アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

2.16メモその十(終)、夢について

M

夢について

 

咲かない話をしましょうかね

 

S

多いなー

 

夢の話をするならば、先ほどいいましたよね、「この世界が夢である」と言った所から始めます

そして、その世界の夢からさらに夢を見る、ということでよろしいですね

なぜMさん達が夢は楽しい、と感じるのか

「それは寝てる時は気持ちいいから」と言いました、それももちろん有りますが、それ以外の感触は何か有りますか?

 

S

あー、日々の現実とは違うからじゃないの

 

所謂あなた方が生活しているのと違うことが体験できる

あなた達の本性がそこに入っているとも言えるんです

この世界であなた方の本性が表されないということは多々あるんです

どうしてそうなるかは置いておきますが、夢の世界はまさしくあなた方の本性がストレートに出る、とも言えるんです

なので、夢の世界があなた方をラクにさせる、という言い方もできそうなんです

抑圧されたものが何もない世界とも言えるんですね

だから、夢で見たことが現実になる場合もあるし、ならない場合もある、ということはどういうことかと言いますと、現実になるということは、この世界にもあなた方の祝福が現れるという世界観なんです

夢で出来たことがこの世界でもできるということは、それだけあなたの生の中身がその様相を呈してる、というんです

簡単に言うと、それがあなたの性質をよく表している、ということなんです

それが、夢が現実になる、ということなんです

しかし、現実にならない夢の方が圧倒的に多いのではないですか

それは、あなた方の間接的な話でしかないからなんです

あなたそのものではないけれども、役割ではないけれども、あなたがその役割を知っている、ということなんです

しかし、知っているというのと、あなたである、あなたの性質を表しているというのは違うんですね

これが、夢が現実にならないという意味、なんですね

納得行かないですか?

 

S

まあいい

 

じゃあ、どうしてあなた方は夢のことをたくさん気にしているのか、夢判断とかありますよね

それは確かにその可能性があるからなんです

けれども、当たる時もあるし当たらない時もある、というのは先程言った通りと、私達からするとそのように解釈しています

あなた方の祝福はどうしてその形を持っているかというと、その形でしかありえないほどにあなた方がその役割を強く持っているという形が現れるんです

そうでない場合は、役割として持っていない可能性が高いんです

なので、それは間接的な話でしかなく、それに留まる話でしかなく、あなたの形としては現れずに終了する、ということなんですね

これが、夢が現実化するかしないかの違いだ、と私達は屁理屈的に考えてみました

確かにそういう解釈が成り立ってもいい、とあなた方が思うならばそれで結構です

そしてもう一点付け加えるならば、夢という物語はあなたがご自身で考えることが出来ないということを確認のために現している、という言い方も出来るんです

夢はあなた自身が考えている、という感触がないのではないですか

しかし、ある人は「夢というのはね、自分の考えてることが抑圧されないからこそ、それがストレートに出るんだ」と言うかも知れない

しかし、少なくともある方においては、この世界、夢を見ていない時に考えているのとは違う感触がある、というのははっきりしてますよね

「自分でもなんでこうなっているのか、訳がわからない」ということは、普通に生活している間にはめったに考えないわけです、割と自分がこうなっているという確信を持ちながら考えている、だからこそ「これは私の考えたことだ」という言い方をするわけです

夢のような感触があるならば、あなた方は自分の考えについて責任を持つことはしないでしょう

「なぜか分からないけど、今こんなことを考えてしまった。そして、これが口から出てしまったんだ」というようなことを皆さん言い合う社会になるのではないか、と私は言いたいんですね

しかしながら、その世界の有り様は、夢という世界の中で同じなんですね

ですので、あなた方は本来そういう言い方をすべきなんですよ

「どういうわけか、この考えが湧いてしまった。何か預かり知らぬ所から、降って湧いてしまったんだ」という感触しかない世界を生きるのが、まあもっともな話なんですよ

ところが、あなたが意識された時に、「私の」という飾りの言葉がつくわけですね

だからこそ、「私の」という世界とは違うんだ、という言い方がこの世界ではより強く現れる、ということなんですね

こうして考えると、夢というのはあなた方の視界を広く持つために大きな意味を持っているんです

だからこそ、もっと夢に注目をしてください

もしあなた方に余裕があるのなら、夢を見て起きた時に暫くその夢に浸かっていて欲しいんですね

それを習慣づけるならば、あなた方の現実感が変わる可能性があるんです

しかし、現実感を変えたくない、という人はむしろその方法はやめたほうがいいでしょう

少し、夢と現実の境が薄くなってしまう可能性があるんですね

(バシャール曰く、第四密度は現実と夢がより混合した世界であり、そうなるにつれて睡眠が要らなくなっていく。セス曰く、現実と夢の世界をはっきり分けるのはよろしくないとして、睡眠時間は同じでいいので、睡眠を一度にまとめて取るのでなく、二度に分けて取ること、を勧めている)

だから、この固定された世界で生きていきたいと思うならば、夢のことは気にしないほうがいいのかも知れません

そういうことを私達が言った時に、あなた方から聞かされるのは、「だからこそ、夢の世界が本物なのだ」という言い方をする人もたくさんいるんですね

しかし、ここで「但し」と付け加えねばならないんですね、つまり、「いつもあなた方がその世界に生きているのならば、そうだ」という言い方が出来るんです

しかし、あなた方の夢の前の夢のこの世界はそうではない、つまり「この世界においてはそれが妥当な・適当な形で現れているんだ」ということなので、「夢が本物で、私達の世界は偽物だ」という言い方はできなくなるんですね

言ってみれば、どちらも偽物だし、どちらも本物なんですね

こういう言い方をすると、がっかりされる方もいるんですね、「私はもっともっと夢の世界が現実だと言って欲しい」という方がいらっしゃるんですね

だからこそ、それを死後の世界に期待される方というのもいらっしゃるんです

そして、「死後の世界こそ本物であり、この世界は仮の姿だ」ということを言いたがる人もいらっしゃるんです

それはこの世界が苦しいから、なんですね

この苦しみから逃れるために本当の世界に帰るんだ、というような世界観を夢見ているわけです

しかし、それは嘘ではないけれども本当でもない、とやはり言っておきたいですね

どちらも偽物の世界だし、どちらも本物の世界なんですが、但し、それでもなお、あなた方の死んだ後の世界というのは安らぎの世界でラクなものだと知っているんですね

そういった意味においては、あなた方の期待しているような現実というのが現れる可能性というのは非常に高いんです

たしかにその通りではあるけれども、ここで私達が言いたいのは、あなた方はどのみち夢を見ているんですよ、であるならば、まさに今この夢を楽しい物に感触として変えるのは確かに出来そうですよ、ということを言いたいんです

この世界も夢として楽しむことができそうだぞ、ということなんですね

これができるならば、あなた方は死の世界を待つまでもなく、この世界の天国を生きることが出来るんですね

こういうことを言うならば、生きていても楽しいし、死んだ後もとても楽しい、ニつとも楽しい世界が味わえるんですね

そういうことなので、私達は非二元ではないので、これからは非二元とは呼ばないでくださいね

・・・と言いつつも、実際は非二元の話を主体としてこれからもしていくので、どちらでもいいんだけれども、テキトーに言っただけなんですよ

 

S

あっそう

 

それでいいでしょうかね?

 

S

はい

 

さよなら