トランプは闇か光か?(質問側にネタがないので無茶振りしてみる。でもその割には、結果的に中々の話になったと思う)
世界情勢について。
さ「癌と見なしている。厭世的な話。排除したいという発想。悪を駆逐するという考え方、自体がおかしい」
さ「最初で最後の話をする。あなた方は光、ならば世界が全て光。」
さ「魔性の声に従っているから分かってない。世界がそうさせている」
さ「全てが光なのに、光でないものを見つけるのはなぜか?」
さ「私達の見ている世界とあなた方の見ている世界は違う。私達からは光しか見えない。形として影がある、というのさえノー」
さ「生と死を分けるのと、光と闇を分けるのは同じこと。死は生に含まれる。排除されるもの
ない。」
11.16メモ一を参照。
さ「この見方を変えないとこの問題は終わらない。善い悪いが好き嫌いに変わる」
私の解釈では、「何か排除すべきものがある」という発想・思考が、この世界に排除したくなるようなひどい事なり人なりを現実化する。
さ「現在も、殺人とか黒いのが好きだからそうなっている」
さ「世界は常にそうだ。それがそのままそうなるべく、そうなっている。」
さ「だからそれでいいんだ。全てそれだ。それがそうだ。そうだからそうだ」
さ「悪をのさばらせる発想。」
さ「自分が白に入ってるかどうか考えるならば、ルールを変えるという発想になるだろう」
「何か排除すべきものがある」という発想をする人は、基本的に自分がその「排除すべきもの」には含まれないんだって思考があるよね。
それは、本当の本当にそうかと考えてみると・・・?
まかり間違って、自分が排除される側に入れられるかもと考えてみると・・・?
ルールというのは、私の解釈では、世界の成り立ちの。
さ「シュウセイ、終生そうであった、修正が効いた」
さやかにシュウセイはどう意味か考えろと言われたのでそうしてみる。
私の考えるところでは、世界を修正しようという場合、部分的には修正できず、終生的に、生を丸ごと、全体的に修正するしかない、ということだ。
例えば、11.16メモ五で以下のように書いた。
「まず固いスプーンがあって、それをムムムとか言って曲げよう、という世界観ではダメ。」
「例えば、最初からスプーンなんてぐにゃぐにゃという世界観を持つとかしないと。」
世界を部分的に修正しようという発想では、さやかみたいな最初から形がないという立場からは、この奇跡の無い現実世界が出来上がっていることが奇跡的に見えるということが理解できないだろう。
奇跡の無い現実世界を創造することと奇跡のオンパレードのような世界を創造することの難易度は等しい。
理屈としては、我々はすでに前者を創造する難易度に達した腕前を持っているのだから、後者もできるはずだ。
さ「思考は現実を変える・・・けれども、こちらが理解して欲しいようには理解しないだろう。」
世界の部分的修正をしようという発想で、思考は現実を変えると言ってるのではないということ。
さ「あなた方(SとM)自身が分かってないから、反射もわかりにくい」
さ「戦いは繰り返す(と巷でよく言われるが)、世界が言った話。もうやり尽くした」
さ「アレはおかしいが私達のは違う、というのはない。どっちも根本発想が同じ。だから終わらない。」
さ「善は悪を反射。逆も同じ」