Q
失業して落ち込んでる。
失業が長くなるほど、ワクワクさせる仕事を見つける力がないのかなって気がする。
B
じゃあ、仕事になるべきワクワクすることを創造して。
これが全体のアイデアだけど、すでに存在してるワクワクさせるものを探すということでは必ずしもない。
見つけないならば、ワクワクさせるものを仕事にさせなさい。
誰かが、今の社会の中にある仕事を始めなければならなかった。
それは、その時にあるフォーマットの中にはなかったかもしれない。
誰かはこう言わねばならなかった、「ちょっと待って。探してみても、私を最もワクワクさせるようなものは仕事として存在してないぞ。私が一から始めたほうがいいな」。
さて、まさにこの瞬間に、あなたは、それが典型的な仕事であると考えるだろう。
それで、正直に、本当に自分をワクワクさせるものを調べることを自分に許しなさい。
もし本当にあなたをワクワクさせることならば、この点でそれをしている人が誰もいない、もしくは、すでにある所でそれをする機会を自分の人生に引き寄せてない、ということを当然と思いなさい。
それから、何があなたを最もワクワクさせるか分かるあなたの能力は、また、自動的にあなたをサポートする仕事になるものを創る能力を表す、というのも当然と思いなさい。
さらに、これは、人生であなたをワクワクさせるだろうとあなたが本当に知ってるものは、そのためにどんな社会構造がすでにあろうとなかろうと、あなたはすることができる、ということを本当に信頼するという問題だ。
それに展開させよう、それで、本当に社会構造にそれを立てることができる。
でも、あなたはそれを外に表わしてない。
Q
私はとても無能だと感じる・・・
B
それは、あなたがそうであると信じてることを意味する。
あなたにすでに染み込んでいる信念なしに来る感情はない。
感情は現実の主要な経験ではない、信念が主要なインターフェースだ。
まず、あなたは何かが真実だと思っていて、次に感情を得る、それであなたは信念を再補強するような思考を強化し、そしてさらに同じ感情を再生する。
で、単純にあなたが自分は無能だと信じることに決めたので、あなたは無能だと感じる。
それはあなたが信じるように選んだものだ、しかしあなたはそうする必要はない。
Q
それを捨てようと試みても、「あの時何が起こったのか思い出せ」って声が聞こえてくるんだよ。
B
やってくるままにさせなさい。
それで?
ほら、あなたは自分の一部を遮蔽しようとしている。
あなたが統合した時に、それらの声を二度と聞かないだろう、とあなたは思ってるね。
それは真実ではない。
あなたはその声を常に聞くだろう。
実の所、統合するほどもっと聞くことになるだろう、なぜならあなたは全てをあらゆる方法で人生に受け入れるんだから。
声はあなたが失敗したことをあなたに明らかにしないために、あなたが動けないことをあなたに明らかにしないためにやって来る、声はあなたに、あなたがどれほど変わらねばならないかについて理解する機会を与えるためにやって来続ける。
あなたが声を慣れた同じ方法で関連付けるのをやめるまで。
「ほら、声がまだ来ている。それは、私が失敗したことを意味しなければならない。私が正しいことを正しい方法でしていないことを意味しなければならない。」と言う時、声との同じ関係を維持するほうを選んでる。
しかしあなたはそうする必要はない。
異なる関係を築く機会として、声はそこにある。
声が来て「これが、いつそのように起こったかについて覚えてる?」と言ったら、「うん、でも、それがどうした?それ以来、私は学んだよ。そして、素敵な声よ、私があの時したやり方を今君が思い出させてくれたので、今私がどのくらい違うようにするつもりか理解する偉大でポジティブな機会を持つことができたよ」と返せばいい。
これは自分自身にあなたが進化のプロセスを経験していると認めるのを許す方法だ、それがあなたが行わなければならないと思っていることであるならばね。
また、声が来て「見なよ、これはその時起こった方法だ」と言って、そして、あなたは「そうだ、それが起こったのとほとんど同じことだ」と言うかもしれない。
