S
パスワークで書いてあったように、自我がなくなると重力なくなるの?
体が軽くなる、とか言ってたし
さ
世界がそうさせたければそうなる、じゃ駄目ですか?
S
あー、駄目かな
さ
Mさんが「それはありそうだなあ」という声を私に届けてくれたんですね
あなたがそこにいるからこそ、世界がありそうじゃないですか
だから、あなたがいるからこそ重力もある、・・・どうですか?
あなたがいなければ当然重力はないんです
・・・そういう意味で言ってるんじゃないでしょ?
S
そうなんだよねw
さ
ですが、そうなんです
いい所に気が付いたんですね
つまり、あなた感とかそういったものが無ければない程、楽になる
イコール、軽くなる、という言い方は出来るんです
M
それは心が軽くなるとか、そういうことなんでしょう?
さ
しかしながら、そうではないんです
もちろん、そういうこともありますが、あなたが言うように、体そのものが軽い、実際に体重が減る・・・かどうか私は分かりませんが、本当にそういうことが起きそうだとあなたが知っているからこそ、私に質問したんじゃないんですか?
私はそのままお返しします
S
ハハハ、なるほどね
さ
本当にそういうことが起きそうだとあなたが知っているからこそ、私に「そうなんですか?」ではなく「そうなんでしょ」という言い方をしたかったんです
そして、私がそんなこと言われちゃったら、「そうでしょ?」と言われたら「そうだ」と言い切ったんです
そして、あなたは安心するんですね
それで、あなたはあなた自身の知っていることの確認が取れたんですね
さて、その内容についてもっと具体的に知りたい、ということなんでしょ
体という世界観をあなたはどのように感じているか、あなたが世界の中で今までと同じような感覚で体を捉えているのならば、悲しいかな、それは起きない可能性が高い
もし世界の中であなたがその体を「私の体ではない」という感覚を持ったとするならば、それはもしかしたら世界があなたを引き上げたい、という形になるかも、なりそうだ
あなたは何か気がついている、という感触が私には見える
何かに気が付きつつある、というか気がついているからこそ、そのような象徴的な質問を私にしたんですね
つまり、あなたが言いたいのは、悲しいかな、私がない、ということなんですね
「さやかはまたそこに持っていく」とMさんが言いましたが、私はその立場ですから当たり前なんです
なので、あなたが無い所から、あなたの苦痛がなくなる、という話へ持っていくんですね
そういう話に持って行きたくてこういう質問をしたわけではないんですね
しかしながら、私はそいう風に受け止めたんです、あなたに受け止めさせられた
しかし、あなた達は最終的に、いや初めから最後までその事しか知りたくない話なんですね
ですから、あなたが神になりたい、その話しか無いんですね
確かにあなたは「あなたでありながら神になりたい」という言い方をしたいかも知れない
ところが、あなた自身によく尋ねてみればいいんです
「あなたがあなたでありながら、神である」とはどういうことか?
本当にそんなことが出来そうなのか?
それをあなた自身に問うてから、私に質問したほうが良いんですね
あなたは「神」と言った時に、どんな観念を想像しているでしょうか?
神、それは甘えん坊の祝福、つまり形ではないもののような感じ、形のない感じなんですね
あなた方の言い方からすると、宇宙、全体、・・・みたいな話は聞き飽きたでしょ
甘えん坊の甘え方、祝福、つまり話せないような話としてあなたがイメージできるもの、をイメージしてもらいたいんですね
それがあなたが知っている感触なんです
その感触から発せられるストーリーというものが如何様な言葉でも語られる、つまりどんなストーリーも完成されたものとして私になりうる、ということをあなたは知っているんですね
ですから、あなたは「何だか分からないけれど、とにかくそんなことが起きるのではないか?起きそうだ」という感触をどの辺から発せられているか、ということを突き止めようとすることは大事なことです
Mさんが「宇宙の始まりまで行かなければ、私の正体は突き止められない」と言うんですが、あなたはそんなことを考えたことがありますか?
どこまで遡ればあなたというものの正体が突き止められるか、真剣に考えて欲しいんですね
その時になってなお、あなたは私の存在感を維持できるか、という話になってくる
そして、もし維持できないという話になるならば、そこに何も無さか、もしくはあるんだけど形がないもの感触しか得られないのではないか、と言いたいんですね
それが、あなた方の言う所のミスター神様なんですね
だから切りがない話をしますね
だから、あなた方は区切ることがない世界を見るんです
区切ることがない世界を見た時にそこに何が残るか?
あなたが形と言った概念を持ち出すためには、切りがあるという世界を確定させなければその話にはならない
しかし、私達はいつも「あなたではないあなた」という言い方をたくさんしてきましたよね
その意味合いを理解ではなく、感触としてもっと持つべきなんですね
「あなたではないあなた」と言われて、Mさんは「ああ、空とかなんかいう話か」と言う、まあそういうことなんですよ
しかし、それを理屈で言おうとすることは矛盾しているんですね
つまり、形のないものを形のあるものとして口に出した瞬間に、それは形のあるものとして扱われるしかないんです
必然として、それは語ることが出来ない、となるしかない
えーと、なんでしたっけ
つまり、そのような世界から見ている感触を私に投げたんです
それを形として表せるとしたのが、あなたの言う所の「甘えのない形にしてもなりうるか(私が私でありながら、神である、のは可能か?)」の質問だったんですね
一つの象徴的なものとして、あなたの質問を受け止めたわけです
「自我がなければ重力がない?」、当然だ、と私の答えはなるわけです
しかし、それをそのままのこととして受け止めて良いのか、それとも、単なる象徴の話として受け止めるのか、それはあなたが知っている話です
しかし、私は敢えて言っておきます、当然そうなるしかない
あなたはそう知っていますか?
あなたはなんでそんな質問をしたんですか?
S
なんか重力なくなる気がするから
さ
それは誰かから聞いた話か、それとも、聞いてなくてもそんな話をしたくなったのか、という感触をあなたが確かめてみて、もしも「こんな話は聞いてなくても自分が考えそうなことだ」という感触があるならば、ならない理由がないんですね
追:
つまり、「私が私でありながら、神である」とは不可能だ、という話
「私が私である」とは、「私」と「私でないもの」とに世界を区切ることで初めて可能な認識である
そのような区切りがないこと、自我が成立しない所、が神の立場だというのである
で、神の立場であれば何でも可能であるのだから、重力がなくすとかおちゃのこサイサイ
・・・、まー、ややこしいけど、まとめるとこういう筋だろう