アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)黒住宗忠(人物叢書) 原敬吾

アマゾンでの評価の通り、黒住宗忠の行跡や思想がいい感じにまとめてある良書

前にこの人は「ニューエイジと親和性が高い」とか書いたけど、まあ、それは彼の思想の一部分を抜き出せばそういう風に評価できなくもないという感じで、全体的に見ればやっぱ大分違うね

 

・わずか七日の間に父母を失う

傷心し、病になり、容態は悪化し、重態になった

起死回生の体験、「天命直授」、冬至の朝

とあるのだが、本当かもしれないし、やや神話化されているのかもしれない

というのも、神話的には、冬至というのは太陽神が死んで復活する時だからだ

黒住宗忠は天照大神を重視し、天照大神は太陽の神である

「父母の死を悲しんで陰気になったために大病になったのだから、陽気になれば一転して病気は治るはずだ。天恩の有難さに心を向けると、ふしぎなように、その時を境にして病が軽くなった」

ニューソートというか引き寄せというか、そういうのに通じる発想

太陽を拝んだが、それを機として年来の病は一時に全快した

スピリチュアル系で「太陽を拝む」とか「朝日を浴びる」といい、等とたまに聞くが、ここらへんが発祥なんだろうか?

太陽の陽気が身体全体に満ちわたった

人々がひきつけられたのは、教えによってというよりむしろ病気を治してもらえるためであった

霊能で多くの病人を治したそうである

やっぱね、そういう超能力みたいなのが無いとつまらないよね

天照大神と同魂同体

自分というものを無にして、天照大神に導かれるままに動く、というのが霊能の源であり、大事なことだと考えていたようだ

黒住宗忠の天照大神の理解は結構独特なのだが、伊勢参り等している

江戸時代には、伊勢神宮の御札が天から降るということが幾度かあった

「ええぢゃないか」のことは名高い

幕末まではこの種のことが何十年目かに一度、周期的に起こり・・・

へえ、そういうのがあったんだ

まあ、誰かが裏でばら撒いたりしたのか、超常現象か、分からんけども

宗忠にとっての天照大神とは、宇宙の根源にある生命力そのもののこと

人間に付与されている生命力を、「天照大神の分心」と解し、生命力の真の中心は各人の心にあると考えた

ここらへんはニューエイジのワンネスの発想に、やはり近い

心だけが真に生命力の顕現する場所であり、肉体は心に付随するものに過ぎない

ニューソートっぽいね

ちょくちょく見かける大本の「霊主体従」ってのにも通じるな

心というのは、決して自分一個のものでなく、天照大神の分心であるのだからこそ、一層大切にしなければならぬ

同じ理屈で体を大事にしなければならぬ、とは聞いたことあるが、心がそうだ、という

具体的には、いつもニコニコと嬉しそうでいる、とかそういうこと

腹を立てれば御分心が痛む。天照大神を剣をもってずたずたに切るが如し

・けがれは気かれにて太陽の気をからすなり

穢れ=気枯れ、ってのもたまにスピ系のサイトで見るけど、ここらへんが発祥か?

WIKIでは「戦後の民俗学では・・・」なんて書いてあるが、これは幕末だしねえ

・何事も有難い有難いにて日を送りされ候えば、残らず有難いに相成り申すべきなり

何事も、有難いにて、世に住めば、むかうものごと、有難いなり

小林正観っぽいかな

・・・日月様を恐れながら親様と思い・・・

神を恐れるなんて、スーパーオールドエイジ的なのだが、こういうことも言ってる

我がえらいと思えばまちがうぞ

ニューエイジは「私は神だ」みたいなノリだから、やっぱ違う

孟子の心は、我が心が天地に満つるという心なり。この道は、人の心は天照大神の分心なり、雲泥の違いあるをや

儒教に対する老荘的なものを感じる

・臍下丹田の重視

陽気を吸うて下腹を張り、・・・金石の如く堅くなる

手を当てて病を治す、陽気(息)を吹きかける、祈り

宗忠の言葉を聞いて心動かされ、多年の病を癒やされた例も多い

とは言っても、治すのが難しいケースもやはりあったようだ

百発百中とはいかず

宗忠は、病は究極に置いて心の持ち方から発すると考えていた

ニューソート

病は、任せきった信頼の欠けているところから起こる

まじないによって治った場合にも、根本は、まじないを受ける側の心の持ち方によって決定する

宗忠に馬術の極意の伝授を願った所、「自分が馬に乗っているつもりになってはいけない」と言った

荘子の中にありそうなエピソードじゃないか

江戸時代の儒教万能の空気に対して、真の君子とは信仰ある者を指すのであって、仁義五常だの君父への忠孝だのと言ってる段階では、君子などと呼ぶに値せぬと断言している

例えば、「天照大神へ忠孝つとむることこそ忠孝の本なれ」とか言ってる

天照大神」を道や天地という言葉に置き換えてみたりすれば分かりやすいと思うのだが、非常に老荘っぽい感じ

特に、宗忠にとっての天照大神ってのは、汎神論的な、宇宙に遍く行き渡っているエネルギーみたいな側面が強いので

宗忠の信仰の対象となった天照大神は、古事記日本書紀とはかなり違ったものであった

但し宗忠自身は、特に大きな矛盾を感じていなかった

天照大神を生命の源たる絶対者として把握した

幕末頃に、絶対者を日本の神として把握する信仰が続出した、神道十三派の大多数

有難き面白き嬉しき

天命に任せきった宗忠の生活感情は、有難い、嬉しい、楽しい

朝起きがけの第一声が「ああ有難い」

「くれぐれもただ有難きと申すことをお忘れ遊ばされ申すまじく候」

門人が、心の底から有難いという心がどうも起こらないが、寝ても醒めても有難いという心境にはどうしたら進めるでしょうか、とたずねた。「たとえ真似でも口先でもよろしいから、まず朝目が覚めると第一に有難いと申し、顔を洗うと有難いと申し、・・・見るもの聞くもの何につけても、有難い有難い有難いまるで有難いと言って参られれば、自然とお心が有難くなって参ります」

ほとんど小林正観だね

あとは斎藤一人の天国言葉の考え方とかね

らい病にかかった時、宗忠を訪ねて、どうしたらお陰をこうむることができましょうか、と尋ねた。「ただ一心に有難いということを百遍くらいお唱えなされよ」。しかし、一向にしるしがない。また出向いて尋ねると、「一心不乱に千遍ずつ」。また一週間経ったがしるしがないので、また行くと、「一万遍ずつ唱えよ」。その通り唱えていると、七日目に発熱し吐血し、疲労の果てに倒れ、そのまま熟睡してしまった。翌朝起きてみると、すっかりなおってきれいになっていた。

スピ系のサイトで、「ありがとう」を自分の年齢万回唱えると奇跡が起こる、みたいなのが言われたりする

元ネタはこれじゃねーのか?、って気がするね

ちなみに、私は個人的にこの開運法(?)は結構効くと思っている

・妻が死んだ時には、さすがに「有難い」とか言わず、「恋しい、恨めしい」とか歌に詠んでいる