私とか自由意志という感じを持ってしまったことを、そこから苦が出てくるのに、さやかは祝福と言うのだが・・・
さ「(祝福)良いも悪いも面白いでしょ」
さ「本性において、私はそうだ」
本来の意味においては、私は(私に現れる)世界だ。
それは、世界即私の在り方であり、そこにプロセス・時間はありえないから下記のようになる。
さ「そこには、こうしたらこうなるとか、こうしたらよくなるとかいう話はありえない。そういう選択もない。」
なので、ワクワクすることをやれば〜、なりたい自分を視覚化したら〜、このヨガの体操・呼吸法をすれば〜、みたいな話はさやか的には無い話。
でも、一般的なスピ系の人達は、こうしたらよくなるという話を求めるでしょ?(私もそうなんだけど)
そのニーズに答える気がないって点で、さやかチャネリングはやっぱ初心者向けでない。
さ「(一通り話し終わって)・・・反射だから、あなた(S)に反論する権利がありません」
Sさんに現れる世界の出来事はSさんの反射である。
Sさんが、Mさんの口を使って色んな話をさせた。
自分で自分にこの話をさせたんだから反論する権利がない。
S「(Sさんという)私は存在しないんじゃなかったっけ?」
さ「よく気が付きましたね、偉い。・・・あなたの感性の反射です」
本性として、世界は私そのものなはず。
だが、選択がある。
私以外の話が入ってるかのような世界を作っている(この世界は)。
SさんとMさん、さやかに予知やらさせるとおもしろうみたいなことをしゃべる。
さ「私達に予想をさせたいんですか?予想はないんです」
時間・プロセスがないからね。