前世について。
さ「世界がそうさせたい」
さ「(あなたが)前世を役割として持ちたいのであれば、その通りになる。そう(前世があると)感じるのであれば、そうなる。それで、あなた達は楽しいですかってだけ」
さ「全てがウソ、非二元もウソ。であれば、『それがそうだ』ということが全て本当」
こうやってちゃぶ台を返すのはいつもの事さ。
さ「だから、前世が誰々であるかということが、あなたは好きか楽しいかって話になる」
さ「疑いはそういう事実。共通の物語を見つけようとしていることが訳の分からないことであるが、そういう世界を作ってみましょうかってのがこの世界。客観性はない」
例えば、Aさんはこんな超常現象を体験したという話を聞けば、「それは本当なの?」と反応するのが疑い。
各人は各人の世界を経験するという前提があるならば、「まあ、AさんはAさんの世界でそういう体験をしたんだろうね」と反応して終わり。
各人は一つの世界を共有しているという前提だから、「誰にもそんな超常現象は起こってないのに、Aさんには起こったって?ウソじゃないの?」となる。
さ「そういう世界があったとしたらどうなるかってテーマで作ったのがこの世界」
さ「証明というのはそこに新しい話を付け加えるもの」
「まあ、AさんはAさんの世界でそういう体験をしたんだろうね」で終わればいいものを、他者に証明しようとすることで、また各人は一つの世界を共有しているという前提に引き戻そうとする。
さ「前世や魂の話は、この世界がどのように成り立っているかに密接に関わる。」
さ「スピリチュアル話は何でも、この世界の成り立ちから始めなければならない。そして、それがそのものの答だった」
さ「同情に引っ掛かっているのは結論」
11.16メモ一を参照のこと。
さ「なぜか世界がそう受け取っている」
さ「お互いが勝手にやってることが形になった。ここに世界の鍵がある」
さ「魂とか未来とか、不毛な議論の終わりが見えてる。根本的な勘違いが分かりそう」
さ「思考は幻想、というのも幻想」
11.01メモ三を参照のこと。