アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)Codex Magica、その一

陰謀論や悪魔教の入門書としていい出来だと思う

私は英語版を読んだけど、日本語訳も出版されているね

陰謀論の総論みたいな部分もあるが、シンボルやハンドサインの解説に多くのページが割かれている

 

大統領になる前のトランプやプーチンが悪魔教のシンボルと共に写真取られているのとかが紹介されているよ

やっぱりあんだけ政治的な高位にいる人達ならば無関係ではないよね

後は、中丸薫の「太陽の会」に言及してあったのが、「おっ」と思った

 

「この本の著者はキリスト教徒なのかな?」と思う所がいくらかあったが、牧師兼作家らしい

以前書いた記事の人に比較的近いものを感じた

しばしばやや狂信的(?)なキリスト教信者の人のページに行き当たる - アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

ニューエイジってのは非常に広い思想・宗教的方向性を指す言葉だと思うが、このCodex Magicaの著者からするとほとんど全てに悪魔教の息がかかっているかのようだ

キリスト教にフィットしないものは皆悪魔的だ、なんて感じで

確かにそういうものもあるだろうが、まっさらな心で見た時に「中々いいこと言ってるな」って教えもあると思うよ

 

サイコパスどもは「自分は神だ」と思っているらしい

一方でニューエイジチャネリングでも「あなたは神だ」とか言う

これについて私の考えを述べておこう

サイコパスどもは、「自分は神だ」から、法や道徳に縛られず好き勝手に他者をコントロールしてよい、と考える

一方で、私の念頭にあるチャネリングにおいては、「自分は神だ」から、他者をコントロールしなくても、自分の力で自分の望むものを創造できる、と考える

 

世界で最も裕福で影響力のある男性の何人かが、悪魔的な魔法の行為を丸見えで行うリスクを冒すのはなぜですか? 彼らが主要なニュースマガジンや新聞、テレビ、そして巨大な潜在的聴衆を持つ他の道でそれをしているのが描かれるように?

彼らは単に私たちをあざけったり騙したりするのを楽しんでいますか?社会の大多数の人々が喜んでだまされていることを理解して、私たちの心をからかって遊んでいますか?結局のところ、かつて「ピエロは殺人で逃げることができた」と自慢したのは、連続殺人犯のジョン・ウェイン・ゲイシー(確かに精神病質の人格)でした。

ゲイシーは、いたずら好きで陽気なピエロに扮して、若い男性患者を元気づけるために病棟を訪れたことを楽しんでいました。彼はまた、彼の家の範囲内で、若い男の子を拷問し殺すことに大きな喜びを感じました。

これらすべてが、イルミナティサイコパスがカメラの前で不思議なポーズをとってパレードしたり、儀式の握手を交換したり、その他の方法で大衆をからかったりする理由です。

彼らがそういうリスクを犯すのは、特に意味もなく、ただ人々を嘲笑したいから、だという

スタントン・E. セイムナウ「騙しも盗みも悪くないと思っている人たち」って本だったと思うが、サイコパスは、なんでそこで嘘をつく必要があるのか分からんような状況でも嘘をつく、という

嘘を真に受けている人を見て内心で嘲笑する、のが彼らの天性のようである

 

このサインは、聴覚障害者の「愛しています」というフレーズのサインと混同されることがよくあります。最初はこれは奇妙な類似点に見えますが、「ああ、わかりました」という表情をします。聴覚障害者のためのハンドサインシステムを発明または作成した人、ヘレンケラーが自分自身がオカルト主義者であり神智学者であったことを発見したときの感情です。ケラーは、聴覚障害者の「愛してる」のサインを、サタンの古典的なサインのような驚くべき模倣になるように意図的に設計しましたか?ケラーは基本的に「私はあなたを愛しています、悪魔」と言っていましたか?

これが、この本の中で一番私がゾッとした所

「I LOVE YOU 手話」とかで検索するとバフォメットのハンドサインが出てくる

 

インドの神学の第一人者、クリシュナムルティの伝記の広告。創設者の死後、神智学の指導者を引き継いだオカルト学者のアニー・ベサントは、かつてクリシュナムルティを「ニューエイジのキリスト」と宣伝していました。ここでの教祖のポーズは、彼が「広場にいる」ことを示しており、イルミニスト派の三つ組の神を称えています。

クリシュナムルティは非二元とかで語られることがあるね

神智学が悪魔教と関わったりしてるから、離脱したのだろうか?

 

彼らの目的はグレートワークであり、神の似姿で創造された人間を蛇の似姿-道徳を欠き、義に欠け、まさに価値を欠いたものに変えることです。言い換えれば、グレートワークは魂のない悪魔の生き物の種族を作成し、作り出すように設計されています。

バシャールは、ネガティブな方向に行くと人類はグレイになるとか言ってるが、言い得て妙かもね

(ルシファー)の目的は、神の創造物を台無しにし、それをろくでなしにして堕落させ、それを彼の姿に、神が意図したものとは正反対の、途方もなく醜く歪んだ創造物に変えることです。

これがポイントっぽいね

とにかく倒錯を目指すのである

男性は女性らしくする必要があります。女性は男性的に。結婚は倒錯することになっています。もはや男性と女性の間ではなく、男性と男性、女性と女性を結びつけるためにも使用されます。

LGBT問題が流行らせられているが、こういう観点から見るべきなのだろう

中絶—無実の無謀な虐殺—は称賛されるべきです。セックスは倒錯でいっぱいになることです。子供たちは、貪欲な小児性愛者のひどい情熱に引き渡されます。精神的な価値観は物質的な欲求に変換されます。偽りの神々は高められます。偽りの聖書が発明されました。殺人と暗殺は宗教的な目標になります。

タルムードのこと?

すべてのフィールド、すべてのものを逆にする必要があります。ネガティブはポジティブに変換する必要があります。悪いことは良いことです。黒は白でなければならない。醜いものは美しいと判断され、美しいものは台無しにされ、傷つけられ、嫌悪感と反抗的なものにされます。神は卑しめられ、サタンは高められるでしょう。

したがって、イルミニズムは、合成の結果として周期的に繰り返される二元論(テーゼとアンチテーゼ)のシステムです。次に、二重性サイクルの相反する力が再び衝突し、合成がもう一度達成されます。常に合成、一時的な解決策または形式は凍結されておらず、2つの競合する力のプロセスが再燃し、サイクルが継続されます。

カオスは秩序を生むが、カオスが再び起こり、秩序が続く、というように続く。反対の対立は最終的にシステムの平衡につながり、それは新たな対立によって再び乱され、平衡の新しい一時的な段階が達成されます。常に上向きに、完璧になるまで進化します。

わざわざ敢えて倒錯を求めるのは置いておいて、この秩序とカオスの繰り返しってのも悪魔的なのかね?

易の思想とか、まさにこの考え方の通りだよ

易はキリスト教的でない、という意味でなら、確かに悪魔教的なのだろうけども

問題が完全かつ満足に解決されることは決してありません。二元論的プロセスは決して終わらない。

易経の最後は火水未済である