アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

エイリアンインタビューその五

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つまり地上でのギザのピラミッドの配列は、ナイル川が空の天の川銀河を地上で表した場合、ギザから空を見た時のオリオン座の配列と完璧に合致している。

紀元前1万400年―

地球の歴史家ヘロドトスによれば、滅びたアトランティス文明の電子テクノロジーと、その他のテクノロジーも含まれた記録が、スフィンクスの前足の地下にある貯蔵所に埋められたとされている。このギリシャの歴史家は、エジプトの都市であるヘリオポリスで、シュメールの神である「アヌ」(アヌンナキの王)の神官であった友人からこれを教えられたと書いている。

スフィンクスの前足の地下にある貯蔵所の話を初めて私が聞いたのはラムサだったな

結構昔から、いろんな情報源で言われてるはず

これが近い内に発見されるという話だったんだが、全然音沙汰無い

ふざけんな、糞ニューエイジ

しかし「旧帝国」刑務所組織の管理者たちが、電子文明の痕跡が破壊されずにそのまま保存されるのを許したというのはあり得ないことであり、この記録は非常に疑わしい。

紀元前8212年―ヴェーダには「牢獄惑星」を脱出する「叡智」があった

ヴェーダ、あるいはヴェーダ賛歌集は、地球のさまざまな社会に持ち込まれた一式の宗教的な讃美歌集である。それらは口承によって記憶され、世代から世代へと受け継がれた。「暁(あかつき)の賛歌」には、ある空間においてエネルギーから物質が創造され、成長し、維持され、また崩壊し、死ぬ、あるいは破壊されるという、「物理的な宇宙の周期」と呼ばれている思想が含まれている。これらのサイクルが時間を生み出す。

この同じ賛歌集は「進化論」を説明しており、ここには多くの霊的な真実を含む膨大な量の一連の知識がある。だが残念ながら、それらは人間たちによって誤った評価がされ、「旧帝国」の祭司たちによる嘘と事実の反転を通して大きく改竄されてしまった。これらは、誰かがこの「叡智」を用いて、この牢獄惑星から脱出する道を発見するのを防ぐための仕掛け地雷である。

紀元前8050年―ドメインが「旧帝国」を破壊

この銀河系内の「旧帝国」本惑星政府がドメイン遠征軍によって破壊された。それは銀貨系内の政治的組織としての「旧帝国」の終焉であった。しかしドメインが、「旧帝国」が植民地支配してきた広大な広さを完全に征服するためには、何千年もかかるだろう。「旧帝国」の政治的、経済的と文化的体制の慣性は、そのゆえにこの先しばらくの間は依然として残るだろう。

だが地球の太陽系における「旧帝国」の宇宙艦隊の残党は、地球の西暦1230年についに破壊された。それには地球刑務所オペレーションを維持してきた「旧帝国」の工作員だけでなく、他から地球に来た「旧帝国」の存在たちがいた。

「旧帝国」がドメイン勢力に敗北した後、地球はもはやその支配下に置かれてはいなかったが、それを見越して個人的な利益や非道な目的のためにこの惑星の資源を搾取するべく、地球に侵入して来た者たちがいた。だがそれを取り締まるための警察力がなかったために、地球にやってきた軍隊の反乱分子や宇宙海賊、探鉱者、商売人と企業家たちを抑止することができなかった。

旧約聖書の創世記の「ネフィリム」は「神の子」ではなく単なる「男」

その一つの例が、たとえば創世記の第6章にあるネフィリムの話であり、ユダヤ人たちによる地球の歴史の「ネフィリム」の起源を説明している。

「人が地のおもてにふえ始め、娘たちが彼らに生まれた時、「神の子」たちは人の娘たちが美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。そのころ、またその後にも、地にネフィリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった」

この「ネフィリム」の記述を見ると、明らかにこれらの者たちは「男」であり、地球の女性たちと性関係を持ったのであれば、当然、彼らは「神の子」たちではなかった。彼らは「旧帝国」における政治的状況を利用し、あるいは単に肉体的な感覚に耽るために、生物的な人間たちの肉体の中に居住することを選んだIS-BEたちであった。彼らは「旧帝国」の警察と税務当局の手の届かないところで、隠れて地球上に自分たちだけの小さな植民地を設けたのだ。

