S
外国語しゃべってよ
(そういう記事書いたから:https://o-kanemochi.hatenablog.com/entry/2018/12/29/072254)
さ
世界がそうさせていない、という答えをします
「じゃあ、できないんだね」ということなんですね
まあそうです、できないんですが、役割としてはないという言い方をしましょうか
あなた方にとって、どうして外国語が喋れたほうが楽しいような感じがするのでしょうか?
S
いや、便利じゃん
さ
そうでしょうか
あなたが知ってるのは、形としてそれを見たいということではないんですか?
S
あー、まあそうだね
さ
あなたが使いたいということですか?
S
まあまあ、使えたら便利だよね
さ
もしあなたがそれができたらいいと思いますか?
S
まあ、そうね
さ
世界がそうさせたいと思っているかどうかなんですけども、そのような感触は有りますか?
S
ないです
さ
そうすると、おそらくではなく、間違いなくできないんですね
S
でしょうな
さ
確かにあなた方がしているような話は当然の現象なんです
私達からすると、あまりにもありふれた話なんですね
世界がいつもそこにあるんです、つまり全てがここにあるんです
全てがここにある中からあなた方にとっての役割、そのような法則が働く物語が現れるだけ
つまり、ラクな話しか無いんです
というか、簡単に出来る話ばかりだけれども、あなた達にとって見れば、それは非常に稀に起こる不可思議な話としか映らないですよね
ですが、全てがそうだという話を今回も言っておきたいですね
ですので、あなた方がこれはどうすればできるのかと聞く話と同じような話として聞いているわけです
こうしてあなた方の知ってる話がどんどんどんどん易しいやり方で感じられるようになったならば、まさかとは思いますが、あなた達は当たり前のようにそれができることが増えるんじゃないですか
それがあなた方の当然の感性としてあることになるんですね
ですので、その世界観をあなたが持てるかどうかなんです
そうすれば、これも含めた奇跡的な出来事という物語がどんどん出やすくなるはずなんですね
これがまず信じられるか
先ほど言ったここに全てが有りますよ、という話がまず信じられるか
ですので、前に言ったように、あなた方の潜在意識がどのようなものか、あなたがいなくなれば潜在意識は変わる、そして潜在意識がどこまでの広がりを持っているかによって出る内容が違う、ということも言ってみたことがあるんじゃないですか
簡単に言えば、「あなた」という枠を広げるのも一つの方法なんですね
ですが、だからといって「じゃあ広げましょう」と言ってあなたはできそうですか?
S
w
んー、難しいんじゃないでしょうか
さ
差し当たってそのようですね
ですので、私達はあまり完成として見ないほうがよろしいんじゃないか、と言うんですね
でも、もしそれをやりたいのであれば、頑張ってやるという方法もあるんじゃないでしょうか
私達はそういう方法を知らないし、知っていたとしても教えたくはないんでしょうね
なぜなら、ラクでないし、あまり楽しそうにも感じられないんですね
ですので、そういうやり方があるならば、やってみたらいかがでしょうか、楽しいかも知れませんよ
世界がそうさせるかどうかという話は何回もしますけれども、本当にそのような世界観で生きることが可能であれば、とてつもなくラクに生きられるんですね
全て世界がさせているという感触を持って生活をしてみたらどうですか
先ほどMさんがトイレに行った、そういうことも、世界がこの人を持ってトイレに行かせたいかどうかというような、いちいち面倒くさいけれども、そういうことは楽になるやり方として一つの練習方法としてあるんじゃないでしょうか
最終的には、あなたの世界観は私はなかったということに気が付かざるを得ないですね
これはあなた達にしてみればあまり嬉しくないことかも知れません
元々そういう結論なんです
それをお認めになる時期が近づいてきたという言い方しかないでしょうね
結果的にはそのような法則の中で生きてきたことを最初から知っているんですね
なので、あなた方からすると、この話はですね、楽しくないというか盛り上がらない話なんです
要するに、「人はいません、だから何?」なんです
けれども、おそらくあなた方はそれも楽しいと感じるんじゃないですか
かなりの確率でそれが楽しいという人が多い、と私達は見ています
おそらくあなた方は少し、いや大いに誤解しまくっている
本当に楽ちんなんですよ
その世界をとりあえず見てから言ってみたらどうですか
Mさんが「非二元は面白くなさそう、盛り上がらない、地味だ。だって何も形にならないでしょ」とよく言うんですけども・・・その感性とは今は少し違う話をしてるんだけれども、ちょっと置いておいて、とにかくあなた達はいるんですか、そして、あなたの世界の中であなたがやりたくてやってるんですか、ということを少し脇に置くんです
つまり、「私達はこうやって何もかもやらされているんだよ。くやしいけどやらされているんだよ」という生活感をもって生活をして見るんです
その時あなたは「あれっ。これって悪くないんじゃない」と思うかも知れません、それとも「オレは操り人形じゃないんだよ、このやろう」と言うのかもしれません
しかし、私達から見ると、必ずあなた達は楽ちんになるという世界が見えるんですね
あなたはどちらの感触を持つと思いますか?
