても、どこまでを参考にして良いのか、微妙な部分もある
注:こういう「悪宇宙人に操作されてる」説は「自分の現実は自分で想像している」説と真っ向から矛盾する
で、「悪宇宙人に操作されてる」説が本当かどうかを置いておくとしても、こういう説は精神衛生上良くない方向性を与えるものである、というのはまあ本当だ
なので、精神衛生上余裕があるという人が「悪宇宙人に操作されてる」説を深く検討するのはいいが、そうでない人は微妙かもね
ちょっと最近、個人的に「油断してたな」という感じになったので、改めて注意しておく
ストリンドベリは、1910年に書いた最後の戯曲で一人の日本人を登場させている
この日本人は犯した罪の償いをするために自殺したいと考え、死んだように見せかける薬を飲み、死体を火葬するようにという遺言書を残した
「しかし、火葬場の炉の中で気がついたらどうする?」
「気がついたほうが良いんだ・・・罪業を清める炎がどんなものか知りたいんだから」
最も身の毛のよだつことは、その日本人の名前が「ヒロシマ」だということだ
面白い
ちなみに、これは前書きから抜いたもので、物語とは全然関係ない
フッサールの現象学というのはわたしがメスカリンを使ってやろうとした自己観察の別名
この現象学ってのがこの小説にはちょくちょく登場する
簡単に言って、スピで言うところの「観察者」になること、ぐらいに考えておけばいい
わたしは人間の内的世界の問題と意識の地図についてメモを取り始めた
すると心に巣食う得体の知れない者たちが、わたしの調査に反対しているのが分かった
そうした問題を考えると、たちまちひどい頭痛と吐き気がするのだ
数学やチェスに注意を向けると、とたんに気分が良くなる
それなのに心のことを考えだすと、とたんにきまって気分がだんだん重くなってくるのだ
敵はそこに・・・意識の入り込めないわたしの体の奥底にいたのだ
心の外ではなく内にいた、というわけ
人間が彼らの存在に気づかない限り、吸血鬼のように人間を餌食にし、その精力を吸い取って生きる
今日まで2世紀以上も人間の心はずっとこうした精力を食い物にする吸血鬼の餌食となってきた
中でもいくつかの場合、吸血鬼は完全に人間の心を接収して、自由にそれを使えるようになっている
例えば、あのサド侯爵も
こういう吸血鬼の道具になった人間のことをカシオペアンではポータルと言う
1780年頃まで、たいていの芸術はハイドンやモーツァルトの音楽のように生命を高揚する傾向のあるものだった
ところが、心の吸血鬼の侵攻後、この陽気な楽天主義は芸術家の手の届かぬものとなった
心の吸血鬼どもを寄せ付けずにおける力を持つ少数の人達は新たな力を得たことになる・・・ベートーヴェン、ゲーテ
吸血鬼をやっつける人間はその自己再生の力が勝ったのだから、吸血鬼どもには二重に危険な存在ということになる
そういう場合、吸血鬼共は、彼と仲の悪い人たちの心を動かすというやり方で、その人間を破滅させようと企てるだろう
偉大な芸術家たちが「世に容れられない」と不平を漏らし始めたのが19世紀だというのは注目すべきことだ
吸血鬼に魅入られた芸術家も死んでしまえば、彼が受けた軽視はたちまち消えてしまう
吸血鬼たちが人々の心にかけた手綱をゆるめるからだ