ここは、レオ・ネットワークやカシオペアンと全然話が違う

古代ユダヤ人は記憶喪失にされた奴隷の民

旧約聖書と呼ばれる歴史書を書いた古代ユダヤ人たちは、奴隷、採集民であり、家畜を世話する人たちだった。どのような現代のテクノロジーであっても、それが単純な懐中電灯ですら、当時の彼らにとっては仰天することであり、奇跡としか思えないことであっただろう。

そして彼らは、説明できない現象やテクノロジーのすべてを、ある「神」の業(わざ)であると考えた。そして残念ながらこうした振る舞いは、記憶喪失にされて自分自身の体験や熟練、テクノロジー、パーソナリティ、あるいはアイデンティティを思い出すことのできないIS-BEたちにとっては一般的なものである。

偶然の一致で、「旧帝国」ではIS-BEが犯す最も重大な犯罪の一つは「所得税法違反」だった。「旧帝国」では、所得税は人を奴隷にする構造と刑罰として使われていた。所得税の申告に少しでも誤りがあれば、IS-BEは「アンタッチャブル」(犯罪者、危険人物)となり、その後に続くのは地球での禁固刑だった。

紀元前6750年―

「旧帝国」により、地球でいくつかのピラミッド文明が設立された。

これらはバビロニア、エジプト、中国、そしてメソアメリカに築かれた。メソポタミア地域はサービス施設、通信基地、宇宙港と、これらの偽文明のための石切り場の事業を提供した。

「プタハ」とは、地球の住民に自分たちが「神聖な統治者」であると主張した、「旧帝国」から来た代々の長官たちの中で、初代の長官に与えられた名前だった。

エジプトという言葉は、「ヘット・カー・プタハ」あるいは「プタハのスピリットの家」という語句が、ギリシャ語の中で訛ってしまったものであると知る時、プタハの重要性を理解することができる。プタハには「開発者」というあだ名がつけられていた。彼は建設技師であり、彼の神官長は「職人たちの偉大な指導者」という称号が与えられた。

プタハはまた、エジプトの転生の神でもあった。

彼が「口を開ける儀式」を始めたのであり、それは死体から「魂を解放」するために神官が葬式で執り行うものである。だが当然、「魂」が解放された時、それは捕らえられ、記憶喪失にされてから、再び(次の転生に向けて)地球に送り戻された。

エジプト社会を統治したのは「ネテル」と呼ばれた「蛇の兄弟たち」

地球でプタハの後を継いだ、いわゆる「神聖な」統治者はエジプト人たちから「ネテル」と呼ばれ、それは「守護者あるいは監視人」という意味だった。彼らのシンボルは「蛇または竜」であり、それは「蛇の兄弟たち」と呼ばれる「旧帝国」の秘密の神官社会を表していた。

「旧帝国」の技師たちは、強く集中させた光の波を使って石のブロックを素早く切り分け、掘削した。彼らはまた、バリアと宇宙船を使い、一つ一つが何百、何千トンの重さの石を持ち上げ、輸送した。地球上でのこれらの建造物の配置には、銀河系のこの領域にあるさまざまな星に関連する測地学的、あるいは天文学的な重要性を見出せる。
これらの建造物のほとんどは、他の多くの惑星の建築基準に比べると大雑把であり、非実用的である。私はドメインのエンジニアとして、このような間に合わせの建造物はドメインの中の惑星では決して査察を通ることはないと断言できる。ピラミッド文明に用いられたような石やブロックは、今でも部分的に掘削された状態で、中東や他の場所の石切り場で見ることができる。

ほとんどの建造物は、急ぎで建てられた「小道具」であり、映画のセットで使われる西部劇用に作られた街の外観に非常によく似ている。それらは一見、本物に見え、何らかの用途あるいは価値があるように見えるが、そこには何の価値もないし、それらには有用な目的はない。

ピラミッドと「旧帝国」が建築した他のすべての石の記念碑は、「神秘的記念碑」と呼ぶことができる。それにしても一体何の理由で、これほどの資源を無駄に使い、これだけの使い道のない建物を建設したのだろうか? それは、決して解明されることのない神秘的な幻を創造するためなのだ。

