アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

9.20メモ三、スピリチュアル難民に喝

さ「初めには光さえなかったと言われるかも知れないが、初めに光はあったと言ってもいいかも知れない。光は情報(感)」

おおっと、光=情報というのはプレアデスかく語りきとかカシオペアンくらいなんだがね。

他のチャネリングでは愛、慈悲心みたいなニュアンスなのに。

なかなかやるんじゃない?

で、初めに情報ありきということになるが、とすればこの世界の全てが情報に過ぎないということだ。

もちろん、私も情報、だから私は生きてないし、自由意志とかもない。

そこらへんにある、テーブルやコップも情報、SさんもMさんも情報。

個人的には、奇跡のコースで、あなた達は夢(の中の登場人物)に過ぎないと言われてるのを思い出す。

 

さ「(誰も生きてない、情報に過ぎないんだから)やりたい放題、私はおまえじゃないゲームをやってもいいが、愛を忘れないほうがいい。崩壊するかも知れない」

崩壊、ってのはよくわからんね。

この場合の「愛」というのは慈悲心の意味ではないだろう、相手を気遣ってたらやりたい放題ではない。

さ「愛とは甘えん坊でいるということ。愛と言うと何か高尚なもの、立派な善人のみがなしうるかのように聞こえるかもしれない。甘えん坊と言うと、自分より下の赤ちゃんだって出来る、誰でも出来るように聞こえる」

必要なものは、世界に保証されている、という感じかな。

さ「刑務所、精神病院に行かない程度に狂え」

 

さ「閲覧をやめて本気になれ」

閲覧というのは、スピリチュアルに関する色んな人の色んな説を読んだり聞いたりして、「フーン、なるほど、おもしろいね」とか「Aさんはまた別のこと言ってたけどね」とか言って終わらせ、また別の人の説を求める様のこと。

つまりはスピリチュアル難民のことだよ!

さ「ということは、あなたは本当には読んでなんかないんです」

本当に読んじゃったというのは、所謂ハマっちゃった人って奴だけどね。

こんな風に色んな説を求めるのは絶対確実なものを求めているということなんだけど、この「魔性」たる世界に置いて、絶対確実なものなんてないということを分かりなさい、というのがさやかの主張のキーポイントだね、私が思うには。

じゃあ、どうするの?

さ「あなたの知ってる話を聞かせて欲しいですね」

とか言われて、私がこのブログをやってるというのがあるんだけど、全てのスピリチュアル難民に向けてのメッセージ。