◯お金やセックス、夢や目標、人間関係を諦めなくちゃいけない、と書いてある
これはよく胸に刻んでおくべきである
これが奇跡のコースの本質だから
ゲイリーはどうせ30〜40年後には死ぬんだから、死んだ後にどうなるかを考えてコースをやっておいた方がいいよ、って感じのことを言っている
これはまさしく、昔から世捨て人と揶揄されるような宗教の在り方そのものの発想
未来の幸せのために、今の楽しみを我慢しよう、っていうやつ
コースで充実した人生を目指す(どうもそういうコースのワークショップをしてる奴がいるようだ)、というのは一から十までコース的には間違っている
ただ、注意深く読めば「愛は誰も忘れていない」もそこら辺をチラつかせてることに気づくだろう
◯特別な関係、に関しては触れてるけど、どうも納得行かないな
コース的に悟るというのは、非人間的になるということだと私は思うのだが、アーテンもパーサも随分と人間らしい
コース本文を読むと、情緒溢れる小説に対する無味乾燥な哲学書を思わせるのに
このようにして、世俗的な楽しみをできるだけ削らずに許しのワークをする
そうやってコースを骨抜きにして行ってる気がするが、結局それこそ皆が望んでることなんだよね
皆、ロマンチックな関係が好きだろ?
悟って、非物質的な存在になったらそれもできないよ?
しかし、コースを究めたマスター様ならさ、「シンディに執着するのはやめなさい、それはエゴの罠よ」くらいのことを言ったらどうなんだ?
そこら辺がするいと思うわけ
こういうずるい奴を私は許さんぞw
コースの真理に立ちつつ、夫婦として暮らせるんだ、みたいなこと書いてるけど、そうはならないだろ
コースの真理においてみれば、親友も今日初めて会った人も同じにしか見えないし、妻や夫とそこら辺歩いてる男女の区別がないし、自分の子供と他人の子供の区別もないんだから
そういう非人間的境地を目指す教えだろう?
特別な関係って切り口から見れば、ゲイリーの本は崩れるかも知れないな
ゲイリー自体が駄目、まあこれはいいとして、アーテンとパーサもなんでセットで現れるのかね?
イエスは悟っていたのに、マグダラのマリアと付き合って、しかも十二弟子なんぞを選んだりできるのかね?
全て特別な関係だろう
聖霊にアドバイスを求めたら、シンディと結婚するように言ってきた、とかあるけどさあ
うーん、聖霊は目に見えないから、何とでも言えるよね
でも、そういうのに導いてもらうってのがコースの教えでもあるけど
◯私はワークブック挫折したんだけど、挫折した箇所がこれ
奇跡講座ワークブック編レッスン20 私は観ることを決意しています。 | 奇跡講座-奇跡のコース365日のノンデュアリティレッスン
だって、私は明らかに観ることを決意してないもん
救い、幸せ、安らぎを望んでいるが、コースの言うような究極的な救い、幸せ、安らぎまでは望んでない
究極の一歩手前の救い、幸せ、安らぎを望んでるんだ
コースやってると自称する連中のほとんど、ゲイリーも含めて、そうだろ?
だから、どいつもこいつもコースの内容を歪めるんだよな、自分の好みに合うようにさ
しかし、そうだとすれば、コースでなくて、一歩手前を目指す教えに行くってのが筋ってもんだ
コースの目的とは、宇宙の消滅だ
宇宙を消滅させたいだろうか?
一刻も速く宇宙を消滅させること、これが神の望みなのだが、そうだからといって、あなたは何よりもまずそれを望むだろうか?
普通そんなことしたいとは思わないんだよね
健康になりたいとか、金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、素敵な恋人が欲しいとか、そういうのだろ
それで、自分の望みに沿うように、コースから都合の良いことを切り取って、そこに自分に都合の良い解釈を載せたりする
それが、コースに纏わる混乱の全てだと私は思うね
コースってのは徹頭徹尾非人間的なんだよ
それで、確かにコースは幸せを提供してくれそうなのだが、非人間的な幸せなんだよね
人間的な幸せを望むなら、引き寄せとかに行くのが筋ってもんよ
◯「奇跡」というコースにおける術語の意味
コースにおける「奇跡」とは、時空において自然法則を無視したようなことをするものではなくて、時空のできる前段階の、時空を作る心の段階におけるものである(でも、癒やしや使者を蘇らすことについての言及があったりするけどねえ)
これはコース理解において重要である
普通、奇跡のコースとか聞くと、ラムサの学校のノリのような、超能力が使えるようになるコースなんて思うかも知れないがね
しかし、訳者後書きでの「奇跡」の意味が既にこの意味ではない
でも、皆そっちを期待するよな
それが人間だよ
香咲弥須子って人は、独自バージョンの「コース」という視点から、どうなのかね?