これら「神聖な統治者」全員が、実際には「旧帝国」の工作員として勤めたIS-BE(不死の霊的存在)たちであった。だが彼らは本来(聖なる生命存在)IS-BEではあるが、確実に彼らは「神聖」ではない。』

『紀元前6248年―

ドメインの宇宙軍総司令部と、この太陽系の中で「旧帝国」の宇宙艦隊で生き延びていた残党との間で活発な戦争状態が始まり、それが7500年間続いた。それが始まった時は、ドメイン遠征軍の3000人の士官と隊員一個大隊がヒマラヤ山脈に基地を設立した時だった。ドメインは「旧帝国」が地球を牢獄惑星として維持していたことに気づいていなかったために、その基地を(攻撃に耐えられるだけの)要塞化はしていなかったからである。

そしてドメインの基地は、地球の太陽系の中で活動を続けていた「旧帝国」の宇宙軍により攻撃され、破壊された。ドメインの一個大隊のIS-BE(不死の霊的存在)たちは捕らえられて、火星に連れていかれ、記憶喪失にされて、地球の人間の生物的な肉体に居住するために地球に送り返された。彼らは未だに、(転生を繰り返しながら)地球にいる。

紀元前5965年―

この太陽系におけるドメイン軍の一個大隊の失踪に関する調査により、そのことが、火星や他の場所にある「旧帝国」の基地を発見するに至ったのである。ドメインは「旧帝国」の宇宙軍に対する防衛基地として金星を制圧した。ドメイン遠征軍はまた、硫酸の雲で構成される非常に高密度、高温で、重い大気を持つ金星の生命体を監視している。だが、金星のような大気環境に耐えられる地球の生命体はとても少ないと思われる。

 

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ドメインはまた、地球の太陽系の中に秘密の基地や宇宙ステーションを設立した。この太陽系には、(かつて爆発した惑星の欠けらから出来ている)小惑星帯がある。その場所は宇宙船の離着陸のために、とても便利な低重力プラットフォームを提供している。それは天の川と隣接した銀河の間にあり、「銀河ジャンプ」するために使われている。

銀河系のこちらの端には、こうした出入りする輸送船や宇宙船のために機能する惑星はないことから、この分裂した惑星から成る小惑星帯は、非常に理想的な宇宙ステーションとなっている。我々の「旧帝国」に対する戦争の結果、太陽系のこの領域は、今やドメインの貴重な所有物である。

紀元前3450年~3100年

「旧帝国」の工作員、あるいは「神聖な神々」による地球への事柄に対する介入は、この時ドメイン勢力のために中断されることになった。その結果、彼ら「旧帝国」による人間たちの統治者から、人間自身による統治者に代わることを余儀なくされた。

上エジプトと下エジプトを統一した第一王朝の人間のファラオたちの中で、最初に統治を始めたファラオは偶然にも、「メン(men=人)」という名前だった。彼はメン・ネフェル「メンの美しさ」と呼ばれる首都をエジプトに設立した。これは最初の10人の人間のファラオによる継承の始まりであり、「旧帝国」の行政官たちもいる中で350年間に渡り、混沌とした期間が続いた。

紀元前3200年―

前にも述べたが、この時期の地球は、ドメインと「旧帝国」との間で攻撃にさらされた。当然こうしたことは、地球の考古学者あるいは歴史家たちにとってまったく道理にかなわず、理解できないことであるだろう。それも当然で、エジプトの時代というのはスペース・オペラ(宇宙空間で展開する)時代だったからである。だが地球の歴史家たちは記憶喪失にあるために、エジプト時代とは宗教的な時代でしかなかったと思い込んでいる。

この時代に地球に導入されたテクノロジーと文明は、「あらかじめ準備され、創り上げられた」一包みのパッケージなので、地球で進化しながら出来上がったものではない。

そして当然、エジプトあるいはどのピラミッド文明からも進化的な推移の結果や、洗練された数学言語、文書、宗教、建築様式、文化的伝統が生まれたという証拠は、地球上のどこにも存在しない。これらの文化の人種的な肉体タイプや髪形、顔の化粧、儀式、道徳や模範など詳細の全てが完全に揃(そろ)っている形で、一式の総合的なパッケージとして、ただ現れたのだ。

