性欲・自由意志・輪廻の全否定、紀元300〜500年
・ペラギウス、人間には意志の自由があって責任がある
⇔アウグスティヌス、神の恵みだけが救いをもたらす、個人の行動や意志は関係ない、原罪によって自由意志がなく罪を犯すにできている、性欲がいい例(アウグスティヌスは元々放蕩生活して愛人と子供を捨てた奴)
・キリスト教以前はセックスを人生に欠かせない神聖なものと考える人が多かった、グノーシスのカルポクラテス派
⇔アウグスティヌス、ヒエロニムス「性の快楽を宿すものは全て毒と見なせ」、エレーヌ・ペイゲルス「アダムとエバと蛇」、好き勝手なセックスを許せば個人に顕現を与え社会を操ろうとする宗教を脅かす
アウグスティヌスの友人でアフリカの司教アリピウスは種馬80頭を賄賂として皇帝に送る、ペラギウス派は破門
・オリゲネス、魂は肉体に宿る前から存在し、肉体から肉体へ伝わり(輪廻)、最後に神と一つになる、神のもとへ帰るのを自分の意志で決められる
ニューエイジのかなりの部分はこの教義を現代において復活させたものだ
⇔正統派、個人の意志を買い被っていると反論
輪廻説はイエスキリストの存在価値を下げ、現世で救われたいという願いを薄れさせる、地獄に行くのを恐れなくなる、イエスの復活が平凡なものになる
教会は学問と精神の研究を制限していたが、オリゲネスは反発
アウグスティヌスも聖書にない答えを探したが辞めてしまう、「神が天地創造の前に何をしていたかといえば、そんなことを問いかける不届き者のために地獄をせっせと作っておられたのだ」
オリゲネスは254年に死ぬが、論争は続き、553年第二回コンスタンティノープル公会議でオリゲネスは破門
・ドナトゥス派、聖職者の基準が厳格、4世紀半ばのアフリカではカトリックを上回る信者数
⇔アウグスティヌスは信仰を強制してはいけないとか長年言っておきながら、カトリックにとり込もう説得しようとするが失敗、暴力による異端弾圧の先例を作る
「入門の強制」の教義、ルカ14.23に「無理にでも人々を連れて来なさい」と書いてある、父なる神は天罰の恐れによって人々を御子に引き寄せたのだ
20世紀初め、教皇レオ3世「死刑は教会の目的達成に欠かせない効果的な手段と言える。・・・信者を救う道が他になければ、教会が悪人を処刑しても許されるし、またそうする義務がある」
・マニ教との論争は、教会は自分たちのイデオロギーでも民衆受けしないものは平気で否定することを示す
マニ教は初期カトリック以上に正統派のイデオロギーを厳しく貫く、二元論、天と地・霊と物質・神と悪魔にきっぱりと分かれる、禁欲と隠遁を厳しく唱える
悪魔の思想は一神教に特有なもの、多神教では悪を簡単に説明できる
キース・トマス「宗教と魔術の衰退」、「(ユダヤ人に)一神教が広まると、神が善ならどうして悪が存在するのか説明しなくてはならなかった」
カトリックは宗教改革時代は厳しいが、初期は徹することが出来なかった
世間には土着の多神教を信じる人がたくさんいて、人々を教会に引きこもうと必死だった、聖母マリアや天使や聖人の崇拝を許す
暗黒時代の停滞、紀元500〜1000年
ペストでローマ帝国滅ぶ
「神は教会の権威に従わなかった者にペストという罰をお与えになった」と民衆に説く
ユスティニアヌス帝(この時期に国力を盛り返す)に異端者の烙印
ペストに太刀打ちできなかったギリシャ・ローマ医学も異端宣告
ペストを機に教会は医療の分野を支配した、瀉血を教える、毎年何万人もの犠牲者を出す
こうした文脈を踏まえれば現代における西洋医学からの瀉血批判にも納得がいく
しかし、ヨーロッパのような迷信的な未開社会での瀉血と、中国のような文明社会での瀉血を混同するのは、中国に失礼というものである
「肉体は軽蔑すべきものだから、できるだけ洗ってはいけません」と教える、トイレや水道がなくなる、公衆衛生が悪化し病気が蔓延、伝染病
古代ローマの暖房も使われず、道路網も19世紀近くまで放置
教会が書物を焼き、学術研究を禁止したので自然科学後退
紀元前6世紀ピタゴラスの地動説、紀元前3世紀アリスタルコスの太陽中心説、エラトステネスが地球の大きさ測定、紀元前2世紀ヒッパルコスが緯度経度を考案し黄道傾斜を定める、これらは暗黒時代に忘れられ、16世紀コペルニクスの地動説、17世紀ガリレオ太陽中心説で異端審問
歴史は書き直される、ダニエル・ブアスティン「歴史は正統派キリスト教の脚注となった」「歴史を学問と考えるのは異端者だけ」
教会は考古学を禁じる一方で改竄を進める、紀元前のローマ時代についてさえ真実から大きくかけ離れる、人類の文明史が5千年と信じられたのもでたらめ
紀元前7000〜4000年に高度な文明、民主制、ヒエラルキーがなく、戦争も圧政も奴隷制もなかった
過去を消してしまえば権力者に都合がいい、着実に進歩していると思わせられる
アウグスティヌスの弟子オシロウス「異教徒に反する歴史」によると、キリスト教が登場した後の悪徳をキリスト教のせいにすることはできない、キリスト教以前はもっと忌まわしい災厄があったから
教会は莫大な文学作品を焚書した、391年アレクサンドリア図書館を焼き払う、一般人への教育は断たれるが聖職者は教育を受けて行政を任せられる
教会は文法やラテン語の習得にも反対した、俗人が聖書を読むことさえ禁じた、398年第四回カルタゴ公会議で司教が異邦人の書物を読むことまで禁止
正統派にとって芸術はキリスト教の価値を高めるものでなければならなかった、古代ローマの彫刻を叩き壊す、建造物の大理石やモザイク教会に運ばれて装飾材料に使われる
教会は利子を取って金を貸すのを非難したので金融業廃業
教会自身は利益を上げている数少ない組織だった、出世するのに金と力が必要、教皇の椅子を金で買ったり殺人などの犯罪が後を断たない、百年間で40人以上の教皇、891〜903年で10人の教皇誕生
教会の所有地は西欧の1/4〜1/3、無税で軍役もない、各国の王からの税収入、裁判で没収した財産、免罪符の販売、聖職売買、単に暴力で土地を奪う
教会と国家は互いに手を結んで互いに利益を得た、教会に行政の監督者の地位を与える