おまけ:
カシオペアン・チームの推薦書に「才能ある子のドラマ アリス・ミラー」ってのがあるね
これは前に読んで、もう古本屋に売っぱらったので、この本についてコメントはしないだろう
でも、一読の価値のあるいい本である
アリス・ミラーは有名になるだけの中身があるよ
それはそれとして、彼女のフロイトの幼児性欲理論の解釈がおもしろいので、紹介しよう
ある時、フロイトの診療所に女性患者がやって来た
で、色々とカウンセリングやら自由連想やらを進めていくと、どうも父親に性的虐待を受けていたっぽいような感触がある
しかし、そこでフロイトは「父親が実の娘に性欲を持つはずがない」とか考えてそれを否認した
どういう風に否認したかというと、性的な話というのはもう出ちゃってるので、それを子供の側の問題であると責任転換したんだな
そうして出来たのが、幼児に性欲がある理論である
裏を返せば、親は子供に性欲なんて持つわけがないだろ理論である
でも、現代においては、性的虐待なんてよくあることでしょ
そういうどうしようもない親ってのがままいる、ってのが普通の認識でしょ
でも、当時は本当に親ってのを神聖視していたんだよね
こういう所を抉っていくのがアリス・ミラーの研究テーマである
追:
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=88101725
一般的な哲学史においては、実存主義⇒構造主義となり、構造主義は実存主義を乗り越えたものと考えられていそうな節がある
でも、私はそうは思わないね
私の考えでは、サルトルの実存主義が実存主義の核心部分から外れてしまった
確かに構造主義はサルトルの実存主義を乗り越えたのかも知れないのだが、サルトルはまともに実存主義を継承できなかったので、お話になってない、ということ
サルトルの実存主義がどのように実存主義の核心を外しているか、をこの本の術語で言えば、サルトルは文化的ヒロイズムを目指したからである
彼はアンガージュマンなるものにお熱であったが、もし彼が実存主義的な人物であるならば、社会参加をするために家を出る際に「家を出て車に轢かれて死ぬことになったらどうしよう」とか考えて神経衰弱になって引き篭もっていたはずだろう
追2:
このような人がこの本を読むと、グルジェフが語った以上にグルジェフの思想(の少なくとも一部分)について雄弁である、という感想を持つのではないかなあ?
人格が嘘である、とか