宇宙からのあらゆる痕跡は「入念に隠され、消されている」

地上において物質的な証拠が示唆(しさ)していることは、ドメインあるいは「旧帝国」勢力による介入や、他のあらゆる地球外生命体の活動のあらゆる印や証拠はすべて、人間たちに疑念を起こさせないため念入りに「隠され、消されている」ということである。なぜなら「旧帝国」勢力は、地球のIS-BE(人間)たちに、自分たちが捕らえられ、地球に移植され、洗脳されたということを知られたくないからである。

だから記憶喪失の地球の歴史家たちは、エジプトの神官たちが(人間に向けて普通に)「光線銃」を使い、「旧帝国」の他のテクノロジーを持っていたはずがないと思い込み続けている。彼らは神官たちが、今でもキリスト教徒たちが口にする「アーメン(アモン)」という呪文を唱えながらそこら辺をうろついている以外、地球では大したことは何も起きなかったと思っている。

紀元前3172年―

アンデス山脈のティワナコ、クスコ、キト、オリャンタイタンボ、マチュピチュ、パチャカマなどの都市には「神々たち」の主要な採掘所が作られた。そこでは青銅の作成に使われる「錫(すず)を含めた希少金属を採掘するためであり、そうした場所と天文学的な建造物をつなぐ天文学的グリッドが配置された。当然、それらの金属は「神々」の所有物であった。

「旧帝国」勢力とドメインの間の戦争が原因で、この時期地球ではさまざまな企業家的な鉱山業が行われた。これらの(他の惑星からやって来た)探鉱者たちは、自分たちの彫像をいくつか刻んでいった。その中には、彼らが炭坑用のヘルメットを着けているものなどが見られる。

カラササヤ神殿の半地下の中庭にあるポンセ・ステラの彫像は、そうした石工たちがホルスターに彫刻道具を入れ、電子光線を放つ石切り道具を使用する姿を、大雑把に描写したものである。「旧帝国」はまた銀河系内の惑星において、非常に長い間、採掘事業を維持してきた。だが現在は、地球の鉱物資源はドメインの所有物である。

紀元前2450年―ピラミッドは埋葬のためにつくられていない

カイロ近くの「大ピラミッド」と複数のピラミッド施設が完成した。

そこには「旧帝国」の管理人たちが作った碑文が、いわゆるピラミッド・テキストの中で見ることができる。その記述には、ピラミッドはプタハの息子トートの指示の下で建設されたと言っている。もちろん、「王の間」の中に王が埋葬されたことはない。なぜなら(人間たちが教えられているのとは異なり)、ピラミッドが埋葬室として使われるように意図されたことはないからである。

大ピラミッドは、宇宙から見た時の地上のすべての陸塊の、精密な中心点に位置している。そのような精密な測量は、明らかに空中からの視点、あるいは地上の陸塊を宇宙から見ることが必要である。そうでなければ、地球のすべての大陸の測地的な中心点を、純粋に数学的に計算することはできない。

ピラミッドの中の通気口は、オリオン座、おおいぬ座と、特にシリウスの星々の配列と整列するように建設された。それらの通気口はまた、「旧帝国」の本惑星が存在していた北斗七星にも整列している。またそれにはオリオン座ξ(クシー)星、竜座α(アルファ)星、こぐま座β(ベータ)星も含まれている。これらの星々は「旧帝国」の主要な星系であり、それらの場所から(不用品、厄介者の)IS-BEが地球に連れて来られ、投げ捨てられていった。

ギザ高原にあるすべてのピラミッドの配置は、「旧帝国」の中の様々な太陽系や特定の星座の「鏡像」を地上に作るように意図されていた。

紀元前2181年― 

「ミン」がエジプトの豊饒(ほうじょう)の神になった。

このIS-BEは「パン(の神)」としても知られており、ギリシャの神でもあった。このミン、あるいはパンは「旧帝国」の記憶喪失システムから、どうにかして脱出することができたIS-BEだった。

