https://ja.wikipedia.org/wiki/ポア_(オウム真理教)
さて、オウム真理教は邪魔になるやつを抹殺することをポアと呼んでいた
ポアとは、どういうものか、どういう理屈か、ということはWIKIに書いてある通りである
まあ、皆、「こういうことをしてはいけない」ということは分かっているだろうが、なぜそうなのかということをきちんと説明できるだろうか?
地獄や天国というものが、怪しい宗教の妄想であって実在しないから?
カルマというものが、怪しい宗教の妄想であって実在しないから?
麻原の超能力は偽物であって、本当に対象者のカルマや未来を見通すということはできなかったから?
よろしい
では、仮にこういう宗教的原理が本当に実在していると仮定したならば、本当に対象者の未来が見えたならば、ポアはしていいのでろうか?
私が思うところでは、「他人に親切にしてあげるべきだ」という、多分世間一般に信じられているであろう道徳的原理からすれば、ポアすべき状況というのはあるだろう
これは、論理的にそうなるより他ないと思われる
一般的な善悪で考えるとポアを否定するのが、相当微妙で苦しいことになる
ポアしてあげた方が、大きな視点で見れば、本当にその人は幸せなのかも知れないのだから
が、これを自己奉仕・他者奉仕で考えてみよう
ポアは自己奉仕的なのか、または他者奉仕なのか?
オウム真理教にポアされた人達は、別にオウム真理教に対して「このままでは重いカルマを背負ってしまうので、殺してください」とは言わなかっただろう
オウム真理教が勝手に「このままでは重いカルマを背負ってしまうので、殺した方がいい」と判断してやっちゃったわけだ
このようにして、本人に求められてもいないのに、勝手にその人のニーズを決めつけて手を出すこと、これは自己奉仕的だ
逆に、本人に求められたのでやる、ならば他者奉仕的だ
このような視点で考えるならば、ポアについて筋が通るだろう
そして、このような視点で考えるならば、世の中で「これはいいことだ」とされていることが、ポアと区別できない同類のものである、ということに気づくだろう