ゲイリー・レナードの本をこれで初めから3冊私は読んだことになる
1:神の使者
2:不死というあなたの現実
3:愛は誰も忘れていない
チャネリングを読む時の基本的な注意として、喋っている存在が誰かということを気にしないで、その喋っている内容に注目すべきである、ってのがある
例えば、「私は天使何とかエルです」とか「私は神だ、仏陀だ、イエスだ・・・」とかいう自称があったとしても、一先ずそれを無視すべきだ
悪い例を挙げるとすれば、「私は全知全能の神です。来週の月曜日に人類はアセンションします」というチャネリングがあった時に、「おー、全知全能の神がこう言うからには、来週に人類はアセンションするんだ」と信じる奴は馬鹿だろう
ゲイリーのはチャネリングではなくて、アセンデッドマスターが目の前にいきなり現れて話してくれた内容を書き留めて本にしたってのではあるが、やはりこの原則を適用すべきだろう
そうすると、1>2>3の順番に喋った存在の自称の真贋に関わらない内容が少なくなっていく
つまり、「神の使者」は大体いいけど、「愛は誰も忘れていない」になるとかなり胡散臭い要素が入る
「神の使者」は大体がコースについての論理的な解説であるが、「愛は誰も忘れていない」になると予言とか体脱しての宇宙旅行記とか入ってくるんだよね
「不死というあなたの現実」では、そのアセンデッドマスターの前世が使徒トマスだったというので、本来のトマス福音書を再現したりしている
こんなの、本当にそいつが使徒トマスでないと話の筋がぶっ壊れちゃう
「神の使者」は、もしそのアセンデッドマスターが自分は悪魔だと自称したとしても、コースの理解に役に立つだろう
まあ、そんな感じ
それで、1>2>3の順番に、コースの論理的解説書>よくあるニューエイジ的トンデモ本に近くなっていく
それでも、そうだなあ、「愛は誰も忘れていない」でも2〜3割はコースの解説として役立つかなと思うかな
前の記事のどっかでも触れたが、コースの論理的解説書として「神の使者」は相当自信を持ってオススメできる、しかし「不死というあなたの現実」になるとやや微妙、そして「愛は誰も忘れていない」になるとさらにさらに微妙だ
でもね、本当か嘘か分からないチャネリング話って面白いでしょ?
スピ好きな人って、そういう話、好きでしょ?
そういう観点からして、「愛は誰も忘れていない」は価値のない本ではないよ、下手すると「奇跡のコース」や「神の使者」より面白いかもよ?