http://www.shimin.com/CD/DisCD.html
OSHOは「老子は、私だ」と言い切ったそうだけど、なんともまあ、馬鹿なことだなあ。
師が馬鹿なので、OSHO信者も馬鹿であるより仕方がなく、全く老子というものが分からない様子。
ちょっとここは一つ、私が一肌脱いで、老子の何たるかを垣間見せてやるとするか。
そうだなあ、まあ、老子というのは、こういうことは言った。
己の才知を輝かせるな。
人の先に立つな。
人と争うな。
そうしていれば、寿命を全うできるだろう。
(ちなみに、道教の仙人が長寿というのも元々は、仙薬を飲むとか小周天・大周天で気を巡らしてどうのこうの、というのではなく、まず先に天から与えられた寿命を全うするという発想があった)
しかるに、OSHOの生涯というものを見てみると・・・
己の才知を輝かせまくり、
人の先に立って宗教集団なんぞを作り、
人の言うことやることに異を唱え、大いに争い、
人に疎まれ、逮捕され、拘留中に毒をもられただか、放射能を被爆させられただかして、結局の所、寿命を全うできなかった。
これのどこが老子だというのか?
老子の例としては大いにまずいが、反老子の例としてはまあまあ見事である。
権力に諌言して殺される、ご立派な儒者の例としてはいい線行ってるかも知れない。
この際、OSHOの身は潔白であって、陰謀を巡らせたアメリカ政府が悪いんだ、という言い訳も通用しない。
目立つようなことをしなければ、目をつけられるようなことはなかっただろう。
OSHOは危険を犯してでも、世の中を良くしたかったのだろうか?
しかし、「故に身を以って天下を為むるより貴べば、若ち天下を托すべく、身を以って天下を為むるより愛すれば、若ち天下を寄すべし」。
老子は世の中をよくすることなんぞより自分の体を大事にするような人こそ世の中を良くすることが出来ると説く。
OSHOもあの世で頭を冷やしているだろうか。
私からOSHOに一言贈ろう。
「知りて知らずとするは上、知らずして知るとするは病なり」
まあ、一種の病気だったのだな。
とりあえず、OSHOの分厚い4巻の老子の解説書等を読んでも、老子を分かることは出来ない、OSHOを分かることはそれなりに出来るだろうが。
非常に分量少ないが、老子原典の一冊を読んだほうが遥かによい。
こういうのが教養というものだ。