Q
引き寄せを学んで、私の人生はものすごく上手く行ってるよ。
でも、四ヶ月程、ある疑問が頭の中にあるんだ。
それで、答えを出すことができない。
B
ちょっと、ちょっと。
あなたが問いというフォーマットの中で編成した答えは何かな?
あなたは答えをまさしく持っているよ。
問いは、あなたがあなたの外側に置いた答えに過ぎない。
(S:コレね!さ「質問は答えを知ってるからする」ってことのB版のよい例。)
Q
我々がどのように自分自身の現実を作るかについて、私は理解している。
でも、私は、自分のことを愛情深い人間だと思いたいんだよね。
言ってる意味分かる?
例えば、ホームレスに会うことが多いんだけどさ。
昔の私はこんな風に言ったもんだよ、「おお、貧しい貧しい人々よ。私は彼らを助けるために何ができますか?」。
で、新しい私はこう言う、「ふむ、彼らは彼らの現実を作りました」。
B
ああ、ちょっと待って。
Q
「そして、彼らはそこにいたいので、彼らはそこにいます」。
B
ちょっと待って。
Q
「それは、かれらの選んだものです」。
B
ちょっと待って。
Q
そして、私はこういうのが好きでない・・・
B
ちょっと待って。
それは概念の誤解だ。
同情compassionは、決して、あなたに助けることはできないとは言わない。
もしあなたが自分をこのような人々に会うように引き寄せたのなら、役立つために引き寄せられたんだ。
でも、同情というアイデアは彼らに対する責任をとらない。
そして、同情は、無限との繋がりの誤解、つまり無限との繋がりを欠いているという信念とともに彼らがすでに作ったネガティブ性を補強したりしない。
同情はあなたが助けないことを意味しない、単純に彼らに対して責任をとらないことを意味する。
十分にあなたが誰であるかを表す人生をあなたが送る、それで彼らに対してあなたが出来る限りのベストな反射になれる、ということを同情は意味する。
それは彼らを助けることだ。
我々はあなたの考えを反射してないかい?
(S:コレもね!)
Q
してるね。
B
我々は、あなたが自分の現実を作るということを知っている。
しかし、あなたが現実を作ることにおける多くの方法があるということをシェアすることを望む、というのが我々の同情だ。
でも、あなたに反射を与えた後でさえ、いかなる場合も、我々はあなたの選択に責任をとらないよ。
分かった?
S:なかなか深いでしょ?