笠原俊雄オススメの本なので読んでみる
ラインホルト・メスナーというのは登山家である
体験を制限するからという理由で、機械や酸素を使わないそうだ
体験のために登山をしているのであって、成績を競うとか記録を樹立するとかそういうことのためでない、と言う
もうなんかこの前書きの時点で、普通の登山家ではない
体験というのは、超高山なので、色々な幻覚状態やら何やら、通常の平地の生活状態では起こらないような意識状態になるということ
そういうわけで、この本は非常にスピリチュアルな本である
さすが笠原俊雄オススメだな
彼は、人は大洋に浮かぶ水の入った盃のようだ、とか言っている
このような例えは、スピ中級者においては耳タコであろうが、こういうことを言う登山家というのはなかなかのものでは?
・滑落
落ちている本人からすると、それは不安も恐怖もない、涅槃のような境地であるという
また、離人感、落ちている自分を外から見ている感じ、があったりするという
また、所謂走馬灯、があったりなかったり
甚だしくは、ある登山家は、走馬灯で子供の頃の記憶を見た後に、中世の貴族達の前にいる百姓の場面を見たそうである
彼は、これを先祖の記憶か、はたまた前世の記憶か、と言っているが・・・
で、そのような経験をしつつ九死に一生を得た人は、「死とはこういうものだ」という感じを持ちそれによって生き方が変わったりするようだ
色々と臨死体験に似ている
シャーマンになるためのイニシエーションに、見習いが象徴的に一回死ぬというのが各地色んな部族であるのだそうだ
この一回死ぬとは、まさにこの本で論じられている所の滑落のようではないか?
意識が変わるそうなのでね
・極限状況
例えば、雪崩に巻き込まれるとか、落石の嵐に合うとか、そういう場合でも滑落と同じような意識状態が起こるという
また、著者曰く、それは極限状況は個人において総体的で、このような意識変化は一晩の野宿、数週間山に入るとかでもありうる、と言ってる
そこで思い出されるのは、これもまたシャーマンのイニシエーションだが、見習いが一人で何の食料も持たずに野獣のいる山や森林で暮らさなければならない、というものだ
このような意識効果を狙っているのではないか?
登山家はこのような非常に厳しい状況において自殺を企てることはない、という
述べてきたように、意識が変わるからである
非常にピンチな状態になっても、そこから沸々と生きようとする意志が湧くのだそうだ
一方で、下山して後の町での生活においては自殺はありうる、という
なので、「人生に疲れた、死にたい」とか言ってる人は極限状況を狙えるような険しい山に行ってみたらどうだろう?
・仲介者
なんか読んでるといきなり「仲介者」とか出て来て訳わからんのだが、前後の文脈から見ると、チャネラー、イタコ、死者の霊との仲介者ということらしい
山中で行方不明になった登山家の霊を呼び出した霊媒の言ってることが、当時の状況をほぼ言い当てている、ということに触れている
このチャネリング・セッションに著者に参加していた、とも取れるような書き方をしているので、もしかするとメスナーは普通にスピリチュアルなものに傾倒していたのかもね
ちょっとそういうのに触れた経験もなく、書けるような内容でもない、という気もするし
・幻覚
空に龍みたいなのを見たり、一人で登ってるのに同行者がいると思ったり、その声が聞こえたり
また、肉体からの離脱感とか
一般的には、空気が薄くて、酸素がなくて、単に脳味噌がおかしくなってるから、とするだろう
だが、著者は、自分の個人的体験からすると、知性が鈍くなるのと反比例に別の次元が働き始めるのではないか、という
この見解は、アンリ・ベルクソンと同じだ
すなわち、脳は、それが意識体験を作ってるというより、むしろ意識に入ってくる膨大な量の情報を制限している器官である、という説
それで酸欠なので、脳の働きが鈍ると、制限が緩みより多くの量の情報が意識に入ってくる、というわけ