続
さ
こうして私の本当さが確かめられた時に、先ほどの話と繋がりがある
「あなたは誰ですか?」と言った時に、それが甘えた世界の有り様そのものなんだ、という結論でしかないんです
そして、その甘えた世界の有り様があなたであるならば、その体のあなたという存在感を持つ必要があるのか、ということになる
しかし、あなたはあると当然答えるはずだし、Mさんも必要があるからこそその私感を持っているんだ、と言うんですね
あなた方はそこにどうしても引っかかりを持つ
宗教で言う所の自我・我(が)・我(われ)というのがこんなに問題になっている
問題になっていなければ、「意味があるから存在している、終わり」で、何の質問も出てこないでしょ
それがすでにテーマとなっているんですね
それが、あなた方が世界を破壊するという象徴的な話なんです
こじつけのように聞こえるかも知れませんが、自我を壊すというのはあなたの世界を壊すのと同じこと
とにかく、破壊と創造は同じものだという認識を得るまで、あなた方は破壊と創造という感触を持ち続けるでしょうね
そして、全てが私であったと気づいた時には、「破壊も創造もなかったのだ」という理解に至るんです
そして、これが祝福・・・とも違うんです、・・・まあ、遍く安らぎと言ったほうが近いかな、という感じなんですね
遍く安らぎを得たいという世界を、あなた達の世界が欲しているんですね
これを誰かが言ったんですかね、・・・そうそう、つまり涅槃
この涅槃という意味をあなた方のイメージしている所でとられてしまうと困るので、私は敢えてそういう言い方はしないんです
で、私の言い方で言うと、やっぱり「甘えん坊で愛されているのよ。それがあなたなんですよ」と強く言い換えたいことなんです
この世界をあなた方が知ったとするならば、度々ツッコまれている「何が起きても幸せなんだ」みたいな言い方が身にしみて、というかそれしかないんだと分かるんです
しかし、それをあなた方が恐れているからできない、という言い方も出来なくはない
なんか嫌じゃないですか?
あなたの存在意義、あなた自身でありたいということがなくなってしまいそうなんです
つまり、「あなたがこんな事をして、これがこうなって、こんな良いことがある」という世界が丸ごと吹っ飛んでしまう、という恐怖がありそうなんです
「何があっても幸せなんだから、何もしないで幸せ、以上。何があっても無視、何が起きても大丈夫、終わり」、そんなんだったら話にならないですね
あなた達は話が良い、でもなお、話がない安らぎを求める段階、と言いたいシチュエーションなんです
そして、あなたが「所謂あなたでないものがあなたであった」と確信を持った時に何が出来るか、といた時に、あなたがこの宇宙を創造したことを思い出すんです
しかし、そのあなたというのは、まさしくあなたが感じているあなた感では到底ありえないことも想像がつくでしょう
つまり、神であるしかなかったあなたが無理矢理あなた感というあなたを作り上げたんです
これを放棄するというのは相応の苦しみを伴うというのが当然なんですね
ですが、それが、つまりあなたでないあなたが本当のあなたであった、ということを知ったならば、全てが終焉を迎える
そして、簡単に言うと、遊びが始まるんです、本当の遊びが
あなた方は口では「この世界は遊びだ」とかなんとか言いながらも、本当は遊びだなんて思っちゃいないんです、必死こいて何かをやってるんですね
ところが、本当の遊びとはこんなにおもしろいのか、という遊びの世界に入れるんですね
つまり、あなたはもうこの体をあなたとは認識していない視点での遊びが始まる
この世界は滅茶苦茶おもしろいんですよ
核戦争のドンパチなんて本当におもしろいです
ですが、あなた達はビビりまくってるので面白くもなんともない
怖くないですか、やばくないですか?
S
やばいね
さ
ですよね
ですので、あなた方は本当に楽しみたいんです
そのためには、あなた感を捨てなければ出来るわけがない
理屈から考えてもそうなんです
怖すぎるでしょ、だってあなた死ぬんですよ
まあいいでしょう、「輪廻転生があるから大丈夫」
でも、面倒くさくないですか?
それも楽しいからであれば、いいでしょう
でも楽しいと思ってますか?
思ってないから、あなた達はもううんざりだという考え方があるんです
輪廻転生どうのこうの、何の解決にもなってないですよ
でも、それが楽しい、生きがいがある、目標がある、これでイけるという人はやって下さい
だって楽しいんだから
私達は楽しいことを奪うということは全く考えてないです
私は、そういう考えが間違っていて、私が正しいなんて一度も思ったことないです
この世界に本当に正しい事など・・・ない、ない、ない、ないですね、ないです
だからこそ、私達はえらくテキトーな事を言ってる
本当っぽい所が大事なんです
本当のことはないから
本当っぽく装う、見せかける、このことが全てなんですね
そうすればあなた方はこれを本当のこととして楽しむんですね
つまり、本当のこととして楽しめなければ、楽しめないんです
当たり前ですよね、これが本当のことではないと思ったら楽しめないでしょ
だから、本当っぽく言うんです
それで、あなた達は「もしかしたらこれは本当だ」という感触を持って楽しんだ時に、楽しさが倍増するし、それでしか楽しめない
あなた方の言う所の変な宗教と私達は何の変わりもないんです
滅茶苦茶なんです、言ってることが
でも、全てが滅茶苦茶なので同じなんですね
この世界とはそういうものなんです
もしもこの世界に一つの真実があったとしたら嬉しいですか?
私の主張の「世界の真実は無い、全く無い」という世界と、あなた達が求めている「何か揺るぎない世界、なにか揺るぎない真実のある世界」、どっちが良いですか?
S
・・・
さ
これが答えだと言っても良い
あなた方はですね、真実なんて求めてないんですよ
あなたが色んな本を読んでもなんの共通性も見れないかと思いきや、何か共通してるものがあったりなかったり、最終的にはまー何だかよくわからない
S
w
さ
けれども、何か一つの真実らしきもの、というのを求めているんですね
真実であっては困るんですよ、らしきものというのがポイントなんです
そこの部分で留めておいて、それを真剣に楽しむ、これが神の大いなる遊びなんです
それが正しい遊び方
なので、一つの遊び方としてこれを聞いて欲しいですね
その中で、先ほど言った私ならざる、何か超常的というか現実ならざる世界があったんですね
そこは非常にワクワクする世界なんです
だからこそ、あなた達は居もしない宇宙人ということも考えてるんですね
龍が宇宙人に変わった、と考えてもらっても構わない、全く関係ないです、同じなんです
どっちみち想像上のものでありながら、本当に出来る物語だから
あなたが言ったことありますよね、何かが宇宙人に置き換わったみたいな話(チャネリングが死んだ人の霊から宇宙人に置き換わったって話)
当然なんです、それは何でもいいです、結局おもしろきゃ何でもいいです
その中の龍というのは、あなた方の中で非常にしっくりきたんですね
とにかくそういう存在感がいるんですね
そして、それがあなたであった、という確認を取ることであなた方はとてもおもしろい話が始まります
けれども、あなたがいままで持っていた感触を持つことは出来ません
つまり、いままでのつまらない遊びからもうちょっとおもしろい遊びに変わるんです
で、それに飽きてつまらなくなったら、もうちょっとおもしろい遊びがまた待っているので心配しないでくださいね
龍の話はこれまででした