アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)キリスト教封印の世界史 ヘレン・エラーブ、その三

中世の変革を押さえ込む、紀元1000〜1500年

農業社会が都市化、商工業に従事する人増える、商人によってアラブやギリシャの情報入る

アラビア語からラテン語に再翻訳、アリストテレスの著書出回る、スコラ哲学が教会に従う態度に疑問

商人・職人階級向けの学校できる、叙事詩や中世騎士物語、ゴシック建築

教会は、アリストテレスの著書をパリ大学で扱うことを禁止、芸術家に異端者の烙印

サヴォナローラの道徳改革、召使をスパイにして家長の情報を集めさせる、書物や装飾品や絵画等を没収し焼く

12世紀に聖職者の結婚を禁止、教会の資産が聖職者の家族に渡るのを阻止するため

1326年教皇の大勅書、イエス十二使徒は清貧だと意見するものは異端

中世の異端思想は変化に富んでいた、聖母マリア崇拝が盛ん

民法で商業が活発になったが、教皇の存在を認めていなかった

教会は聖職者が市民法を学ぶことを禁止、教会法を作る

教皇がいつでもその法を無効に出来る、教会の利害が絡む問題の裁判権秘蹟や宣誓絡みの問題、王権に勝る教皇権の確立

教皇が政治紛争や侵略問題に首を突っ込む

十字軍、人々の関心を外的にそらし社会変革を阻止、1099年エルサレムイスラム教徒ユダヤ教徒を虐殺

1054年東西教会分裂、1096年ベオグラード征服、1204年コンスタンティノープルへ十字軍派遣

侵略者と化した兵士は街を破壊、書物を焼く

ユダヤ人をスケープゴート

今流行りの、子供をさらって人喰い儀式の生け贄にする、という話はこの時代からすでにあったようだ

この場合、ユダヤ人がキリスト教徒の子供をそうするという噂

テンプル騎士団は元々十字軍護衛として結成されたが、政治力を持ち、金融組織として名を轟かせると、教会と王達は標的にする

グノーシス主義カバラ主義やイスラム神秘主義を持ち帰ったと言われる

「入団の儀式で神やキリストや聖母を罵り、十字架に唾を吐いて足で踏みつけ小便を引っ掛ける」と噂され、同性愛者・私生児殺し・魔術師の汚名を着せられ、殺されて財産没収

なんか今流行りの、秘密結社がどうのこうのに似てるなあ

カタリ派弾圧、すさまじさからして教会が最も恐れていた異端だったらしい

ラングドックで勢力を振るう、差別意識無く、ヨーロッパで最も栄えた地域

イスラム神秘主義ユダヤ神秘思想の要素、女性司祭、自然の様々な色や音に神を感じる、吟遊詩人と共通する部分

聖ベルナール「彼らの会話に非難されるべき点はない。誰かを騙すわけでもなく、虐げるわけでもなく、暴力を振るうでもない。真面目に働き慎ましく暮らしている」

1139年カタリ派とその支持者を糾弾するための公会議、1179年十字軍の兵士になれば二年間どんな罪も免罪にし永遠の救済が約束される、1204年カトリックに属さない地元の教会を残らず破壊、1208年兵士には異端者とその支持者の土地と財産を与える

どうやってカトリックカタリ派を見分ければいいのかの質問に教会特使アルノー「全部殺してしまえ、見分けるのは神だから」

ベジエの犠牲者6〜10万人、アルビジョア十字軍は100万人を虐殺

 

異端審問・奴隷制・拷問の時代、紀元1250〜1800

1578異端審問官フランシスコ・ペナ「一番の目的は、被告者の魂を救うことではなく、人々に恐怖を植え付けること」

 教皇インノケンティウス三世「神を勝手に解釈し、教会の教義に矛盾する思想を抱いたものは、容赦なく火刑に処すべし」

慣習法は「疑わしきは罰せず」、宗教裁判法は「疑わしきは罰せよ」、疑いを掛けられたら必ず有罪になった

審問官は私腹を肥やす、賄賂もらう、被告人の財産没収

教会は清貧の精神を歓迎しなかった

経済に打撃、商人を告発、特定の業種に嫌疑、地図関係も標的、印刷物も妨害

聖地詣で(家族が生きている内に帰ってこれるか分からない)、十字架の着用(大きな黄色の十字架を前後にぶら下げる、物笑いの種となる)、終身禁錮刑(粗末な食事、長く生きられる見込みなし)、火刑、ヨハネ15.6「人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである」

教会は自分の手を汚さない、役人に依頼する、拒んだら破門され異端の疑い

自白を引き出すための拷問、手足を少しづつ切断したり関節を外したり、ラードやグリスを塗ってじわじわ炙る、蛇がうじゃうじゃいる穴に落とす、むき出しの腹の上でネズミを山盛りにした大皿をひっくり返し皿に火を付ける(ネズミはパニックになって腹に穴をほって逃げこもうとする)、これらに耐え抜いても火刑

異教徒が犠牲になることも多かった、ユダヤ

・残虐さを秘めた唯一神への信仰は探検家や宣教師とともに世界各地へ広まった

1492年コロンブスアメリカ大陸発見、先住民を皆殺し、女を強姦

1570年ペルーとメキシコに独立裁判所、改宗しない先住民を火炙り

極東を訪れたポルトガル人の宣教師は仏塔を破壊、仏教の写本を隠させ、古い習慣を廃止

1614年徳川家康「彼らは幕府をくつがえして国の支配者になろうとしている」と宣教師を非難

さすが日本、賢いぜえ

宣教師たちは権威を分かちあうという考えがないので組織ごとに争った、日本と中国ではドミニコ会イエズス会、近東ではフランシスコ会とカプチン会

宣教師たちはしばしば外国の土地の不当な開発に手をかし成金になって悠々自適

1493年教皇の大勅令で南アメリカ先住民が改宗拒否したら宣戦布告して良い、1509年歴史家エンシスコ「王には・・・彼らの土地を奪う権利がある。教皇が権利を与えたから。インディアンが抵抗したら、殺し、カナンの地のヨシュアのように住民を奴隷にしても法が許している」

正統派は奴隷制度を支持、レビ記25.44〜46、エペソ6.5、テモテ一6.1、テトス2.9〜10