S
感情の役割について
さ
咲かない話から初めましょうか
咲かない話の中では咲かない話しか無いんですね
つまり、「こうすればこうなる」という話がないから、そこにおける感性としては、いつも正しい、しかないんですね
これをするとこれがこうなるからこれが望ましい、というのはない、というのは聞き飽きたでしょ?
S
w
飽きたねえ、聞き飽きたねー
さ
それしか私は出来ないんだけれども、その話から行くならば、正に何もない、と言ったほうが正しいんですね
あなたの「望むものがあればいいな」という声は聞こえないんですね
つまり、「いつもそんなものがあってもなくてもどうでもいいや」、ということが一番の感情といえば、感情なんです
つまり、咲かない話の中では全てが正しい、つまり役に立つんです
というのも、あなた方の言い方からすると、「良くないことをする時は悪い感情がある」、簡単に言うとこんな感じでしょうが、私達からするといつもそれは「全て役に立つ」という感性があるんです
言い方を変えると、「これを望む」ということが無い世界であれば、全てが素敵な感謝をもって感じられるんです
だから、そこに、悪魔とか苦しいとか辛いというような感触があったとしても、それも全て感謝という一括りになりそうなんですね
こういう言い方をしてみたらどうでしょうか、あなた方の知ってること全てを受け入れることが出来た時に何もかもがラクに感じられる、つまりあなたが良いことと悪いことが無くなった時は何もかもが良いことしかなくなるんです
今までの話からすると、甘えん坊であったかに関わらずあなた方は全てがラクだ、という言い方にもなるんです
ですので、私達がいつも甘えん坊であることがいいことかのように言ってるのは、もちろん良くはあるんだけれども、あなた達の感性からすれば、もっと簡単に言うと、全ての世界の中でそれが正しさとして現れているからこそ何も役に立たないことがない、という世界がありそうです
この話を聞いても、おそらく、あなたにとっては不十分な回答と感じているんじゃないか、と私達は思ってるんですね
なぜかというとあなたは常にこれを欲しいという話を欲しがっているんですね、そうではなくて、この「今、退屈だ」という感触をラクに感じられるという心境を求めて欲しい、というのが私達が今言いたいことなんですね
今、あんまり楽しくないでしょ?
(S,笑)
ですので、この話をすることがとてもラクだとあなたが感じられることが、とてもあなたにとっての利益なんですよ
こういう言い方をすると、「おっ、ちょっとはおもしろいかな」と思ったかも知れません
つまり、このような形をあなたがたくさん重ねることによって、何かを求めるということが全くなくなるんですね
つまり、何をしていてもよろしい、という感触が出てしまうんです
これはあなたにとって少々どころではなく退屈なのかも知れませんが、あなた方は「嫌なことといいこと」というのをこの世界で完成させたかったんです
しかしながら、この話は「嫌なことがない」話をしてるわけです
こういう世界を今は知りたいと思っていない、と私達はあなたを見ています
完成された世界としてこの世界を見るならば、あなた方がこういう話をして欲しいということが全くなくなるんです
それでおもしろいのか、と思いますか?
S
あんまり
さ
おもしろく思わない、ということでしょうね
ですので、あなたには必要のない話かもしれないですね
確かにそうかも知れませんけども、もしあなたが今とは異なった心境になった時に、こういうことを思い出すといいのかもしれません
つまり、何かもうこの世界には「これをおもしろい、これがあったら自分は幸せになれるんだ」という話が落ちてしまうという感触、こういう感触になった時には、穏やかなラクさという感触が持てるんですね
これは悪いものではない、あなた方が思ってるほど退屈な話ではないです、実は
ですので、もしこのような心境になることがあれば、今の話も退屈ではなく、幸せというような雰囲気を感じることが出来るんです
この世界をあなた方が一度知ってしまうと、むしろお祭り騒ぎのような感性というのはあまり望まなくなるんじゃないか、と私達は言ってるんです
しかしながら、それでもあなた達は「何かおもしろいこと」というのを望むかも知れません
ところがどっこい、どうして「何かおもしろいもの」というのを望まなくなるのか、分かりますか?
S
さあ?
さ
そこが、あなた方がこの世界を卒業したいという感性と関係がある話なんですよ
あなたはこの世界を卒業したいと思っていませんか?
S
思ってるよ、割と
さ
しかし、卒業したいけれども、もっと素晴らしい世界に行くためにこの世界を卒業したいという感性ではないですか?
S
うーん、そうね
さ
私達がおっしゃりたいのは、「この世界が嫌だから違う世界に行く」のではなく、この世界の在り方をそのままにしておきながらそこに「幸せだ」と感触として持てるということが目的なんですよ
このことをあなた方が知るとするならば、ではなぜこんな大しておもしろくもねえ世界を幸せと感じられるのか、ということをあまり考えませんか
何かこの退屈の中で、特別何かを見出そうなんて、そんなつまんねーことなんて考えないよ、という感性ですか?
もっと分かりやすく、形として見せてくれ、ということが言いたいことではないですかね?
S
まあ、そうだよね
さ
そういうことですので、私達はそれよりも深い話は出来ないんですよ
確かにそれは分かるんです、けれどもその中に置いてもあなた方というのは「落ち着きを取り戻したい」というのはやはりあるわけなんですね
落ち着きのなさというのを自覚していますか?
S
んー、まあまあ、多少は
さ
簡単に言うと、落ち着きのなさとは不安なんですね
その不安さという物語をあなた方が演じているからこそ、あなたなんですね
前にも言った、あなたと不安が一緒であることですね
(ブログにはあげてないけど、「前に自我と不安は同じこと、自我があるから不安であり、不安であるから自我がある」というようなことをさやかは言った)
つまり、あなたはなくなりたくはないんです、体を無くしたくない、死にたくない、というのは不安だからなんです
・・・これは動物の本能だから誰だって死にたくないよ、と思いますか?
S
まあ、ちょっと言いたいね
さ
それは違うんです、実際の所
動物には死という発想はないんです
ですので、死にたくもないし、死ぬのが嫌でもない、というか、死というものを知らないんですね
では、なぜあなた方は死というものを知っていると思いますか
・・・あなたがいるからなんですよ、早い話が
あなたがいると思い込んでるから、死というものが知りたいし知りたくもないし、嫌だし憧れるし、ということなんです
あなたという世界が全てを作っているんですね
この世界観がある限り、あなたは不安から免れることはないんですね
そして、私達が不安と言った時にあなたは不安と感じましたか?
ここがポイントなんです、実は
S
んー、まあ多少
さ
不安というのは不安ではないんですね
言わば、喜びの中にある形の一つなんです
このことを理解すると、先ほど言った、喜びの中に退屈が含まれているということが分かるんです
こういう感性があるととてもラクなんですね