個人的には、彼らの影響も結構あるのだよね。
基本的には、19世紀後半からの(狭義の)スピリチュアリズムとかニューエイジとかの欧米からの流れが私の関心のメイン。
私は理屈とか体系とかが好きだから、こういうのいいんだけど。
小林正観とか斎藤一人とかは、あんま理屈とか体系とかない教え。
それでも、人生を好転させるとか運を良くするみたいな・・・、なんと言うか所謂庶民が宗教に求めるのってコレでしょってことに答えてくれるものだよね。
理屈とか体系とかをいじくり回すのって、基本的に生活(お金)に余裕がないと厳しいなということを痛感した私としては、生活(お金)に余裕を作るようにする教えって基礎として重要だよなと思う。
で、小林正観とか、言ってしまえば、広い意味でのニューソートに含んでもいいんだけど、でもまあ結構力点が独特だ。
例えば、トイレ掃除すると臨時収入あるとか、ありがとうを何万回も言うとかさ。
「それでなんか意味あるの?どうして意味がありうるの?」って思うんだけど、そこを飲み込んでとにかくやれっていうのがキモなのだろう。
それは、小林正観のとにかく現象として何か起こらないと相手にしない、現象が起こるなら宇宙法則としてそういうものがあるとして、理屈は放っておくという態度から出てる。(こういうのって大事じゃん?まず現象があってくれないと始まらないよね)
結果として、斎藤一人とか竹田和平(この人明言してるのを見たこと無いが、影響受けてると思うんだよね)とか出ちゃってるからねえ。
問答無用の説得力がある。
理屈積んで上手く行かない人は触れる価値のあるものだよ。