スワルーとヤスヒ 彼女らは何者なのか?- PART1 - 初めて明かされる話
スワルー9:ミニマリストな食生活、完全なビーガン。
スワルー12:雑食、肉食(人工的に培養した組織)。お腹が一杯になるまで食べます。
私は長時間の断食もしますが、その後はしっかり食べます。
人工組織についてですが、私は地上の人工肉(※大豆ミートではなく、動物細胞を培養したもののことだと思います)はおすすめしません。
また、脳は断食中に脂肪を燃焼させるケトン体でよく働き、ブドウ糖ではあまり働かないことを私は認識しています。
(※大豆ミートではなく、動物細胞を培養したもののことだと思います)とあるが、ケトンの話をしてるから、大豆ミートでは動物脂肪が摂れないので駄目という話にも見える
ちなみに、カシオペアンはケトン食推奨である
多くの人に同じことを考えさせれば、集合的なタイムラインを変えることができます。
これは「集合的無意識のマニフェステーション」として、割と多くの人に知れ渡っているコンセプトだと思います。だからサラ博士もエレナの「救済のナラティブ」を支持することにしたのでしょうし、世界中で「サイモンとチャーリー」の与太話や「ネサラ・ゲサラ・RV・ジンバブエドル・メドベッド・トランプコイン・Qフォン」関連詐欺、あらゆる種類の「裏では全てうまくいっている」という救済のナラティブを信じ込もうとする人たちが急増したのだと思います。彼らは皆、「私たちが信じることで集合的無意識に働きかけ、そのタイムラインが実現する」と言っています。
しかし、ここには大きな落とし穴がありました。「集合的無意識はそれほど愚かではない」ということです:
理解力の低い魂の集団は、集合的無意識や、知覚や現実に関する集合的合意にまとまっていきます。そうやって結合していき、より高い理解力を持つ大きな魂を形成するのです。
フラットアーサーたちがいくら地球は平らだと信じていても、より理解力の高い大きな魂/集合的無意識は、地球が丸いことを知っているのです。理解力の低い魂の集団が何かを強く信じたり、念じたりしても、それが実現するわけではないということです。
フラットアーサー地球平面論者に注目するのはセンスあるね
スワルー説とカシオペアン説をいくつか対比させてみようか?
地球平面論者は、カシオペアンによれば、オーガニックポータルであり、魂のない人間であり、第三密度まできちんと進化出来てない奴である
スワルーも密度と次元の関係を論じていたが、カシオペアン説としても、地球平面論者は第三密度まで進化出来てないので、三次元立体としての地球というのを理解できないのである
というわけで、本当に地球平面論者は低密度である
次に、地球平面論者は魂のない人間と言っても、第三密度まで進化した人間の魂が無いという話であって、第二密度まで進化した動物の魂は入っている
動物の魂と人間の魂の違いは、前者は種としての類魂、後者は個人としての魂である
だから、スワルーの言うような、低い密度の魂が結合して高い密度の魂になる、という説明は第二密度⇒第三密度については使うことが出来ない
第二密度⇒第三密度については、低い密度の魂から分離して高い密度の魂になるのだ
例えば、ペットの犬や猫は来世人間に生まれ変わる、とか言われる
ペットの犬や猫は、野生の犬や猫、その種としての在り方から外れてるからだ
さらに、スワルー説だと、魂のない人間は魂のある人間のマニフェステーションなのであるから、話がますますこじれてくる
しかし、スワルー説に立つとしても、なんで地球に地球平面論者と地球立体論者の二種類がいるのだろうか?
集合的無意識に結合できない理解力の低い魂がいる、ということだよね?
そういうのもいるわけ?
「より理解力の高い大きな魂/集合的無意識は、地球が丸いことを知っている」というのも、スワルー説としてはおかしい言い方かな
スワルー説としては、心は何でもできる、という言い分なんだから、皆が地球が平面だと思ったら、平面の地球が創造されるはずだろう
「理解力の低い魂の集団が何かを強く信じたり、念じたりしても、それが実現するわけではない」というよりも、理解力の低い魂の集団は数が少ない、力の量が不足している、ということでは?
そして、これを延伸すると、また矛盾すると思われる
というのも、結局、いつでも、より理解力の高い大きな魂/集合的無意識がマニフェステーションとして優先される、ということになるから
すると、人間の集合的無意識よりも宇宙人の集合的無意識がマニフェステーションとして優先されるはずだ
世間の常識が、「丸い地球が一つ」ではなく「丸い地球がたくさんある(平行世界が見える)」ぐらいになってないとおかしいんだよ
しかし、ヴァン・アレン帯に囲まれて、月がどうのこうの、で地球は隔離されて、人間よりも高い存在の集合的無意識を利用できない、とか言い訳するんだろう
いつも通り、訳わからんね
したがって、「いつか誰かが救ってくれる!お金をくれる!それを信じて辛抱強く(あるいはワクワクして)待つ!」という人は、自分がコントロールできる部分である「辛抱強く待つ」「ワクワクして待つ」という部分だけ実現(マニフェステーション)していることになります。待ちくたびれた彼らは、一時的な心の癒やしを求めてホーピアムにお金を払ったり、カバールのAIサイボーグ・アジェンダを受け入れてしまったりするかもしれません。というより、むしろそのように誘導されていると見た方が良いでしょう。偽の救済のナラティブをコントロールしている大元締めはローグ連邦とカバールであり、それに理解力の低い魂が操られているという構図があるからです。
ホーピアムな連中が馬鹿だというのは分かるが、密度が低いという話なの?
フラットアーサーは本当に三次元的理解が出来ないからそうだけども、ホーピアムは次元的理解の話じゃないし
論理の飛躍があると思うね
高次の存在はそういった全ての人々を含めて、愛しんでるのでしょう。神人氏が「慈愛が大切」と繰り返し言っていた理由もわかりました。それが高次の密度の意識というものだからです。
高次の存在が愛しんでくれてる割には、高次の存在の集合的無意識がマニフェステーションすることはないようだ