久しぶりに読み返してみた、旧訳を。
サネヤ・ロウマンのオリンという存在のチャネリング本シリーズがあるわけだが、ニューエイジを代表する良著であるとの定評があるし、私も基本的にはそう思う。
で、シリーズの中で「リヴィング・ウィズ・ジョイ」というのは最初の本であり、最も初心者向けだ。
一般大衆の考え方からニューエイジ的な考え方へ転換する際にとてもいい本なんだよね。
ニューエイジ的な発想から見た、よりよい人生を創造するためのヒント集、って感じだろうか。
ちなみに、ニューエイジって言っても、「地に足ついてる〜ぶっ飛んでる」という諸々のレベルがあるけれども、この本は相当「地に足ついてる」ものだよ。
しかし、さすがに私はあれやこれやと色々なチャネリングを遍歴してきたので、今読むと「この部分はちょっとね」ってのもあるなあ。
他人に愛の思念を送ることってのをまあまあ強調するんだけど、カシオペアンとか読んでると、他者を自分の価値観に沿うように変えるという自己奉仕的な行いだし、しかもそんなことをしてもクズがもっとひどいクズになったりするという。
霊的成長ってのがあらゆる人間の真の目的だ、というドグマも入ってる。
現実的には、そういうのが適用できる人ってのは限られていて、霊的成長なんぞやる気ゼロというかマイナス入ってる奴とか普通だよね。
先駆者とか、人類への奉仕とか、社会への奉仕とか・・・まあ、なんかかったるいことを言ってるよ。
つまり、この本(リヴィング・ウィズ・ジョイ)読んでる君が高い目的を持って生きていけば、それが他者に影響を及ぼし、人類社会をよい方向へ導く、みたいなのが入ってるんだ。
総じて、このニューエイジ的な教えが広がっていき、世界が良くなっていく見通しだ、という楽観で彩られている。
まあ、この本出たのは結構前だからねえ。
昔はそういう機運が高まってたんだよねえ。
そして、今という時代は、こういう楽観は現実社会には通用しなかったねって結果が出ちゃった時代なんだよねえ。
オリンもねえ、たかが一回くらい地球に転生したからって知ったような口効いてんじゃねえぞ、と言う権利が現代を生きる我々にはあると思うよ。
ただそうは言っても、個人的には、「自分の人生を、自分の考え方を変えることで良くするぞ」という方針の範囲内で読めば役に立つ、キラリと輝く発想が入ってるいい本だと思う。
他人や社会に影響を及ぼして変えていく、というような所はオススメしない。
救いようのない分らず屋共から自分を守る、という発想も現実的には必要だろう。
追:
しかし、霊的成長ってのはたるいんだよね。
目に見えないしねえ。
自分の過去の転生を見れるとか記憶できているとかであれば、「あー、私も成長したな」とか思うのだろうけど。
このブログで結構エイブラハムを紹介してるけど、エイブラハムにはこういう面倒っちいのがスポッと抜けてて、いいんだわ。