「何だ、結局やらされているのか、もうやけくそだ、このやろう」となるのか、それとも「なんかこれっていいよね、ラクな感じ」となるのか、どちらになりそうですか?
S
んー、なんか「このやろう」な感じになりそうな気もするけどなー
さ
そうですか、それはそれで体験するのが手っ取り早い
まさしくあなたが完成する物語を始めるためにはまさしくその体験をするんですね
その時にあなたがどう思うか確認してみればいい
その結果「畜生、オレの力でなんとかしてやるぜ」という感触があれば、それもあなたの生として活かせるのかもしれません
私達の中には、それは考えの中にないんです
しかし、あなたがそれをできるとするならば、まさしくできるんです
ですが、誤魔化さないということは大事なんですね
本当はできていないかも知れないんだけど、そう思いたい、けれどもそう思えなかった、というのがもし出てくれば、それはやはり無理だという生活感を持ったほうが・・・その感性を持たなかれば、あなたは苦しむことになるんです
無理に出来ないことを出来たかのように見せかけるのは、あなたを苦しめることになるという予想できますか?
S
うん
さ
そういうことを繰り返しているのが、この世界でもある
あなた達はできないことをできると言われて頑張ってきたんです
なので、あなた達は何か「やらなければならない、しかしできそうもない、でも頑張れ」という感触が常にあるんです、だから苦しい
しかし、あなた達からすると「いや、本当に出来るかも知れない。もっと理想の世界を作れるかも知れない」、こんなことをやってるのが皆さんですよ
しかし、この世界では「でも、頑張るのだ」ということをやればいいし、やるしかないし、それがあなた達の御役目なんです
だから「なんか無駄だから全くやらない方がいい」というのは私達の理論にはないわけです
なぜなら、あなたの祝福でもあるからなんです
とにかくあなた達は体験をしてそこから何を感じるか、ということを重視すべきだし、そうせざるを得ないし、結果的にその確認しか生はないわけです
そしてその生がどうであったかに関わらず、あなたはラクになりすぎますよ
どのような結果であろうと、それはあなたにとって祝福でしかないんです
私達はこの立場を崩さないでしょ、どうしてかというと、それは私達の世界の全てだからなんですね、いいでしょ、なかなかかっこいいでしょ
「威勢がいい」とMちゃんは言います
しかし、私達は本当にその威勢のよさを貫きますので、是非見届けてください
何か都合が悪いことが起こって、弱気になって、何か祝福でない、ということは言いません
最後まで私達は何が起こっても祝福だと言いはります
そういうことが通用するでしょうか?
当たり前です、だって肉体がないんだから、痛いことも苦しいこともないわけです
そういう言い方をしますか、それとも本当にそうなのか、という感性をあなたは持てるでしょうか?
つまり、あなた達について、どっちに転んでも勝利は目に見えている