◯ゲイリーはチャネラーやらなんやらがコースを曲解して独自の「コース」を作ってる現状を批判している
ヘレンはイエスの声を聞くのではなく、見る、という能力だった
ゆえに、イエスのチャネラーがいっぱい出て来が、ヘレンとは質が異なる
ヘレンの得た情報の質と一貫性はずば抜けている
そういうチャネラーはコースを理解してない上に、個人的な考えを付け加えて、独自のバージョンの「コース」を作って、しかもそれを元々の「コース」の改善版・改良版だと思っている
そういうのを学ぶよりかは、元々の「コース」を学ぶべきだ
これに私は賛同する
ここを一刀両断したから、「神の使者」を評価したんだよね
例えば、ジョン・スモールマンというチャネラーがいる
彼がチャネリングする存在の自称はイエスとかサウロ(新約聖書の使徒パウロ)とか
で、チャネリングの内容が、奇跡のコース的なことを入れつつ、「イベント」がもうすぐ起こるよ、ってものなんだ
けったいな内容だよ
奇跡のコースの中には「イベント」みたいな要素は皆無で、ひたすら個人的なワークを続けるように書いてある
これを混ぜるってのはどういう神経だよ、と思うんだが・・・
まあ、スピ業界にはありあらゆる訳の分からんチャネリングが出てくるものだ、と腹を括るしか無い
そういう観点で言えば、チャネリングだろうが、目の前に姿を表して話をしたのであろうが、その存在が奇跡のコースを含んだ内容を喋ったからと言って、それが奇跡のコースの正しい解釈であるということは保証されないということだ
私としては、そういう目でゲイリー・レナードを見る
すると、他のしょうもない奇跡のコース・ワークショップよりも内容が素晴らしいのは確かなのだろうけど、しかし、厳密に言えばゲイリーも同じ穴の狢ではないか?
なんかもはや許しをしていけば、アセンデッドマスターになってテレポートしたり空中浮遊したりできる、みたいな教えと化しているんだが、そんなのコースに書いてあったか?
ゲイリー版の「コース」になってないか?
チャネリングでなくて、アセンデッドマスター(というか、そもそもアセンデッドマスターなんて概念はコースには無い)が現れて喋ってるんだからいいんだ、ってのはお粗末だぞ
仮にコースに「許しをしてれば、ラムサの学校に行くより早くアセンデッドマスターになれるぜ!byイエシュア・ベン・ジョセフ 」って書いてあったら、私もやる気出してたよ
例えば、アセンデッドマスターが聖霊の現れだというなら、ラムサはどうなるんだ?
今ではJZナイトがチャネリングするという形になったけれども、その前にはアーテンとパーサのように現れて話をしたそうだよ
ラムサは許しの話なんてしてないだろうに
また、プレアデス人の話を持ち出しちゃったりしているけど、彼らが本当に居るとすれば、コースにおいては彼らは何処に位置づけられるのだろうか?
チャネリングで非物質的な次元の存在とか、また死人の霊とかは、コースにおいてどこに位置づけられるのだろうか?
こういう面倒なことが出てこないようにコースは編集された気がするが、ゲイリーの本においてはそうはいかないだろう
◯パーサはゲイリーの来世だそうだが、来世の話を持ってくるってのも厳密にはコース的ではない
というのも、コースの教師のマニュアルに「転生はあるのでしょうか?」という章があり、そこには「それを知る必要はない」みたいなこと書いてあるんだよね
http://lesson.spiritual-counseling.info/acim/miracle-course-manual-24
でも、最も進んでいる生徒であろうゲイリーでもとりあえず今生は死ぬくらいなんだから、今生きてる人は基本的にどんなにコースに熱心でも皆死ぬだろ
とすれば、とりあえず「幻想上で」という前置きがあってもいいから転生はある、と言っておけよ、って話だ
さらに根本的な疑問としては、アーテンとパーサはコースに則って行く所まで行ったのであれば、非物質的存在のはず
それがなんで一時的にせよ、ゲイリーの前に姿を表せるようになるか、が私には謎
これは「神の使者」の時から、モヤモヤっとしてること
だから、前に「神の使者」について言及した時も、八割方良い、とか評したはずだ
つまり、残りの二割はどうかなってのがある、ということ
そうやって自分の気の向くままに物質になったり非物質になったりできるようになる、というのならばコースをやるのもいいかなと思うんだがね