アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

ヒーローが必要なのに・・・ヒーローはどこにいる?その一

これも昔のデーヴィッド・アイクの記事

陰謀論のよろしくない要素の一つは、他人に押しつけがちになる所である

 

ヒーローが必要なのに・・・ヒーローはどこにいる? by デーヴィッド・アイク : さてはてメモ帳 Imagine & Think!

1989年、天安門広場で中国の戦車に一人立ち向かう男。ビデオを観る

世界中の人々が見た1989年の中国の有名な「戦車男」事件のビデオは、われわれが「もう要らない、十分だ」という勇気を持つとき、何が可能となるかを、象徴的に、そして文字通り数分間のうちに、見せてくれた。

しかし、彼は一人だった。今後も、結果がどうなるかに構わず、ただ信念に従って立ち上がる、男や女はいつも稀有な存在であろう。自由というものは結果を求めるものではないからである。結果は念頭にない。正しいことをするというだけであり、その結果どのようなことが起きるかではない。

結果を計算に入れると、常に、残念なことだが常に、自由は敗れる。「正しいことをしようと思うんだが、でも・・・」 この「でも」がわれわれを奴隷化しようとしている人々に力を与えてしまう。
もう、これ以上、「でも」と言わないで、お願いだから。

戦車男は、その行動をもって力強い主張を行った一個人である。しかし、あの時、他のみんなは何をしていたのか? もしも百万人が前に立ちはだかり、戦車によじ登ったならば、戦車はどうしただろうか?

ここに、一人のヒーローではなく、多くのヒーローが必要な理由がある。

だからダメなんだよねえ

これは言い換えると、他人を操作する(ヒーローにさせる)必要があるという告白でもある

もしもこの大勢の人々が体制に協力することを拒否し、何百万人もが仕事を放棄して政府と軍のビルを包囲し、その他いろいろなことをやったなら、少数のエリートは機能を停止し、支配するどころか、砂でできた城に津波が押し寄せたような状態になったことであろう。

しかし、そうはせず、代わりに「夜明けまでヒーローが来るのを待っている」のである。自分たちの自由の権利を主張することもせず、誰か他の人がやってくれるのを待ち望んでいるのでは、夜も悪夢も終わることなどない。

戦車男は頑張ったし、すばらしいことをしたが、専制政治は続いている。われわれに必要なのは数である。自分自身をヒーローに任命した大勢の人数である。今、他の誰かを待っているかもしれないが、その他の誰かに自分自身がなることである。

しかし、実は、ヒーローになるのではない。ヒーローでない状態をやめることなのだ。ヒーローとは何だったか?勇気によって恐怖を克服した者。あるいは、最初から恐怖を持ち合わせないために、正しいと信じたことを、不安も結果も考えることなく、行う者である。

われわれの自然な状態、無限の状態では、恐怖は存在しない。恐怖がなければ、それを克服する勇気すら必要ない。あえてヒーローという言葉を使うなら、われわれ本来の自然な状態は、すでにヒーローなのである。恐怖を感じることなく行動する、正しいことをやるヒーローである。

われわれの自然な状態、無限の状態は非物質的状態である、という声明と大差ないかな

でも、われわれは今の所、物質的状態で生きてるんだよねえ

人間社会は、本来ならもっとヒーローを生み出すことができたし、生み出してくるべきだったのであるが、世界の人々は、恐怖によって、結果のことばかり考えて何もできない状態に閉じ込められたため、ヒーローを生み出すことができなかった。人々が、正しいことを、他の何よりも優先するならば、そして、どのような結果になるのだろうかという恐怖よりもそれを優先するならば、この世界は正しいものになる。

「私にとって何のトクになる?」が「何が正しいか?」に変わったとき、世界は正しいものになる。

他人の不幸を喜ぶ、病的で、精神障害のわずかな人間たちが、世界中を思いのままにすることは正しいだろうか? いいえ。では、じっとして彼らが好きなようにさせるのは正しいだろうか? いいえ。少なくとも何が起きているのか知っていながら、何もしないのは正しいだろうか? いいえ。

「正しい」とか「間違っている」というのは無い、というのがニューエイジの基本ではある

そもそも、人間が動物を食べるのは正しいか?

その延長として、宇宙人が人間を食べるのは正しいか?

というわけで、「正しいか?」とか言った所で、結局は、地球に置いて食物連鎖の頂点は人間ではない、ということに駄々こねてるだけでしかない、と思うな

つまり、単なる自己中心的な見方だよ

「他人の不幸を喜ぶ、病的で、精神障害のわずかな人間たちが、世界中を思いのままにすること」が多数の正常人にとって「何のトクになる?」という話でしかない

では、どんなことをするのが「正しい」のだろうか? この疑問は、自問自答して答えを導き出す必要がある。言い逃れや、認知的不協和(自分に嘘をつくこと)で自身の行動(あるいは行動しないこと)を正当化してはいけない。

では、どんな思考をするのが「気分がいい」のだろうか?

・・・ってのが引き寄せ

引き寄せって要素が無いと、どうしても「行動」・「団結」を前面に押し出さなければならない

そうして、色々と堅苦しくなっていく、自由がなくなっていく

自由を侵害してくる奴と戦ってたら自由がなくなった、というのは皮肉が効いてて面白い