◯集団心理学
暴君に従う愚かな群衆を説明するのに、「転移」の概念が非常に役立つという
それで、転移と催眠術は同じようなものと論じられていくのだが・・・
「催眠術師は堂々として、自信たっぷりであることが重要である」
「催眠術は、普通に機能している大人の、普段抑圧している、全能の親に従い・信じ・模倣したいという子供の部分というのを始動させる手順に過ぎない」
・・・みたいなのが、フロイト派の催眠術に関する考え方のようである
私は別にこの考え方が一から十まで間違っているとは言わないが、一から十まできちんと説明出来てるとも思わない
例えば、最も簡単な例を出すと、遠隔で相手を催眠状態に入れることができたりするそうである
そうすると、どうも著者が軽蔑していそうな所の「精神感応」みたいなこともやはりあるのだと思われる
でも、暴君に従う愚かな群衆というのは、そのような子供の状態であり、自己催眠的になってる、とかの洞察は、まあそうだろう、と思う
ちなみに、転移とは、自分が死ぬということを他者に頼って越えようとする試みである
だから、その他者は神のような存在という風にイメージで誇張されて見られることになる
このような存在に頼ってれば、私は死を超えられる、という発想
そこから依存が始まる
◯神経症状態が本来あるべき姿である
神経症でない人は、心理的な防衛が機能しまくっている、虚偽にどっぷりと浸かっている
社会の文化的役割に没頭するのはよく使われている虚偽のやり方
正常とは、他者の力や文化の力によって守られているので人は不死身という見せかけ
狂人ほど論理的で、世界の細目に関心を持ってる人はいない
神経症の治療は「正当な愚行の必要性」
◯「もしあなたの神が信じるに値しないなら、あなたが死ぬ。あなたが生きるためには、悪は神にでなく、あなたに無ければならない」というのが、うつ病の本質
更年期のうつ病は、没頭すべき社会的役割が無いこと、肉体的に「あとは死ぬだけ」という状態になること、という2要素に顕著な原因
産後うつに関しては、この本は何も言ってないが、本の論旨で説明するならば、出産という経験が「この子が生まれたように自分も生まれてきた。自分も同じような、生まれては死んでいく被造物に過ぎない」ことを意識させるから、ということになろうか
精神分裂病は、象徴的自己VS生理的身体という人間の2側面において、前者を徹底的に肥大化させ後者を超越しようとする
両性具有のイメージとは、自分は生まれなかったので死なない、という不死を表す
子供が両親の性的関係を「実に嫌だ」と思うのは、自分が動物のように生まれたからには動物のように死ぬ運命であることを意識させるから
個VS種という対立において、性交とは種の役割である、ゆえに性的倒錯は種の平準化によって個が没却されることに対する異議申し立てである
性欲のタブーは、自分が単なる動物以上でありたいという欲求
プラトン等の同性愛は、自分の精神を若者に刻印することで自己の不滅性を獲得しようという試み
フェチシズムは、性行為という種の帰納を象徴的に越えようとする試み
服装倒錯は両性具有の主義の現れ
マゾは苦痛を欲するのでなく、その源泉を突き止め支配することを欲している
◯心理療法は絶えざる歓び、完全な愛、完全な自由へと運ぶことは出来ない
フロイト曰く、神経症者の不幸を治療するのは患者に人生の正常な不幸に心を開かせるためだけだ
心理療法はいままで述べたような不滅性の見せかけを提供しないので、自らが信仰体系になり不滅性の見せかけを提供する、秘教化、療法士のグル化
著者は結論として、色んな今まで見てきた問題を越えていけそうな見た目をしている思想をアレコレ評価していくのだが、最終的結論としては「どうにもならない」、・・・と直接は書いてないが、私が見た所では暗にそう言っている
追:
「心理療法が絶えざる歓び、完全な愛、完全な自由へと導く」という宗教の例として、サイエントロジーを考えるとよかろう
大いにしばしば自己啓発が宗教的になるのはこういうことである