紀元前2160年~紀元前2040年 ドメインによる「旧帝国」の終焉

ドメイン勢力と「旧帝国」勢力の間の戦いが激化した結果、この時に「旧帝国」勢力つまり「神聖な統治者」たちの支配が終焉した。彼らはエジプトから去り、敗北した結果、いわゆる天(宇宙)へ戻って行った。そして人間たちのファラオによる支配の役割がそれに取って代わった。最初の人間のファラオが、エジプトの首都をメンフィスからヘラクレオポリスに移した。

紀元前1500年―

これが、ギリシャの賢者であるソロンに、エジプトの大神官たちやヘリオポリスのセノフィスとサイスのソンキスが伝えた、アトランティス滅亡の日付である。アヌ(アヌンナキ)の神官たちは、およそこの時期に地中海地域が「アトランティス」の人々たちに侵略されたと記録している。

だが当然、これらの人たちは、これよりも7万年前に存在していた大西洋にある古代アトランティスから来た人々ではなかった。(アヌの神官たちの記録とは異なり、事実は)テーラ山の噴火と津波で文明が壊滅し、そこから逃げて来たクレタ島のミノア文明からの難民であったのだ。

プラトンアトランティスに関する引例は、ギリシャ哲学者のソロンの書物から借りたものであり、一方ソロンはこの情報を、アトランティスのことをエジプト語クレタ島の人々を意味する「ケプチュ」と呼んだ、エジプトの神官から与えられた。ミノア文明の火山災害の生存者の一部はエジプトに助けを求めた。なぜなら当時、地中海地域の中で高い文化を持った唯一の文明がエジプト文明だったからだ。

紀元前1351年~1337年

ドメイン遠征軍は、「旧帝国」の「蛇の兄弟」としても知られているアモンの神官のエジプトの密教カルトに対して、積極的に宗教的な征服戦争を遂行した。この期間中、ファラオ・イクナートンがアモンの神官の地位を廃止し、エジプトの首都をテーベから、エジプトの正確な測地学的な中心点であるアマルナに新しく移行した。だが、この「旧帝国」の宗教的な支配を転覆させる計画はすぐにダメになった。

紀元前1193年―「旧帝国」残党によるドメインへの激しい抵抗

中近東とアハイアで、ギリシャトロイアが支配権を巡り戦争をした。

これはトロイア戦争の終盤である、トロイの滅亡を持って終わった。その同時期に、地球の周辺の「宇宙ステーション」の支配権を巡って、2つの勢力による戦争が太陽系の宇宙空間において戦われていた。その300年の期間において「旧帝国」勢力の残党による、ドメイン勢力に対する非常に激しい抵抗があった。しかしそれも長くは続かなかった。それはドメインに抵抗しても無駄だからである。

紀元前850年―

盲目のギリシャの詩人ホメロスが、「神々」について書いた物語は、ヴェーダの文書やシュメールの文書、バビロニアとエジプトの神話という、それ以前からあった情報源を借りて部分的に変更して作られたものである。彼の詩と古代の世界の多くの「神話」は、「旧帝国」の記憶喪失オペレーションを避け、生物的な肉体なしに行動することができたIS-BE(不滅の魂)たちの、地球での英雄的行為の非常に正確な記述である。

紀元前700年―

ヴェーダ賛歌集が初めて、ギリシャ語に翻訳された。

これは西洋文明における文化的な革命の始まりであり、原始的で残忍な部族文化を、より道理にかなった行動に基づいた民主主義的な共和制に変貌させた。

紀元前638年~559年

ギリシャの賢者ソロンが、アトランティスの存在を公表した。

彼はエジプトで「旧帝国」の大神官であるヘリオポリスのセノフィスとサイスのソンキスの下で学び、彼らからこの情報を入手したのであった。

紀元前630年

ゾロアスターが、ペルシャアフラ・マズダーと呼ばれるIS-BEに基づいた宗教的実践を作り出した。これは「旧帝国」の多種多様な神々に取って代わるために、ドメイン工作員たちが次々に導入し始めた「一神教」の神のまた一つの例だった。』