・回復
原家族がどのようなものであったか、その体験が自分の発達にどのような影響を与えたか、という現実を直視すること
子供として自分に起こったことに責任はないが(スピ的にはある)、大人として自分自身の回復に責任を負うこと、自己非難をやめて自分の現在を再構築する責任を負うこと
家族や親をよくしよう、と試みることは時間の浪費である(ウィッシュフルシンキング的)
多くの人は、無力な子供の時に起こったことに責任を負いたがるが、大人の今起こっていることの責任を拒否する
原家族を変えることはできなかったが、自分を変え、自分の人生をコントロールすることはできる
親に自分のしたことを認めさせたい、とか、復讐を望んだり、何であれ少しでも加害者に求めるならば、対決(対面で、虐待について主張すること)は失敗する
許しの強調は、必要な怒りの表出と感情を認識を妨げるかも知れない
許しってのはスピでよく扱われるが・・・
・世界の危機ゲーム
これはセラピーの一技法
子供時代、自分がコントロールしていないことに対して責任があると感じさせられていて、その感覚を大人時代に持ち込んでいる、というのを浮き彫りにする
患者に選挙に誰が買って欲しいか聞いて、「あなたに世界情勢の成り行きに責任があって、◯◯を選出させるようにしてください。できなければ、あなたが悪いのです」と言ってみる
自分がコントロール出来ない状況・条件に対する責任を引き受けるのは非現実的である
ライトワーカーとかライトウォーリアーとか息巻いてる人がいるそうだけども、さあどうだろう?
・感情は行動の後についてくる
セラピストの作った確固とした行動のためのルールを、あたかもそれを信じてるが如くやってみる
自分(患者)で確信が持てるまで待つことは出来ない
これは引き寄せの原則でもある
・セラピストの燃え尽き
セラピストは自分の面倒をよく見ない
セラピストが自分を大切にする能力を持つのは、患者が自分を信頼することを学ぶ手がかりになる
医者よ、汝自身を癒せ
思うに、同情が強いからだろう
・離人症
自己愛家族で育った大人は、自分の感情から分裂することを学ぶ
子供が見捨てられ不安が現実でありるという現実を直視すれば、自殺するだろう
分裂は実際的な保護機能を持つ
もっと深刻な虐待になると、心的外傷後ストレス障害、境界性人格障害、多重人格障害
今流行りの、儀式化された拷問(悪魔崇拝儀式のことと思う)でもこうなると書いてある
ニューエイジにおいて、分離と統合という言葉は色々好き勝手使われている
ここでは、自分の感情との分離、が言われている
しかし、自分の感情と分離すれば、親とは統合できるのである
一方で、自分の感情と統合すれば、親とは分離するだろう
まあ、平たく言えば、自分の内部との分離・統合というニュアンス、と、自分の外部との分離・統合というニュアンスがある
例えば、これからは宇宙人がやって来る時代なんだから、人類皆が統合して地球人ってのを代表できるようにならなきゃいけないんだ、みたいなことを言ってる人もいるし(外部)
エイブラハムとか、感情状態の良し悪しで、あなたはインナービーイング、非物質的自己と統合したり分離したりするとか言うし(内部)
私は引き寄せ信者なので、断然内部の分離統合ってのが重要だと考える
・聖職者による性虐待
聖職者による性虐待を近親姦に含める
なぜなら、呼び名までファーザーとか言って、その役割を与えられているから
聖職者に性的に犯された人は、親にそうされたのと同じくらいの責任を感じる傾向にある
これも今流行りだね
・パワーと責任
両極端症候群と関係ある
自分も他人も信頼出来なくて、自分の力を侵入的に使うことで過剰補償する
しかし、もっと起こるのはパワーを十分に発揮しないことである
合法的に持っているパワー(権力のニュアンス?)を十分使わないとか拒否することもパワーの間違った使い方だと理解できない
「私は誰に対しても公平でなければならないので、判断することは出来ない」というのは、誰かが私を認めてくれないのが怖い、ということである
この「公正さ」を装った不決断の影響を受けた人達はそれを感じて憤る(ずるい奴がそのパワーが進行すべきことを乗っ取るとかするため)
パワーを適切に喜んで使うこと、究極的決定を一貫して支持すること、が責任の全て
へー
・「我為す故に我あり」から「我あり、故に価値あり」へ
存在しているだけで価値がある、みたいな