しかし、キーワードがある。
ポジティブな人ならば、その「ほとんど同じこと」にロックする。
それは少し異なる、そして、それであなたには十分によい、少し異なることがありえるならばだいぶ異なることもありえるのだから。
それで、またまた声が来て「見なよ、これはその時起こった方法だ」と言っても、前回と異なっているとあなたは理解できるだろう、さらに次の時にはもっと異なっていると理解できるだろう。
そして、あなたは消えかかった声に「君があの時どうだったかを私に思い出させ続けてくれるので、私が今どれくらい異なるようになっているかを常に確認できるよ」と言うことができる。
あなたの人生のすべてが、ポジティブな方向で使われることができる、同じ古い小さい声さえ。
Q
私は、信念がまだ古いものであったと思う。
私は、古い信念を取り除いてなかった。
B
あなたは、何も取り除くことができない。
Q
私が言おうとしたのは、「OK、私はこうすることができる、そして、私は仕事に対処できる」ということだ。
B
しばしば、あなたのものの言い表し方は、あなたが本当に信じるものの徴候だ。
あなたがすでに所有する何かについてよく考えてみる必要がないということを考えなさい。
「私はそれを対処できる」と言う時、自分自身を納得させようとしていることを示す言葉遣いを使用していて、本当に対処できると思っていないことを示している。
あなたは、そのようにものに「対処する」必要はない。
あなたは、すべてをすでにコントロールしている。
ゆえに、人生で起こる状況が好ましくない徴候に見えるならば、ポジティブな理由があってあなたがそのようにコントロールしてるんだ。
Q
私はポジティブな理由が何かって分からないけれども?
B
ポジティブな理由とは、少なくとも、あなたの慣れたシナリオと関連付ける必要がないと理解させてくれる機会を与えるという基本的な理由としておこう。
そして、あなたは、まだそうであるかどうか見るために、自分自身をチェックしているかもしれない。
Q
私は、より有益などんなフレーズを使うことができるだろうか?
B
「まさにそういうものとして、どのようにこれは私に貢献するか?私は何を学べるか?どのようにこれから私はポジティブに学ぶことができるか?」
それをそのようであるままにさせた時、それは何か他のものに変える最も偉大な機会になる。
それの来る形を否定するならば、あなたは自分にその中の固有性を見ることを許していない。
あなたがそれをつくった方法で現れるようにそれが振舞うのを、あなたは許していない。
あなたは、あなた自身の創造、あなた自身のフォーマットを拒んでいる。
あなたにメッセージを届けるあなた自身のフォーマットが正確かつ完全なやり方であることを知っている時のみ、好むようなやり方に伝達システムを変える意識的自由を創ることができる。
もし絶えずあなたの伝達システムが故障しているように扱うならば、あなたはそれに耳を傾けていない。
あなたはあなたの中で何かが間違っていると考えていて、それが補強される信念となる。
従って、それはあなたが繰り返すサイクルとなる。
「何かが間違っている」と思っていれば、もちろんあなたの現実はあなたに「その通り、何かが間違っているよ」と反射する。
全てはまさに素晴らしい。
あなたが最もひどい状況と考えたものにおいても、自分自身にすべてがまさにすばらしいと理解させなさい。
S:
ポジティブシンキングと現実逃避の違いが分かっただろう。
実生活における「学び」の概念の有効性も。
しかし、同じ質問をエイブラハムが答えたとしたら、このような回答にはならなかっただろうな。
そういう意味では、これは非常にバシャールらしいバシャール節と言える。
エイブラハムだと、感情は信念からやってくるのではなくフォーカスするもので決まるので(それで、感情状態が現実創造の決め手なので)、うーむ、現実逃避してれば現実が変わるという説なんだよなあ、多分。(きちんと逃避できて恐れとかが無ければ)
現実なんぞ見てたってしょうがないとか、信念なんぞどうでもいい(確かこんなこと言ってたような気がするんだが)、とか言ってたし。