アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)バーソロミュー2 大いなる叡智が語る神への覚醒、その一

バーソロミューはなんか独特の風味を持ったチャネリングだね

「こうすれば人生を良くすることができる」という内容について話したかと思えば、物質世界の人生を超越した「悟り」の方向について話したりする

なんか言ってることがブレてるんじゃないかな、と思わないではない

これに関して、訳者後書きに参考になることが書いてある

バーソロミュー1は1979〜85年までのチャネリングであるのに対して、本書は88〜89年までのチャネリング

この間の3年以上のへだたりが、本書の内容に深く反映されているように思われます

話の内容は、参加者の意識の変化や時代の変化を反映しているのでしょう

内容は一冊目より一層高度になり、初級編から中級編に移行したかの感があります

「すべてはエネルギーである」、「思考が現実を創造する」、「神も宇宙も人も全て一つ」などといった基礎理論は習得されたものとして、自分がすでに悟っている事を知るためにはどうすればいいか、について本書は語ります

というわけで、「こうすれば人生を良くすることができる」というのは初級の話で、最終的には物質世界の人生を超越した「悟り」の方へとバーソロミューは行かせたいんだな、と理解できる

 

ただね、私は気づいたけれども、バーソロミューはどうも奇跡のコースを意識しているというか、踏まえているというか、・・・そういう存在なんだな

だから、こいつの言うところの「悟り」は奇跡のコース的な悟りだよ

「すべてはエネルギーである」、「思考が現実を創造する」、「神も宇宙も人も全て一つ」などといった原理を使って「人生をよくしよう」というよくあるニューエイジ物と奇跡のコースをカクテルしたような感じなんだ

でも、本当は論理的に混ぜられるもんじゃないから、ブレてるとか初級編と中級編、って感想になるのだろう

それがバーソロミューの独特の風味になっている、と思われる

 

ネットで検索しても、バーソロミューと奇跡のコースの類似性について言及したものがほぼない

バーソロミューが出て大分経ってから、奇跡のコースの日本語訳が出版された

で、その頃にはバーソロミューのことなんぞすっかり皆忘れてしまったのであろう

それで、今更バーソロミュー読んでる私のような変わり者が偶々気づいたというわけだな

 

自分というものの絶対的純真さを感じ取るためには、自分がいまだかつて誰に対しても「罪を犯した」ことなどないこと、誰も自分に対して「罪を犯した」ことなどないこと、最も深い意味においては、いまだかつてどんな過ちも起こったことはないのだ、ということを知らなければなりません

奇跡のコースを匂わせるジャブと言った所だろうか

この世は所詮夢であって、夢の中で人殺ししようが銀行強盗しようが、現実の中では何もしていないので、絶対的純真だというわけ

相手の人間も、自分自身の絶対的な純真さの反映をあなたに求め、あなたを通して、それを知りたいと思っています

奇跡のコース的に解説すると・・・

例えば、通り魔があなたを刺したとして、あなたが血を流しながら死んだとしよう

その場合、あなたはその通り魔に「おまえは人殺しであって、罪深い」という反映をしているのである

えっ?「刺されたら、血を流して死んじゃうのは当たり前だろ」って?

ノーノー

もしイエスが通り魔に刺されたら、刺された瞬間にマインドの力で無傷の状態になって、通り魔に「あなたは何も悪いことはしていませんよ、だってほら、私の肉体は無傷ですから」くらいのことを言うだろう

そのようにして、我々は無意識に肉体を他者に対して「罪か無罪か」を示すツールとして使っているのである

 

人間は肉体そのものに創造する力があると誤って信じてしまいました

病気を治す方法は、肉体レベルにしかないと考えています

けれども、肉体レベルには本当の治癒はありません

体が病気を作ったわけではないので、体は病気を治せません

本当の治癒は精神のレベルで起きます

クリスチャン・サイエンスの教義を読んでいるようだ

 

今日一日静かにして、自分がまったく罪なきものであることを感じ、自分が純粋な光とパワー以外の何物でもないかのごとくに感じて下さい

こうした感覚が浮かんでくるのを何度も繰り返すことによって、それに命とパワーを与え、現実のものとします

奇跡のコースのワークブックのようだ

 

自分の意識をコントロールする決心をして下さい

あなたの意識は、毎瞬貴方自身によってどこかに位置づけられています

自分がカモフラージュされたものを見ているのだということを思い出して、その奥にあるものに向かうか、目の前の二極性の世界にとらわれてしまうか、そのどちらかです

文字通り一日に何百回となく、自分の内面の奥深くに意識を向け始めると、あおの素晴らしい済んだ意識の境地が、あなたのエネルギーの焦点となります

人は考えるたびに何かにパワーを与えているのですから、その何かを選ばなければなりません

「人は考えるたびに何かにパワーを与えている」ってのは大体どのニューエイジチャネリングでも言うよね

でも、その多数派は「だから、今居る状況の中でポジティブな面にフォーカスしよう、感謝できるところを探そう。そうすれば、それが拡大するよ」って感じに流れるんだが・・・

バーソロミューみたいに「だから、物質界を超えた境地にフォーカスしよう」というのは、始めて見たかもしれん

このように、チャネリングって、大まかに見ると同じようなこと言ってるようでいて、細かく見ると結構違う、ってのが多いね

それが面倒くさくもあり、面白くもある